刻まれた溝
「……い、今、何と……?」
「…何度でも言おうか?」
伊達殿は口元に笑みを湛えると、さらに俺の腕を引いて、抱き寄せてきた。
「伊達殿…っ!」
「惚れてるって言った」
「…ご、…ご冗談を!」
俺は伊達殿を突き放した。
雨のせいで、髪の毛が全部下りてしまって、視界を遮っている。
着物も雨を含みすぎて、重くなっている。その重い袖を持ち上げ、髪の毛を指先で払いのける。髪の毛の間から見えた伊達殿の顔は不快感を浮かべてはおらず、むしろ楽しそうだった。
「ふーん、チカちゃん、髪の毛下りてると、美人だな」
『美人』という言葉に、俺は肩を揺らしてしまう。
小さい頃から女の子のようだと言われ、からかわれ続けてきた。だから、その顔を少しでも変えてみせるために、髪の毛を逆立てていたのだ。
「…だ、伊達殿はよほど冗談がお好きと見えます!」
「こんなこと、冗談で言えると思ってんのか?」
「……では、酔っ払っていらっしゃるのでしょう…?」
「酔狂扱いか? 俺はよっぽど信用ねぇみたいだな」
「俺に惚れているなど、俺が美人などと……」
俺は唇をかみ締めた。
「それに、これで会うのはまだ二度目。そのようなお言葉を信用しろと仰るほうが無理かと…」
「では、聞くが、これが三度目だったとしたら、チカちゃんは信用したのか?
四度目だったらもっと信用したか? Ha! 笑わせる」
伊達殿は吐き捨てるように、言い放った。落ちてくる髪の毛をかきあげながら、伊達殿は俺との距離を縮めてくる。そんな伊達殿の威圧感に圧されて、俺は少しずつ後ずさりをし、その距離感を保とうとした。
「まさか、会った回数を秤にかけられるとはな。いいぜ、信用してもらえないなら、それでも。ただ、俺はチカちゃんに会うたびに同じ事を言い続ける」
「…何度言われても……」
「もちろん、チカちゃん自身ははなっから、信用などしない、と決め込んでいるようだがな」
伊達殿は肩を落として、大きく息を吐き出した。
やはり、伊達殿は人の心の内を読むのが得意であるようだった。俺の心の奥深くで誓ってきた思いをあっさりと言葉にする。
−お慕い申し上げておりました−
女の声が頭の中で響く。
嫌な思いが蘇る。
そう、俺は惚れたなどという言葉は信用しない。
そして、人に惚れるという思いはあの時に海の底に沈めた。
二度と浮き上がらないようにしたはずだった。
その思いを目の前の武将は、いとも簡単に引き上げようとしているように思われた。
それを拒否するように、大きくかぶりを振る。
「……伊達殿……、その思いは……、私には……」
急に視界が暗くなる。
体中の力が抜けて、足から崩れ落ちる。
「チカちゃん、しっかりしろ!」
頭の中で響く声をぼんやり聞きながら、俺は海へと沈んでいくのに似た感覚に、心地よさを感じていた。