LOST ②
あまりの余裕のない対応を思い返して、小さくため息を零して深く反省した面持ちで足元を見つめながら、明日謝りに行こうかと考えていた所へ別の声が聞こえてきた。
「いつまで、そうしているつもりですか」
よく知っている声に反射的に顔を上げれば、視線を向けた先には木手が立っていた。その姿を視認した瞬間に息が止まり、目を大きく見開いて信じられない現実に頭が真っ白になった。
なぜ、どうして、そんな言葉ばかりが頭を巡る。そして、木手が先ほど言った『いつまでそうしている』という言葉は、確実に今しがた来たばかりでは無いことを示している。どこから話を聞かれていたのかと、焦る思いが膨らむばかりで言葉が何一つ出てこなかった。
木手はゆっくりと平古場へと近づき、二の腕を掴むと強制的に立つように引っ張り上げられた。
「制服が汚れると言っているのですが……、聞こえていますか?」
「あ、ああ……」
いつもと変わらない距離のはずなのに、近いと感じてしまうのは平古場が『特別』な意味で意識しているからだろうか。視線を彷徨わせて、そわそわと落ち着きの無い様子を見せる平古場を不思議そうに木手は見つめた。
「何をそわそわしているんですか。そんなに告白現場を見られたのが気になるのですか」
「……!や、やっぱり見てたのか!!」
「通りかかったら、たまたま君達がいただけでしょう。他にこちらの校舎へ渡る通路もないですし、邪魔するのも彼女に悪いですから」
「全部、聞いてたのか?」
「付き合っている人がいるのか、という辺りからだったと思います」
あっさりと現場の話を聞いていた(しかもほぼ最初から)と、告白した木手に血の気が引く思いがした。別に聞かれたことが嫌だった訳じゃないが、一瞬でもキスしてもいいかと思ってしまったことに対して罪悪感が平古場を襲った。自棄を起こして馬鹿な事をしなくて良かったと心の底から安堵した。
そう安堵したのもつかの間で、木手が思いもよらない言葉を口にした。
「付き合ってあげれば良かったのに」
「…………はぁ?」
唐突な木手の言葉の意味が分からず、数秒おいて返した言葉は驚きと怒りが篭められていた。苛立つ瞳を向けても、悪びれた様子を見せることなく木手は続く言葉を口にした
「君、今は誰とも付き合っていないでしょう?なら、問題ないじゃないですか」
「やー聞いてたんだろうが、……わんにしちゅんな奴がいるって」
「その人と付き合える可能性なんて無いでしょう」
木手は始めから何もかも承知で言っているのだと、平古場は理解したと同時に悲しみと怒りが胸に込上げてきた。
「やー、ぬーなぬ?」
「まだ未練があるようだから、可能性なんて何一つないと分からせてあげようかと思いまして」
最低な言葉を紡ぐ木手に、何故此処まで馬鹿にされなければならないのかと腹が立って仕方なかった。
「ああ、だーるなぁ。あぬ子、ちらも可愛かったし、お洒落そうだったし、たーかみーちよりもずっと性格も良さそうだったよな!」
木手の顔を見つめて、何でこんな奴を好きになったのだろうと思った。
こんなにも悲しい想いをしない恋を選びたかった。
「……けど、そうじゃねぇだろ」
けれど、木手を目の前にすれば『好きだ』と思ってしまう。たとえば、見つめる先にある強い意志と焼ける様に熱い情熱を秘めた瞳の輝きが、何よりも美しくて惹きつけられる。そして、その瞳を一度見つめれば視線を逸らすことはとても難しい。
きっと、その瞳を見れば何度だって恋をするのだろう。
「可能性がゼロだったとしても、わんは誰かを忘れるために誰かをしちゅんになったりしない」
そんなことは出来ないことはもう知っている。
どれだけ忘れたいと願っても、もう忘れることが不可能なほど平古場の心にその想いは刻みついているのだ。
「本気なのか……」
「嘘やっさーとも、冗談やっさーともあびった覚えやねーらんぞ」
ぼそりと小さく呟かれた声を平古場は聞き逃さなかった。睨み合うように見詰め合って、お互いの本心を探りあうような時間が続く。目を逸らせば、きっとこの思いが本気だと伝わることは無いだろう。
もしかすると、平古場があの女子生徒に感じた気持ちと同じ気持ちを木手も感じていたのかも知れない。よく考えれば、男に告白された所で悪ふざけか悪戯だと思われるのも当たり前のことだったし、平古場が木手へと向ける感情を理解出来ないのも当然だ。そう、分からないのならば、分かるまで伝えなくて駄目だったのだ。
伝わらないことも、拒絶されることも始めから分かっていたことだった。それなのに、これ以上関係が壊れることを恐れて諦めてしまっていた。
平古場が諦めれば、それ以上進む可能性なんて本当にゼロになってしまうのに。
それにきっと、とっくに友情なんてものはあの日に失くしている。
あるはずだと勘違いして、見っとも無くそれに縋って友情ごっこを演じていれば、本気だ何て伝わるはずがない。
木手のその胸に平古場と同じ想いを抱くことはこの先無いかもしれない。けれど、せめてこの気持ちが本物だとは伝えたかった。
それだけでいい。木手の中でこの想いを嘘にだけはしたくなかった。
「例え本気だったとしても、君の気持ちには答えられません」
大きくもなく小さくもない静かな声が平古場の耳へと届いた。そこで、やっと木手へと向けていた瞳をゆっくりと閉じた。
予想通りの答えは、以前よりも穏やかに平古場の胸の中へと落ちてきた。
少しだけ心の整理がついた気がした。あの日、好きという言葉も否定の言葉もはっきりとはお互い口にしていなかった。ただ、曖昧なまま最悪のシナリオを想像して今日まで来てしまった。
「そっか。やしが、やっぱ諦められそうにねーらん」
「俺が君を好きになる可能性なんてありません」
「それでもいい。やしが、まだやーにわんの本気だって気持ち伝えきれてねーらん。だからそれを伝えきるまでは諦めないことにした」
「無駄な努力、という言葉をご存知ですか」
「かしましい!」
伝えると決めたら、終わったと思っていた感情に色がついた。終わりじゃない、ここから始めればいいんだと相変わらず冷たい視線を向けてくる木手へと不敵な笑みを向けた。
荷物を担ぎ直して下駄箱へと向う為に階段をおりた。平古場の後に続いて降りていた木手はふと気がついたことを口にした。
「平古場クン」
「んーみ?前言撤回してとらせるぬ?」
「そんな馬鹿こと言うわけないでしょう。それより、その頭どうしました?」
頭がどうしたのか、と階段の中ほどで足を止め振り返れば、平古場より3段ほど高い位置から木手が見下ろしていた。上から覗きこむようにされると、妙な圧迫感と余計に広がった身長差の所為で首が痛むほど上を向く羽目になった。その背の高さに小さな苛立ちを覚えて、平古場は眉間に皺を寄せる。
「随分と生え際が黒くなっていますね。君がそこまで手入れしていないなんて珍しい。染め直さないのですか」