マスコット・ラン
2
「奇をぶつけて機を得る、か。いやいや、流石はホータロー。味な真似をするじゃないか。ただ惜しむらくは伏兵、摩耶花の存在を忘れていたことだね」
里志が逃亡に失敗した俺を肘でつついて茶化してくる。その芝居がかったいじり方が更に俺を惨めな気分にさせる。くそ、文庫本を盾にふてくされるしか、残された道は無いじゃないか。
「わ!何このぬいぐるみ。可愛い!ちーちゃんの?」
「いいえ、違います。これはさっき連絡廊下で拾った落し物です。これからこのぬいぐるみの持ち主を探すのですけれど。そうですよね、折木さん」
「……異論はありません」
異論はありませんので、どうかその目が笑ってない笑顔をこちらに向けないで頂きたい。
「何よ、折木。いつになく殊勝じゃない」
「ああ、摩耶花。それはね……」
伊原にまで知られたらどうなることか、想像するだけでも恐ろしい。言わせてなるものか。
いつの間にか隣の席に場所を移していた里志の足を踏みながらたずねる。
「それよりだ、里志。これが手芸部のぬいぐるみなら、買っていった人に聞いてまわればいいだろう。ぬいぐるみを買った人に心当たりはあるのか?」
「僕はないね。知っての通り手芸部に関しては、僕は展示参加だけだったから」
「じゃあ、このぬいぐるみに関しては何にも知らないのか?」
里志はその言葉にわざとらしくムッとした顔を作る。本気で怒ったのではなく、里志なりのジョークだろう。目が笑っている。
「まさか。制作過程には関わってないけど、ちゃんと文化祭でのぬいぐるみの戦果は把握しているよ。ぬいぐるみは確かウサギ、イヌ、ヒツジ、ヒヨコ、カエル、イカの六種類で確かそれぞれ四個ずつ用意していたはず。全部売れたとは聞いたね」
「じゃあこのカエルさんは四人いるわけですね」
「まあ、そうなるかな」
ということは一人一個買っていったと仮定した場合、最低でも四回は人にあたらねばなるまい。譲渡などのやり取りがあって、人から人へと移ったとしたら更にそれ以上になる。
「そうだね。ちょっと手芸部のところまで行ってみようか。監督の必要無い手芸部は今も活動しているはずだし」
「ちょっと待て。まさか聞き込みでもしようっていうのか?」
「そういう話をしていたんじゃない。あんた、ちゃんと聞いてた?」
伊原の冷たい視線が刺さる。
「このまま落し物置き場で保護してもらうに一票」
「それは無粋というものだよ、ホータロー。大人しく一緒に行くほうが賢明だと思うけどなあ」
気付けば伊原が底意地の悪い顔、千反田がふくれっ面をしている。里志は黙らせることができても、千反田から事の次第を聞いてしまったのか。俺の最後の足掻きはあっけなく粉砕された。
「駄目です」
あくまでにこやかに答える千反田。背筋に冷たい汗が流れた、気がする。
「ま、諦めるんだね」
慰めのつもりか、里志は俺の肩をポンと軽く叩いた。
そして首を繋がれた犬よろしく、古典部一行の最後尾をトボトボと歩かされていく。ああ、アンニュイだ。
「カエル?」
「そうです、カエルのぬいぐるみ。買っていった人知りませんか?」
手芸部は確かに活動していた。針作業はあるものの、監督無しでも活動許可は出ているらしく、職員会議で休みにはなっていない。部員である里志が早速、売り子をやっていた二年の女子生徒に聞き込みを開始する。
「んー、あ!確かに覚えているわよ。うん。覚えている」
たった今思い出したことを反芻し、何度も確かめているにコクコクと頷いてみせる女子生徒。
「良ければ教えてもらえませんか?」
「えっとね、入須でしょ。それと、子連れのおばあさんが一つ。あとの二つは、……かぼちゃ?」
思わず里志は聞き返す。
「かぼちゃ?」
「ハロウィンのかぼちゃおばけの被り物した二人組が買っていったよ。『とりっくおあとりーと!』って言っていたから間違いない」
手帳にシャーペンを走らせる。メモを書き終わり、手帳をポケットにしまうと、里志はその女子生徒に頭を下げた。
「ありがとうございました。助かりました!」
里志は手芸部の部室の外で待つ俺達のところまでやってくる。
「……福部くん、何しにきたの?」
女子生徒はそう呟く。どうやらその独り言が耳に届いたのは俺だけだったようだ。
「なあ、どうせ里志が聞きに行くのなら別に全員で来なくても良かったんじゃないか?」
里志が戻ってくるのを待っている間、今更ながらに気づく。
「いえ。そうじゃないと折木さん勝手に帰ってしまいそうなので」
千反田の返答の意外な早さに口を大きく開けていると、里志が教室から出てきた。
「やあ、お待たせしたね。……どうしたんだい、ホータロー。間の抜けた顔して」
「折木の間が抜けているのはいつもの事でしょ。それより福ちゃん。どーだった?」
相変わらず伊原の俺に対する扱いはひどい。
「いや、簡単にわかったよ。あのカエルのぬいぐるみを買っていったのは、入須先輩、外のおばあさん、かぼちゃの二人組だそうだよ」
入須……。その名を聞き、顔が強ばるのが自分でもわかる。二年の入須冬実。通称女帝には一杯食わされた経験が俺にはある。いわゆる『女帝事件』。それ以来俺は入須に苦手意識を持つようになり、それはまだ拭いきれていない。
「福ちゃん、かぼちゃって?」
「さあ、仮装した二人組が買っていったらしいよ。被り物していて顔は見えなかったんだって。どこの誰か全くわからないらしい」
苦い気持ちの俺をよそに三人は話を続ける。
「しかし、困ったね。入須先輩しか聞けそうな人がいないな」
「どうしましょう」
千反田が今後の行動指針に悩み始める。
よし、ここは……。
「ちょっといいか?」
「はい。何ですか?折木さん」
「俺には実はそのかぼちゃの二人組、心当たりがある。そこで、ここは二手に別れることにしないか?俺達はかぼちゃの二人組、伊原と千反田は入須先輩。千反田は入須先輩と親しいし、その方が良いだろう」
「それはいい考えですね!では早速行きましょう!摩耶花さん!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。ちーちゃん」
そう言うやいなや両手をパンっと合わせた千反田は、伊原の手を取って早歩きし始めた。二人の背中がだんだんと遠ざかって行く。
それをぼうっと見ていると、隣で里志がニヤつきながら小突いてきた。
「上手く女帝から逃げたね、ホータロー」
「何を言っている?俺はエネルギー消費が少ないやり方を提案しただけだ」
手芸部部室の家庭科室や、古典部部室の地学準備室は特別棟にあり、クラス教室がある一般棟には連絡廊下を渡らなければならない。折木奉太郎には少し遠すぎる行程だ。ただそれだけ。……それだけだ。