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ありえねぇ 6話目 前編

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 悪漢に襲われているか弱い女性の危機を救う。すなわちそれはオタクでも恋が芽生えるチャンスである。
 少なくとも、『電車男』ではそうだった!!
「いざっ!! リアルから虚構の世界へダイブ~!! じゃじゃじゃじゃ~ん!!」
 
 遊馬崎はベートーベン第五番、……運命のメロディを口ずさみ、ウキウキ背中のリュックサックのポケットを後ろ手で開け、500ミリリットルのガソリン入りペットボトルを掴み出した。
 ポケットからライターも出して左手に持ち、踵を返して現場へと向かう。
 どんな陰惨な現実が待っていようと、本やドラマみたく、現実を虚構の世界とごっちゃにし、楽しいスリルで遊んでしまえばいい。
 今、全力で突っ走る遊馬崎自身の心は、物語や映画に出ている英雄かスーパーマンのようなヒーローとなっていた。


 遊具が乱立している広場から少し外れた場所に、鬱蒼とした広葉樹の茂みがある。
 その場には、黄色い布を体の何所か一部に巻きつけている少年達が20人程。
 彼らはぐるりと円陣を組むように立ち、人で壁を作っていた。だが足が乱立している隙間から中を伺い見れば、ベージュ色のコートを纏った黒長い髪の女が、スーツ姿の男二人に、地べたにうつ伏せに押さえつけられた上、その頭目掛けて来良学園の青い制服姿の少年と私服の少女が、二人掛りで散々足蹴にしているではないか。

「せーのー、…………とぉりゃああああああああ♪♪」

 あくまで明るく、遊馬崎は盛大に円陣に向かい、豪快にペットボトルの中身をぶちまけた。
 頭の上から降ってきた鼻に付く異臭に驚き、それがガソリンだと気がついた少年達は、慌てふためきこっちを振り返る。
 だが、その頃にはもう、彼は薄っすらと目を細め、ライターを見せびらかし、にまにま口元に笑みを浮かべている。

「いやー、黄巾賊の皆さんってば、いけませんねぇ。寄ってたかって女の人をリンチするなんて。ここは穏便にその人を解放する気、ありませんかぁ? 今なら俺も見逃して…………って、え? ……ええええっ!?」

 彼が驚愕の奇声を発したのも、無理はない。
 だって円陣の中に、ついさっきまで身を案じていた、その当人がいるではないか。
 しかも腕を組み、仁王立ちし、明らかにボスポジションだ。女を痛めつけるよう指示していたのは、絶対彼の筈。
 ありえない!!
 
「紀田君、あんた一体何やってんすか!!」
「煩い。引っ込んでろ」
「できる訳ないでしょう? あんただって昔、恋人をリンチで失ったじゃないですか。なの何で徒党を組んで、か弱い女性にこんな酷い乱暴を……」
「煩い黙れ!!」

 ピシャリと怒鳴られ、目が点だ。
 駄目だ紀田。完全にキレてるし。
 その女が、何をしでかして彼をこんなに怒らせたかは知らないけれど、ここで見過ごして女性の身に何かあれば、チームのリーダーな紀田だって、責任取らされ少年院に送られるかもしれないレベルだ。 
 知己の少年を、みすみすそんな場所に送る訳にはいかないから。
 遊馬崎は舌打ちし、左手に持ったライターに火をつけた。
 話し合いの余地が無ければ、実力行使しかない。

 ワザと足元にも少し零し、気化して上がってきたガソリンにライターを翳せば、一瞬で大きく火が上がり直ぐに鎮火する。
 そんな、マジックショーに出てくる派手なパフォーマンスに踊らされ、ぐるりと取り囲んでいた少年達にも動揺が走る。後ずさったり逃げ腰になる子達が出れば強固な円陣でも、崩れて隙がでる。
 その開いた穴に、遊馬崎は躊躇い無く足を踏み入れた。
 何時でもお前らに火を付けられるのだと、ライターの火をゆらゆら翳しながら。

 だって現実、多勢にたった一人なのだ。
 怯んだら最後、集団で飛び掛ってくる。となるとこっちの身がヤバイ。

「紀田君。その女性を放しなさい。今、直に」
 きりきりと緊張の糸が張り詰めていたけれど、努めて優しく、年上らしく諭し、空いている手を差し伸べる。
 
 紀田は一年前、恋人をブルースクエアのメンバーに拉致されたあの事件以降、沙紀を助け出した自分達4人に物凄く恩を感じてくれた。
 それ以来、彼は自分達に対し、懐いて信頼を向けてくれたのだ。そして自分達も慕われればそれなりに扱いは格上げとなる訳で、云わば彼ら4人の弟分のような扱いだったのだ。
 それなりに築いて来た絆があると自負している。
 だから、遊馬崎の言葉はきっと紀田に届く……。
 筈だったのに。

「……何で……、何であんたが、俺の邪魔をするんですか?」

 ぎりぎりと歯を食いしばり、俯いた前髪の奥から覗く琥珀の瞳が、ぎらぎらとナイフのように尖る。

「紀田君?」
「門田さんに筋は通した。なのに何であんたが、あんただけが、俺の邪魔するんだよ!!」
「はぁ?」
 何の話ですか、それ?
「俺、聞いていない。知らない。ええっ?」
「とぼけんな!! 今日の話だ!!」
「マジで俺知らない。俺、今まで仕事で、今から門田さん達と合流する予定で……、あっ」

 口論に熱中している隙を突き、遊馬崎の目の前で女が脱兎で駆け出していた。
 なのに取り囲んでいた少年達は、木偶の棒みたく立ちすくんだままで、紀田の命令が無ければ何一つできないんじゃないかって言うぐらい、彼に依存しきっているみたいな変な違和感を感じる。
 まるで、紀田が人形を操っている、そんな印象。

 口をぽかんと開けて黙ってしまった遊馬崎をいぶかしみ、紀田も背後を振り返る。
 そして、彼も女の逃亡を知ってしまった。

「逃がすか!!」
「ちょい待ち!! 紀田君?」

 遊馬崎が慌てて襟首を引っ掴み、引き寄せて両脇に腕を差し込み、背後から羽交い絞めにして止める。
「離せ!!」
 狂ったように暴れる彼を押さえつけるのは骨だったが、自分の方が背が高い分、手のリーチもある。
「よくもよくもよくも!! 矢霧波江ぇぇぇぇぇぇ!! 波江ぇぇぇぇぇぇぇ!!」
 騒ぎに気づき、いつものように門田のお節介命令が炸裂したのだろう。女性の向かった先から、駆け寄ってくるワゴン組みの残り三人の姿が見える。
 ここはまず、冷静に皆で話し合った方が良いだろう。
「門田さん、紀田君を押さえつけるのを手伝ってください!!」
「門田さん渡草さん狩沢さん!!その女が!!……、そいつが俺の帝人を殺そうとしやがった主犯だ!! 捕まえて!! 」

 途端、一番早かったのが狩沢だった。
 小柄な体なのに、フットボール選手のように身を低くし、波江の腰目掛けて、捨て身で強烈なタックルをかます。

「きゃあああ!!」

 狩沢諸共力一杯地面に横転した女に、直に門田と渡草が駆け寄って、取り押さえる。
 ボロボロな女も死に物狂いで暴れており、遊馬崎にはもう何が何だかさっぱり判らなくて。

「いい加減離せ遊馬崎!!」
 敬語を剥奪され、鳩尾に強烈な肘鉄も喰らい、腹を両手で押さえて蹲る。
 だが狩沢が、服についた泥を手で叩き終えた後、更に遊馬崎の脳天に強烈な拳骨を食らわせた。

「紀田っちごめん、この馬鹿には後からあたしがキツク言っておくから」
 何で!? 俺、何で!? 


★☆★☆★


 狩沢が何か言ってきたようだが、正臣はもう形振り構って入られなかった。