ありえねぇ 6話目 前編
2.
ねえ、どうして?
ねえ? 何で神様は静雄兄さんに、変な力を与えてを悲しませるの?
俺も頑張ったのに。
何されても我慢した。
気遣って我侭一切言わなかった。
なのに何で、ねえ、どうして?
何で俺のたった一つしかない願いを、叶えてくれなかったの?
ねえ、何でなんだよ。
答えろ神様!!
★☆★☆★
同日18時半。
「はいカーット!! 幽平君の撮り、これで終了です。お疲れ様!!」
監督の声が終わりを告げた途端、スタジオの緊張の糸もふっと途切れる。
と同時に、幽も今まで浮かべていた悪魔じみた妖艶な笑みが霧散し、いつもの無表情へと変わる。
今日の仕事はTVドラマ【執事達の沈黙】の特別編の撮影だ。
幽は半年前、このTVドラマで、お嬢様に忠実に仕える理想的な上っ面で、実は危険な恋を仕掛ける危ない執事を好演し、世の中の女性をメロメロにした。
TV放送も60年。その長い史上で歴代3位の高視聴率を挙げ、幽平に傅(かしづ)かれつつ、誘惑されたい乙女達が続編を望み、彼女達の熱意がネット署名運動にまで発展し、ついに100万人集まった段階でTV局がGOサインを出したのだ。
しかし、一昨日はエレベーターの事故でスタジオに入れず、昨日は別の仕事が入っていた為、今日は遅れていた分も含めての強行軍。
午前11時にスタジオにINして以来、昼も休憩も取らず、今までほぼぶっ続けで撮っていたのだから、流石の幽も疲労困憊だ。
「でも、流石幽平君だね。ミスがない」
「深夜までかかるかと思ったから、こっちも大助かりだよ」
監督やプロデューサーそれにスタッフ達に、失礼にならない程度に会釈し、とっとと楽屋へ向かう。
無事やり遂げられてほっとした。
嫌味でもなく、今自分は売れに売れている俳優だから、『労働基準法は何所へ行った』と聞いても虚しくなるぐらい、朝から晩まで超過密スケジュールが組まれている。休みだって一月に一日あれば御の字で、もし今日中に、予定通り撮り終えられなかったとしても、では明日、また明後日……と、楽々アポを入れられる余裕もない。
(さて、これで明日の9時までは自由時間か)
黒い燕尾服を脱ぎ捨て、ゆったりしたチノパンにTシャツを着、その上からざっくりした黒ニットを上から被って、足早にエレベーターを目指しつつ、愛車の鍵をポケットから取り出す。
腹も空いたし、それに早く新居にいって業者を帰さねば、隠れているミカドが、一人心細がっているのではないかと心配になる。
愛車ポルシェの運転席に腰を降ろし、カバンをぽんと助手席に放り投げると、かさりと紙の音が鳴る。
小首を傾げながらカバンの下のカバークッションを捲れば、知らない片手で持てるぐらいの大きさの紙袋があった。
「何だこれ?」
中を開けば、ブラックの小さな缶コーヒー一本とチョコクッキーの小袋、ドーナツが3種類、それからメモが一枚入っていて。
『幽さんお疲れ様。家に帰るまでのおやつにどうぞ♪ byミカド』
「……ちょっとびっくりした……。ミカド、ありがとね」
遠慮なく、缶コーヒーのプルトップに指をかける。
その時、幽自身気がついていなかったが、口元は弧を描き、確かに笑みを浮かべていた。
★☆★☆★
だが腹を満たし、ポルシェを機嫌よくかっ飛ばして購入したマンションに到着したのに、エントランスに直立不動で青い顔していたスーツの男二人が、幽を見つけた途端、いきなり土下座を始める。
脂ぎった恰幅の良い男の方を見て、こくりと小首を傾げる。
今朝自分と契約した、不動産会社の営業部長とその部下だ。
「何か書類に不備でもありました? 訂正印必要ですか?」
引越し業者の社員達が、エレベーターにせっせと荷物を運び、回収したゴミを降ろし……と、忙しなく人の出入りが激しいこんな所で、人目も憚らずに頭を床に摩り付けているなんて、余程疚しい事があった筈。
部長の方が、油汗をかきながら顔を上げる。
「実は、本日の引越しは、急な上、しかも大変時間が限られているものでしたので、手配した業者も随分無理して来て貰った訳で、……その、つまり……、何と言いますか……、スピード重視で作業しましたので、……家具や調度品や諸々が色々と壊れたり傷だらけになってしまい……」
「業者が雑な作業をしたって事?」
「はい、そうです!! すいませんでした!! 家具その他の損害諸々は、賠償責任保険を掛けておりますので、直ぐに手続きいたします!! それから、直ぐに新しい家具も当社の費用負担で手配いたします。今、カタログを持ってまいりました。選んでください!!」
「別に、使えるならいいよ。保険だけそちらに任せる」
どの道、兄が一度でもひょこひょこ遊びに来れば、数点は木っ端微塵にされ、ご臨終を迎える代物だ。それにインテリアコーディネーターにお任せで揃えた家具なんて、執着なんて元から無い。
「それと、大変申し上げにくいのですが……、輸送中にネコがゲージから逃げ出し、行方不明に……」
「え? 独尊丸がいない?」
ずくんっと、心臓が妙に痛んだ。
嫌な予感がする。
ミカドは……、あの首の無い幽霊は、まだたった数日しか一緒に過ごしてないけど、世話焼きで物凄く優しい。
起きた時、幽が大事に飼っている仔猫が行方不明になったと知ったら、あの子の性格ならどうする?
迷子になっている哀れな仔猫を、後先考えずに探しに飛び出してしまう可能性は大だ!!
(ミカドミカド……、土地勘無いのに早まるな!!)
暑苦しい二人の間をすり抜け、ダッシュで荷物を積んでいたエレベーターに駆け込み、扉を閉める。
住む部屋は最上階。
エレベーターが止まった途端、猛然とマンション内へ駆け込んだ。
靴も脱がずに部屋の中を突っ走り、ミカドを今朝隠した木製クローゼットの扉を勢いよく開けた。
だが、毛布もクッションも何もかも無くなって、空っぽになっている。
それならばと、荷物がまだ散乱してるマンションの部屋中を駆け回り、カーテンの陰、ベッドの隙間、本棚の裏、机の下等、片っ端から隠れられそうな場所を探したが、やはり、気配すらない。
(ミカド………、ミカド……、ミカド……いない、……いない、何所へ!!)
とくんとくんと、心臓が嫌な音をたて、喉がカラカラに渇いていく。
あの子がもしこのまま帰って来なかったら?
あの子がもし、自分の元から離れてしまったら!?
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
絶対に嫌だ!!
「あのぉ……、ネコはもし見つからなければ、器物損害事故として処理する事になりますので、時価で賠償させていただきます……」
いつの間にか追いついてきた営業マンの男が、冷や汗をかきながら書類を差し出してきた。
器物損害? 唯我独尊丸が?
「は? 何それ? 独尊丸は生き物だよ」
「ペットは持ち主の固有財産になりますので、法的に物損扱いになるんです」
「ふざけるな!! 彼は俺の大事な家族だ!! 金なんかで償えるか!!」
この不動産業者の男は、幽の所属するプロダクションの社長経由で紹介されたから、少なくとも半年以上の長い付き合いがあった。
作品名:ありえねぇ 6話目 前編 作家名:みかる