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紅月の涙

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僕の力がどれだけ及ぶかは分からない。アッシュが戻るまで持つかは分からない。
それでも僕は無我夢中、と言うよりほぼ自棄だった。何としてでも彼を止めなければならない。


ユーリは僕が話を聞いても尚止めるとは考えていなかったようだ。
彼の全身はいとも簡単に僕の包帯に絡め取られ、その表情に動揺が生まれる。
やがてそれが傷付いたものへと変化していく様に、罪悪感を覚えなかった訳ではない。
彼自身のの為とはいえ、僕が彼を裏切ったのは事実だ。
だが今は容赦をしている場合ではない。少しでも隙を作ってしまえばそこに取り入られる。
僕は心を殺してユーリを拘束する事に集中し、全力を注いだ。
戒めを解こうともがく彼を徐々に締め上げていく。通常なら全身を大破させても可笑しくない程に能力を全開にしても、彼を拘束するので精一杯だというのだから恐ろしい。

どれ程そうしていただろうか。やがて、完全に宙へと縫い止められた彼の四肢が力なくだらりと垂れ下がる。
抵抗するのを諦めたのかと浮上しかけた安堵を押し留める。油断する事は出来ない。頭の回る彼の事だ、油断した隙を突くつもりなのかもしれない。
今まで苦渋に満ちていた彼の表情は既に色を失ってしまっており、何も伺う事が出来ない。
しかしそれも一瞬の事。

「クッ…」

引き攣った様な笑い声と共にゆっくりと彼の口元に描かれる美しい弧に、ぞくり、と全身が戦慄した。
其処に躊躇というものは感じられない。最早僕の知るユーリの面影は無い。猫の様に細められた彼の瞳は煌々と光り、排すべき敵として僕の姿を捉えている。
今まで彼の兄に向けられていた純粋なまでの殺意。その恐怖は、それが全て己に向けられた時初めて知るものだと身を以て思い知らされる。まるで僕が囚われている様な錯覚に捉われ、蛇に睨まれた蛙の如く足が竦んで動かない。
これ程までに恐ろしい存在だったのだ。ユーリという男は。

「そうか…そうかスマイル…私はお前を侮っていた様だ」

捕らわれているという事を微塵も感じさせない態度でゆったりと言葉を紡ぎ、ユーリは己の唇を舌でゆっくりとなぞって見せる。
その妖艶な仕草に、彼の吸血鬼の他人を魅了する本質たるものが垣間見え―――畏怖すら覚えた。

「よもやお前が此処まで私の邪魔をするとは思わなんだ…あそこに辿り着くまで力を温存する筈が予定外だ。お前は恐ろしい男だよ」

刹那彼は血の様に紅い羽根を大きく広げて包帯を突き破り、一瞬にして霧散させてしまった。
しかしそれに相当の力を浪費してしまったのだろう、宙へと放り出された彼は身体を上手くコントロールする事が出来ず、着地が出来ないまま床へと叩き付けられた。

そう、だから僕は油断していたのかもしれない。
本来ならばその隙を突いて彼を拘束し直すのが道理だというのに、自分を拘束していた殺意が一瞬でも緩んだ事に慢心してそれを怠った。

次いで隙を突かれたのは僕の番だった。
気付いた時既に僕はユーリの顔を目の前に壁を背にしていて、両手に激痛を感じたのはその直後だった。

「うぐ、うあ、ァ…!」

意識を失う程の尋常ではない痛みに押さえられない声が上がる。
右半分の視界の端に捉えたのは、貫通して壁を抉る程に深く掌を貫いている短剣。包帯により遮られている左側は確認出来ないけれど、激痛が両手から発せられている事から左手も同じ状況にあるのは間違いない。
ユーリは尋常ではない俊敏な動作で、懐から取り出した短剣により僕の両手を壁に縫い付けたのだ。
…恐ろしい素早さだ。距離を詰める姿すら視認する事が出来なかった。とても力を浪費してしまったとは思えない。

「嗚呼…可哀想なスマイル。お前が悪いのだよ、私を止めたりしようとするから…」
「正直、お前を侮っていたよ。あれ程の能力を身に付けていたとは…恐ろしい奴だ。だがこれ以上力を浪費する訳にはいかないのでな」

耳元でユーリの声がする。其処に先程までの殺意は感じられない。憐れみを帯びたその声色には、寧ろ慈しみすら感じさせる。
僕を拘束してしまったからだろうか、大した余裕だ。
しかし、目の前に居る筈の彼の姿を上手く捉える事が出来ない。神経が麻痺した様に全身が弛緩している。これは痛みだけに起因するものではない。
そしてこの只ならぬ激痛…意識を保っているのもやっとだ。たかだか短剣で両手を突き刺されただけで此処までダメージがあるものだろうか?

「喋る事も儘ならないか…無理もない」

考えを巡らす事で精一杯の僕に対し、その疑問に答えるかの様にユーリの口から信じられない言葉が飛び出した。

「これは銀で出来ている。お前の力では抜く事は愚か身動き一つ取れないだろうな」

銀。
銀と言えば、夜の眷族に対し圧倒的な威力を発揮する恐ろしい存在だ。その効果は長点に経つ吸血鬼にも例外なく適用され、心の臓を貫いてしまえば不死とも言われているその命を奪う事さえ可能だと言われている。
もし本当にそんな恐ろしいもので出来た短剣で貫かれているのだとすれば、僕が受けた損傷の大きさにも納得が行く。割と傷の治りも早いというのに、未だ血の気が急速に失われていく感覚がもするのだから間違いない。
吸血鬼にすら厳しい所業だ、彼らに到底及ばぬ透明人間の僕には抜く事は愚か、身動きすらも許されない。こうして意識を保っていられるのも奇跡に等しい。

しかし、何故そんなものを、ユーリが―――?

全ての辻褄が合ったとは言え、驚愕の余り言葉を発する事が出来ない。
彼が手にしている武器は総じて地下室から持ち出されたものだ。大敵とも言える銀の武器を何故自ら所持していたのか…?
僕たち夜の眷族、特に吸血鬼を殺そうと狙うのは大概人間だ。護身用であれば通常のものでも十分だし、寧ろ奪われてしまえば自分の命を危険に晒すだけだ。
そんなリスクを負ってまで、所持するべき理由があったとでも言うのだろうか。

しかしユーリは答えない。彼の瞳は、既に僕の姿を映してはいなかった。

「アッシュはシャディのところか?ならあいつが戻ってこれを抜いてくれるのはまだまだ先になりそうだな…」

「ユー…リ…!」

「それまでお前はこのまま大人しくしていれば良い。大した外傷ではないから死にはしないだろうし、時間はかかるだろうが傷も癒えるだろう」

銀の作用により神経が麻痺する中、必死に絞り出した声すら届く事はない。
僕の抵抗も空しく、寄せられていた華奢な身体がゆっくりと離れる。彼はこのままシャディの元へ行くつもりだ―――焦燥感が高まっていく。

ダメだ。アッシュはまだ戻って来ない。
行かせてはいけない。
行かせてはいけないのに…!

「ユーリ、駄目だ…、行っちゃ、駄目…!」

ただ静止の声を上げる事しか出来ない無力な僕を嘲笑う様に、ユーリはゆっくりとした動作で人一人抜けるのは容易な程大きな造りをした窓へと歩み寄る。
その窓枠に足をかけ、羽根を大きく広げて出て行く最後の瞬間――――一瞬だけ彼は僕の方を振り返った。

狂気。

それが彼の浮かべていた表情に最も相応しい言葉だろう。月明かりに照らされて煌々と光る三日月の様に細められた紅の瞳、そして限界にまで釣り上げられた口角が生みだすそれは、最早正気を感じさせるものではない。
作品名:紅月の涙 作家名:侑莉