The beginning of a journey.
真っ暗で何も見えない。
それは目を瞑っているからだ。
ゆっくりと目を開き、視界を明かす。
あれ? ここって……。
あたしの部屋の筈だが、明らかに今までとは違っていた。
置かれている家具やベット、カーテンの色、壁紙、あった筈の漫画や雑誌。
へたり込んでいた体を起こし、壁に掛けられた日捲りのカレンダーを見る。
六年前の十二月。
カレンダーの日付は、リープが成功した事を意味していた。
あたし達が、まだ小学五年生の頃のクリスマス間近。
この頃のあたしは、未だに君と外で泥んこになりながら遊んでいた事を覚えている。
部屋を出て、家の玄関へ向かう。
まずい、私の靴がない。
幸い、家に母さんはいないようで、今なら好き放題に行動できるというわけだ。
玄関横に立て付けてある棚から、母さんのローファーを探り出す。
さすが母さん。
高校時代の品を、まだ残してくれているおかげで、なんとか助かった。
サイズもピッタリ。
足を入れたローファーの爪先で、コンコンと床を軽く踏み、玄関の鍵を開け、ドアノブに手を掛けた。
その時、あたしが外側へ開こうとしたドアノブは、勢い良くこちら側へ押し返された。
ドアノブから手を離し、狭い玄関の中で数歩だけ後ずさる。
誰?
外からドアを開けたのは、まだ幼い小柄な少年。
一目で分かった。
この時代の君だって。
あ、ぁぁ……えっと……。
言葉が出ず、思わず私は逃げ出した。
どうして?
分からない。
この時の君へ何を話せば良いのか分からなかったのだ。
夕陽は傾き、西日が強くなってきた頃。
私は公園の、大人が一人やっと入れるくらいの大きさの遊具の中にいた。
幸い、この時間、この場所には誰もいないようで、今を凌ぐには絶好の場所だった。
君を前にして、思わず逃げ出してしまった。
こんな事じゃ、リープして来た意味がないじゃないか。
このままじゃ、いずれ君は彼女と……。
涙が溢れてくる。
ポロポロと容赦なく溢れてくる、堪える事のない涙。
せめて、この時のあたしを見て未来へ帰ろう。
きっと笑っているんだろうなぁ。
遊具から出ると、西日が強く私を照らす。
オレンジ色に染まった夕焼けが、公園の遊具を、街を、眩しく儚い色に染め、長い影を作っていた。
そんな公園に、長い影がもう一つ。
俯いていた顔を上げると、その影の主は先の君だった。
幼く小さな背中を震わせ、頬を少しだけ染めてあたしを見上げている。
幼い君は、年上のあたしを見て聞く。
あなたに似た人を探しているんです。
何か知りませんか?
息を荒げ、必死な表情で私を見ている。
そんな君に、私は愛想笑いを浮かべて、こう言うしかなかった。
ごめんね。
何の事だか、分からないや。
君はあたしに一礼し、再び走ってこの場を去って行った。
君が去った後、あたしは地にへたり込む。
あたしのせいだ。
リープは、未来から来た人に過去の人が上書きされてしまうんだ。
なら、あたしが未来へ戻れば……。
早く帰ろう。
先と同じ様に、ギュッと目を瞑り、力強く両手を握る。
お願い、未来に返して!
数分、数十分、祈り続けても、あたしがこれ以後、時間を移動できる事はなかった。
リープは一方通行。
未来には飛べなかった。
公園の遊具の中で、へたり込んでいた。
未来には帰れない。
君は、あの頃のあたしには会えない。
自分が冒した事態が腹立たしい。
心の中で自分を罵倒し続けて、また泣いた。
あの……。
遊具の外から聞こえて来る、幼い少年の声に振り向く。
外から中を覗いていたのは、君だった。
慌てて涙を拭いて、笑顔を作る。
俺、どうしても気になって。
だから……その、何か知っている事とか、本当にないのかなって……。
こんなに泣きそうな君は、見たくない。
だから事情を説明しようとしたけど、寸手のところで止めた。
君に全てを打ち明ける事。
それはダメだって、どこかで気付いていたから。
どうして……さっきから、こんな所にいるんですか?
ちょっとね、家を追い出されちゃって。
歯を出して笑って見せ、信憑性のない嘘を吐いた。
しかしそんな嘘でも、君は真面目に受け止めてくれた。
じゃあ俺の家、来ますか?
この頃、君の両親は共働きで、家にいない事はよくあったのを覚えている。
その度に、あたしの家で夕飯を一緒していたんだっけ。
でもこの時代のあたしがいない今、そんな事は出来ないんだ。
結局、あたしは君の家に泊まった。
寝る時は、両親にバレテしまわないように、君の部屋の押し入れの中に布団を敷いて。
なんだかドラえもんみたいで、少しだけ笑えた。
翌日から、君は学校をサボってまで、あたしを探し出す、と言い出した。
あたしは彼の額にデコピンを喰らわせ、その任はあたしが負った。
凄く辛かった。
あたしのせいでいなくなってしまった、この時代のあたしを探すと、君に嘘を吐いて、あたしはこの時代をノウノウと歩いている。
次の日も、その次の日も……。
君は学校から帰ると、ランドセルを家に放り出し、すぐに街中を駆け回りに出掛けた。
そして帰って来た頃には、必ず泥んこで、ボロボロになって帰って来る。
膝や肘、体の節々にできた君の傷が、痛々しかった。
君の心も体も……全てボロボロになっていく。
やめて。
あたし、ここに居るよ。
だから、どこにも行かないで……。
あたしが君の家に来て、一カ月が経とうとしている頃。
長い冬は終わり、やがて暖かくなった気候は、春の訪れを予感させていた。
そんな時、君から両親の話を聞いた。
これから両親の転勤の為、遠くの街に引っ越す事。
あたしも、家出なんか続けてないで、早く家に戻った方が良い、と。
このままじゃ、いつまでも前に進めないんです。
だから、ここを発ちます。
いなくなったあたしを残し、君はここを発つと決めた。
もし、あなたがあの人だった、よかったのに。
そう言い残した。
引っ越しは翌日から始まった。
君の両親や業者に、あたしを見られるのは面倒だと想い、あたしは君の自宅近辺で、様子を見守る事にした。
結局、何も伝えられずに、あたしはここに残るのだろうか。
嫌だ。
そんなの、絶対に嫌だ‼
今こそ、彼に本当の事を伝えよう。
今までの事を全部。
だから全力で、私の元から去っていく彼の手を取った。
そして君と同様、ボロボロになって本当の事を伝えた。
年上の綺麗な女性。
リープ。
一方通行。
過去と未来のあたしの上書き。
そして、ありがとう。
その瞬間、視界が暗転し、景色が割れた。
見慣れた街、空、桜の木、地面、そして君。
それら全てに、硝子の様な亀裂が入り、ひび割れた空間へ私は吸い込まれていった。
作品名:The beginning of a journey. 作家名:レイ