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パラレルワールドストーリー

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「薄暑」

五月も中旬を過ぎ、連日暑さを感じさせるような快晴が続いていた。
 放課後、いつものように生徒会室へ行くと、部屋の中はエアコンが効いていて扉を開けた途端、ひやりとした空気が流れ出しトキヤの頬を撫でていった。
 窓に向け置かれたソファからはみ出した長い脚に溜息を吐き、テーブルの上にあったコントローラーを操作しエアコンを停める。窓を開けると五月の爽やかな風が吹き込んできて、カーテンを揺らした。
「…なんだい、イッチー。せっかく気持ちよく昼寝していたのにさ」
不意に聞こえた声に、ちらりと視線をやればソファの上で生徒会長のレンが欠伸をしていた。
「室温が下がりすぎです。風邪を引きますよ、レン」
「おや、心配してくれてるのか。優しいねぇ」
「体育祭前に倒れられては困りますからね」
学園は六月初旬に体育祭を控えている。
 体育祭といえば秋のイメージがあるが、ここでは生徒同士の親交を深める目的で、新入生が入学しやっと学園に慣れてきた頃に行うことと決まっている。
「体育祭実行委員会からの書類は揃いましたか」
「ああ、そういえば校内便で何か届いていたな」
「中身を確認して頂けてはないのですね。全く…」
窓を離れ、会長の机の上にある書類ケースを確認する。未処理と書かれた箱の中から封筒を取り出し、それを持って自分の席へ着いた。
 他校からの生徒間交流の誘いの手紙が七通、園芸部からの特別予算申請書、バスケ部からの遠征申請書、ブラスバンド部からの音楽講堂使用許可申請書…。最後の封筒には、海外旅行のパンフレットが詰まっていた。修学旅行の誘致だろう。
「ありませんね。今日が締め切りのはずですが」
「忘れてるんだろう。良いじゃないか、一日くらい」
「駄目です。期日は守って頂かないと」
他校からの手紙を開封し、興味深いものには自分のサインを入れ会長の机に戻し、あまり意味の無さそうな内容のものは纏めてクリップで留め庶務の机へと置いた。特別予算申請書と遠征申請書は金額を精査する為会計の机へ、音楽講堂使用許可申請は書類内容と講堂のスケジュールを確認し、サインを入れて書記の机へと置く。海外旅行のパンフレットはリサイクル用紙の上に重ねて置いた。
「…翔と音也が来たら、実行委員会へ引き取りに行かせましょう」
体育祭のスケジュール表を取り出しながら言うと、それまで横になっていたレンがむくりと体を起こして「おチビちゃんはともかく、イッキは来るかな?」と言った。背もたれに腕をかけ、トキヤを振り向いてにやりと笑う。
「可哀想に。昨日イッチーに叱られてひどくしょんぼりしていたじゃないか。いつもあんなに元気な子が、さ」
「別に叱ってなど…。あれは、ただ…」
慌てて言い返そうとして、トキヤは言葉に詰まって口を噤むとレンから視線を逸らしスケジュール表を広げた。レンが、ふんと笑ってまたソファに沈んでいく。それっきり静かになった部屋で、トキヤは昨日の放課後に起こった出来事を思い出していた。
 昨日は教師に呼ばれて職員室へ寄っていた所為で、生徒会室へ来るのがいつもより遅くなってしまった。トキヤが生徒会室へ入ると既に皆揃っていて、那月と真斗はそれぞれの仕事をこなし、翔と音也はキャビネットの掃除をしていた。トキヤの顔を見た那月がお茶にしましょう、と言っていつものように真斗がキッチンへ入っていったその後を、音也がついて入っていったので、嫌な予感がして覗きに行くと、音也はコーヒーメーカーをいじくっていた。
 -いつも入れてもらってるからさ、今日は俺が入れてあげるよ。
 そう言ってにこりと笑いトキヤのカップを取り出した音也に、結構です、と断った。一度そう言われて仕方なく音也にコーヒーを作らせた時、信じられないほどの砂糖とミルクを入れて出してきたからだ。
 -えー、良いじゃん。今度は絶対上手く入れるからさ。ね。
 -信用できません。
 そう言って、音也の手からカップを取り上げようとすると、音也が笑いながらカップを頭上に持ち上げて逃げ出そうとした。
 -おい、危ないぞ。
 緑茶の用意をしていた真斗が眉を顰めそう言った次の瞬間、音也の手の中からカップが零れ落ちて床に当たった。鈍い音を立ててカップは割れ、音也が慌ててそれを拾おうとしたので、やめてください、とトキヤは思わず怒鳴った。
 -ご、ごめん…。
 びくっと体を震わせて、音也が屈めていた体をゆっくりと起こす。
 -もう、あなたは結構です。
 そう言ったのは、音也に呆れて腹が立っていたのもあったが、音也が素手で割れたカップの欠片を拾い怪我をすることを恐れたからでもあった。真斗にはそれが分かったのだろう。音也の背中を押してキッチンの外に連れ出すと、掃除機を持って戻ってきた。
 -ありがとうございます。結構気に入っていたのですが…新しいカップを買わないといけませんね。
 欠片を拾いながらそう溜息を吐いたトキヤに、真斗は、ものにも寿命というものがある、そういう運命だったのだろう、と静かに言った。
 音也はその日一日、静かだった。反省をしているのだろうと思い、トキヤは敢えて声を掛けなかった。いつも通りに仕事を進める真斗、気遣わしげな顔をしている那月と翔を尻目に、レンだけがにやにやと笑っていた。
 生徒会室の扉がカチャと鳴った音で、不意に意識を引き戻される。扉を見るが、すぐに開く気配が無く、外から僅かに話し声が聞こえてきた。暫くして真斗が入ってくる。その向こう、閉まっていく扉の隙間から見えた赤みがかった髪にトキヤは溜息を吐いた。
 それが音也の姿だとすぐに分かったが、音也は廊下に立ち止まったまま生徒会室には入ってこなかった。
 真斗が「遅くなってすまない」と言って自分の席に着く。その五分後に、やはり同じようにして那月が入ってきた。那月は困ったような顔をしてトキヤを見ると、「仲直り、しませんか?」と言った。
「仲直りも何も、喧嘩をした覚えもありませんが」
扉の向こうへ聞こえるよう、言ってやる。それでも音也は入ってこない。
 また五分して、今度は翔が来たのだろう。廊下の外で騒ぐ声が響いてくる。翔は特別音也と仲が良いので、どうにかして音也を中に入れようと努力しているのかも知れない。
「ああ、煩くて眠れやしない」
レンが起き上がってぼやく。ソファから生徒会長の机へ移動して椅子に座り偉そうに脚を組むと、レンはトキヤを見た。
「イッチー、静かにさせてくれないかな。これは会長命令だよ」 
「…普段からそうして会長らしくして頂けるとありがたいのですが」
トキヤはそう嫌味を言って、席を立った。
 自分が行かなければ音也は生徒会室へは入ってこないだろうことは分かっていた。
 ただ、素直には甘やかしたくなかったのだ。
 何せこれまであの男には散々迷惑を掛けられている。人の都合もお構いなしに自分勝手に纏わり着いて、こちらの話は聞かない、言うことも聞かない…。毎日のようにトキヤを苛々とさせてくれる。
 それでも…。
 扉を開けると、トキヤを見た途端泣き出しそうに眉を寄せた音也の顔が見えた。
 こんな表情を見たかったわけではない。
「…何をやっているんですか。うるさいですよ。早く中に入って下さい」