[APH]仮面の国
俺はまさか、と少し驚きながらフロントのくすんだブロンドをアップでまとめた美人にそう告げた。ホテルの予約は外務省にそういうのをまとめてやる係の人間がいて、彼に泊まりたい場所と日を告げればまず間違いなく世界中どこのホテルでもおさえてくれる。たとえ予約が今日の今日でも、外務省からの頼みを断るホテルなんてそうそうないと思っていたんだけれど。
携帯電話で確認を取ってみようかと取りだして液晶表示を見れば、着信が3回。発信は案の定アメリカ外務省内からだった。ああこれは、予約が取れなかったもんだから俺に連絡をつけようと電話してきてくれたっぽい予感が・・・。
「ちょっと、予約を取ってもらった人に電話して聞いてみるよ。一応確認だけど、今日飛び込みで宿泊したいって言ったら難しいよね?」
「はい、申し訳ございません。本日はすでに満室のご予約を頂いております」
「分かった。ちょっと電話してみるね。それでダメだったら今日は諦め――」
「どうなさいましたか、お客様?」
俺の苦い笑いに気づいて来てくれたんだろうか、丁寧な声音で後ろから声をかけられる。落ち着き払った男性の、しかしすこし高い声。まだ若いようだ。俺は、大丈夫ちょっと予約で手違いがあったかもしれなくて――と、答えようとして、その男性と目が合って
「ひぇっく」
叫び声が喉から出かかるところを、無理矢理息を止めて堪えたから、しゃっくりみたいな変な声が出た。
相手も相手で、目をまんまるくして、きょとんとした表情をしている。
体全体の比率からすれば足は長くすらっと見えるけれど、身長は俺よりずっと低い。服を違えれば、女性の体型にも見えるほど華奢な体だ。それでも手は骨張って無骨で、争えば口も拳も剣も強いと知っている。400年以上前から、知っていた。くすんだブロンドに、潤んで輝く翠の瞳。
服装だけがいつもと違う、ホテルのマネージャークラスのような格好をしていたけれど、その顔はもう散々見慣れた、懐かしいもの――アーサー・カークランド、その人だった。
アーサーも、なんの前触なく現れた俺に驚いたようだったけれど、それからすぐにふわりと柔らかな微笑を取り戻し言った。
「ようこそお越しくださいました。いつもご利用頂きありがとうございます。ミスタジョーンズ。ご宿泊の受付で何かトラブルが?」
「・・・あ、ああ、ええ。部屋の予約が出来ていなかったかもしれなくて、こっちの手違いで。本国に確認を取ろうと思っているんだ」
俺は、えっ、なんで俺普通に客としてもてなされてるんだろう、とか、なんでアーサーは俺に何も言ってこないんだ、とか、というかこの状況はどういうこと?とか、そういう疑問がぐるぐると渦巻いて軽くパニックに陥った。でもここで叫び声を上げて この豪奢で上品なホテルの雰囲気を壊すなんて俺には出来なくて、絡まった毛糸玉をほどきたいのにひどく面倒に絡み合っていてああどこからどう手をつけたら、そんな感じに頭がぐるぐる。しどろもどろになりながらも俺はなんとか受け答えをした。
それを聞いたアーサーは、至極真面目な表情で、
「それはそれは、お手数をおかけし申し訳ございません。いつ頃ご予約を頂いたかおわかりになりますか?」
と俺に尋ねた。すごく慇懃。すごく柔らかい言葉づかい。なんてこったい、アーサーはこの態度を通すつもりなのか。よりによって、この俺に向かって。
「うーん、多分、こっちの時間で今日の正午前後じゃないかと思うんだけど・・・。」
「かしこまりました、少々お待ちください」
アーサーは笑顔でそう前置くと、フロントの美女のほうへ振り向いて
「君、今日のノートのB欄外を確認してくれないか。そう、手書きのほうだ」
そう指示を飛ばした。
フロントの一人が席を立ち、フロント後方のドアを通って退出する。資料の確認に行ってくれたんだろう。その後ろ姿を見届けると、アーサーはこちらに向き直って言った。
「アメリカから長旅でお疲れでしょうに、お待たせしてまことに申し訳ございません、サー。おそらくこちらの手違いでしょう。もう少しだけお時間を頂けないでしょうか。昼食に相当するものはもうなにかお召し上がりに?」
「ああ、うん、まだだなあ」
そういえば、フランシスに電話を掛けてからここまで、ペットボトルの水以外に何も口にしていなかったなあと思い出す。思い出したら急にお腹が減ってきた。
「それなら、ご夕食に響かない程度に軽食を準備させます。しばしあちらのカフェでお待ち頂くというのはいかがですか」
「あ、うん、ありがとう。確かに、すごくお腹が減ってるみたいだ。胃が縮こまる感じがして参るよ」
アーサーはにこりと微笑み軽く頷くと、今まで俺の荷物を持ってくれていたポーターに、小さく折りたたんだメモ書きを持たせて俺をカフェに案内するよう言いつけた。
「お食事のあとすぐお部屋へご案内できるよう手配いたします。どうぞ、心ゆくまでおくつろぎください」
アーサーは、そう律儀に付け加えて頭を下げる。正直、まだ頭の中は混乱しっぱなしで、ついでに言えば礼をするその姿勢があまりに綺麗で見とれていたから、正直「何で君がこんなところに!」なんてありきたりな驚きとか、「君がホテルマン?似合わないよ」なんて皮肉とかが、全く一言も口から出てこなかった。
混乱と焦りと憧憬と。それらが砕けて小さなかけらになって、ちっとも整然としない思考の中でキラキラと舞っている気がした。
俺は若いポーターの案内を受けて、ホテル奥のカフェに向かった。
俺が窓際の、まだ夕日が残る明るい席に座ると、
「こちらからお好きなものをお選びください」
と、若いポーターが革で製本されたメニューの案内をしてくれる。俺はウェイターに、クラブサンドとコーヒー、あとフルーツの盛り合わせを頼んだ。
若いポーターは注文が終わるのを見届けると
「またお食事が終わるころ客室係がおうかがいいたします。お荷物は、一時的にクローク係が預からせて頂きますが、よろしいですか?」
「ああ、構わないよ。貴重品はこっちで全部持ってるから」
「かしこまりました、確かにお預かりいたします。あとこれは先ほどのシニアマネージャーからの伝言です。『さらに何か困ったことがあれば、こちらにお電話ください』と」
若いポーターはそう付け加えながら、俺にてのひらサイズの2枚の紙を手渡した。一枚は、クロークで荷物を預かった証明となる控え。それともう一枚は、上質な紙に黒のつややかなインクで箔押しされた名刺だった。
「・・・副支配人、社長室付シニアマネージャー アーサー・カークランド」
俺は、その名前の下に指を滑らせながら、小さくつぶやいた。
「そちらに書かれている電話番号から、社長室付のVIPコンシェルジュデスクに繋がります。24時間のご対応が可能ですので、何かお困りの際は気兼ねなくご利用ください」
ポーターはそう笑顔で付け加える。
俺が、彼を見上げてうん、と頷くと
「それでは、滞在をお楽しみください。サー」
と言って離れていった。