(差分)クロッカスとチューリップ
夜にドアを押し開けてHOMRAの店内に入ってきたのは八田だった。すっかりトレードマークになったニットキャップから赤茶けた髪がぴょこぴょこはみ出していて、そのすぐ下で赤い花が揺れている。
「どうしたの?八田が花なんて珍しいね」
「なんや、ついに女の子口説けるようになったんか」
「ついにってなんスか!?違うッスよ!」
十束が素早く愛用のビデオカメラを構えて迫るのを抱えた花束で牽制しながら子犬が吠える。似合わないとは言わないが、花なんか持って歩くのは小学校の工作で作ったカーネーション以来ではなかろうかというぐらい不釣り合いだ。不釣り合いと似合わないは違う。髪色や腰巻きしたパーカーの色と合うし、お仕着せっぽさが微笑ましい。
「おふくろの昔世話になってた花屋がインフルで若い店員全滅で、店主のババアが困ってるっつうからちょっと手伝った駄賃に貰ったンすよ」
「それなら呼んでくれればよかったのに。八田の花屋さん姿をカメラに収めるチャンス逃しちゃったなあ」
「手伝うんじゃねえのかよ!」
軽い音を立てて店の二階から降りてきたアンナが花束を見つけて目を輝かせた。
「よぉ、アンナ。花瓶あったら二階にも飾れよ」
「おお!八田がお母さん以外の女の子に花を贈る日がくるなんて!」
「そのネタもうやめろよ!」
確かに落ち着いたバーに飾るには多すぎる。キャバクラの女の子の誕生日か何かみたいだ。しかも赤いチューリップばかり。
「なんでチューリップなん?」
尋ねると、ちょっと得意げに花弁の先が尖った一輪引きぬいた。
「この花、ちょっと吠舞羅のコレに似てるじゃないッスか」
すでに散々ひっぱっているので伸びきったトレーナーの襟を引っ張って鎖骨のあたりに刻まれた赤のエンブレムを見せてくれる。同じものを八田より長く背負っているので改めて見せてくれなくたっていいのだが。
「あー、言われてみるとチューリップの細い蕾って炎っぽいよねえ」
十束のビデオカメラが花と八田の襟元をズームした。八田の鼻がググッと伸びる。
アンナが二階から持ってきた細長い空き瓶を受け取って水切りの支度を頼んだ。こういう作業は風呂場の方がいい。道具は十束に言いつけた。趣味の一環で生花をやっていた時のハサミがどこかにあるはずだ。
一口にチューリップといっても品種は様々だった。残り物なのかだいぶ開いた花も少なくない。
「アンナはそれがいいの?」
細い蕾の花を選り分けて空き瓶に貰ったアンナは満足気に頷いた。
「ミコトみたい」
「トゲトゲしたところがキングの髪の毛っぽいかもねえ」
「十束、その品種の名前知っとるんか?」
「草薙さん知ってるの?」
「“プリティーウーマン”」
十束と八田が笑い転げた途端、二階で物音がした。あまりのやかましさにウチの“プリティーウーマン”が起きたのかもしれない。
「それじゃあどっちかっていうとアンナにぴったりかもね」
一輪とって短く切ったものをミニハットを固定しているリボンの耳元に挿してもらったアンナのはにかむ様子が可愛らしい。
「俺が尊さんっぽいって思うのはコッチ」
訊かれてもいない八田が選び出したのは八重咲き品種。ただでさえボリューム満点の花は開ききって余計に幅を取るのでバランスが悪く、それだけ一輪挿しに分けていた。
「ただデカくて派手やからって理由やろ?」
「良いじゃないッスか!キングって感じでしょ?」
「八田って分かりやすいよね」
笑いながら十束が紙皿と針金で作った即席輪台を八田認定キングの花弁の下に固定した。手際の良さに菊を育てていたこともあったな、と思い出す。まったく器用なことだ。
「十束さーん。なんかそれカッコ悪くないスか?」
「こうしたほうが長持ちするんだよ」
赤い花で店内が彩られて数日。元々開ききっていた八重咲きが一番に散った。重そうな花弁は十束のつけた輪台からもこぼれ落ちた。
尊のダモクレスの剣が限界を迎える十ヶ月前。二月のことだった。
作品名:(差分)クロッカスとチューリップ 作家名:3丁目