(差分)クロッカスとチューリップ
どいつもこいつも頭の悪そうな子供だった。
公立の中学を選んだのは親がどちらも私立校を出ていたからだ。私立の生徒だって中身はそう変わらないだろう。同じ小学校から有名私立に進学したヤツは親が金持ちというだけのくせにプライドだけは高かった。あんなヤツばかりなら公立の方がよっぽどマシだ。
どのみち周囲と馴れ合う予定はなかった。見るからに誰とも打ち解けないまま一ヶ月過ごしたが、親が教育委員だったおかげで何も言われなかった。気を使わずにはいられないが、下手に声をかけてこちらの機嫌を損ねるのも避けたいと考えた結果が放置だったんだろう。
その証拠に、体育教師は自由に組ませたペア決めにあぶれた一人が俺だとわかると「しまった」という顔をした。そこで仕方なく組まされたのは特に頭の悪いチビだったけど、誰のこともバカだと思っていたからどうでも良かった。
目つきと頭が悪くて体力だけはあるチビ、八田美咲は人の波に流されるみたいに俺の横まできて、留まった。
「視力悪いヤツって自動的に最前列じゃねえのかよ」
「何のためにメガネしてると思ってんだ。お前こそ、チビなんだから前じゃねえと黒板見えねえだろ」
「見えるっつうの!」
「そうかぁ?じゃあノートと教科書見せてみろよ。黒板にメンデルの顔に鼻毛書けなんて書いてあったか?」
ノートはスッカスカで教科書は落書きだらけ。頼み込まれてテスト前に勉強を教えたことがあるが、赤点をとらせない前に教え抜くというのが至難の業で、あれは十数年の人生の中でも一番頭を使った期間だった。他人のテストとはいえ、やっとで取れた45点に達成感を味わったのも最初で最後の経験だった。
半分も取れていない丸の少ない答案を自慢気に持ち帰った際に連れて行かれた自宅はボロアパートで、日が暮れてしばらくしたら美咲とそっくりの呑気そうな顔の母親が帰ってきた。母親は受験の本命校に合格でもしたかのごとく美咲を褒めちぎり、学校であんなに喜んでいた美咲は撫で回す手を避けながら「赤点回避しただけじゃねえか」と吐き捨てた。
夕飯前に帰るというのを押し切られ、勉強を教えてくれたお礼と言って三人分の夕飯を拵えてくれた。美咲の家は二人暮らしだった。
「何だソレ」
休日の昼にホットケーキを焼く母の後ろで美咲がテーブルに置いたのはみかんの缶詰だった。缶切りで器用に開ける。
「何って、みかん」
クルッと回してラベルを見せてくれるが質問の意図を理解していない。毎日話し相手はお互いだけだというのに、いつまで経っても話が噛み合わない。
「何でホットケーキにみかんなんだよ」
「はぁ?普通乗せるだろ」
「バターとかメープルシロップじゃなく?」
「缶詰に残ったシロップかけるとびしゃびしゃになるけど?」
ホットケーキに添えるのは四角いバターとメープルシロップ。みかんを添えるならホイップクリームや他のフルーツとセットか、そもそもホットケーキではなくクレープか。家政婦が用意する見た目にも取り合わせにも過不足のないおやつばかり与えられていたから、ホットケーキにみかんだけをサンドした八田家のおやつは異文化だった。意外と悪くはなかったけど。
美咲の母は炒め物を作らせたら余っているものはなんでも入れるような人で(一応味や栄養のバランスを考えて選んでいるとは言っていた)、そのくせ味は悪くない。素材の好き嫌いの問題で食べられないものは多かったけれど、食べられる素材にまで味が移って食べられないなんてことはなかった。食べられない野菜はすべて美咲が横からかっさらっていった。
結局自分は八田家の野菜炒めはほとんど食べられなかったけれど、美咲の好き嫌いが牛乳だけというのは当然のような気がした。牛乳そのものは手を加えて飲むものじゃないからだ。
作品名:(差分)クロッカスとチューリップ 作家名:3丁目