(差分)クロッカスとチューリップ
2(差分)
卒業式が終わった三月。
学校に通わなくなっても赤のクランの拠点、BAR HOMRAに通うようになったので美咲とは毎日顔を合わせていた。
赤のクランに入ったからといって、律儀に通ってくる必要はなかったが、美咲は当たり前に通い詰めていたし、当たり前に俺も一緒に通うことを信じていたから「明日何時に行く?」なんて連絡を寄越す。だから気乗りしなくても通うはめになった。
それが二週間続いた頃、バーカウンターで小腹を満たしていた美咲が思い出したように振り向いた。
「明日空いてるか?」
「明日?」
「そう、引越しするからちょっと人手欲しくてさ」
寝耳に水。引越しっていうのは行き先が決まっていないと出来ないから、前々から決まっていたことだろう。何で直前に言われるんだ。
中学で二人きりだった頃は、他に話す相手もいないせいで、こういうサプライズとは縁がなかった。美咲のバカ特有の言動が予測の範囲を超えていて驚かされることはあったけれども。
「引越しってどこへ…おばさんも?」
「あー、それそれ。おふくろ再婚決まったんだ」
「はぁ?」
引越しも再婚も一朝一夕に決まるものじゃない。いつの話だ。
「いやほら、ずっとおふくろが家に誰も連れてこねえから最近大人しいなってずっと思ってたんだけどさあ、おふくろの地元にいる男とうまくいってたんだと。遠距離だし、おふくろが帰省するときは俺はお前んち泊まりこんでたから全然知らなかったんだけど」
「お前は、反対じゃねえのか」
サンドイッチの最後の一口をオレンジジュースで飲み込んで、そのままの動きで顎を引いた。
「ん。今度こそまともっぽいし俺が再婚すんじゃねえからどうでもいい」
「相手とはお前ほとんど会ってねえんだろ?」
「挨拶のときと、向こうの子どもとみんなで一回飯食ったっきりかな」
連れ子までいるのか。
「おふくろの地元のヤツつったろ。共通の知り合い多いらしいし、付き合い自体長いらしいから俺が心配することないってさ」
本当に心配していないらしい。顔に浮かべた余裕に偽りはない。
「あっちの子ども、まだ小さいんだけど俺よりよっぽど素直だったし?俺は一緒に住むわけじゃねえから」
「じゃあおばさんだけ向こうに行って、お前どうすんだよ」
「だから引っ越すんだって」
「チッ……どこへ引っ越すのか聞いてんだよ」
「鎌本のばあちゃんのアパート」
もう一度舌打ちしたくなった。俺には相談しなかったが、幼馴染とか言う舎弟のデブには相談したってことだ。
「俺はこの町から離れる気ねえし、今更新しい父親なんかいらねーし、一人暮らししたかったし、ちょうど鎌本のばあちゃんのボロアパートが空き部屋あって安くしてくれるっつうからさ」
理由を指折り数えていた手をパッと開いて背中を叩かれた。
「暇だろ?手伝うよな!」
予定を確認したくせに、空いているとも聞かないうちに決定された。
当日にはもう母親の荷物は運びだされていて、ふたり暮らしのアパートで使われていた洗濯機や小さめの冷蔵庫や電子レンジ等、ひと通りの家財道具と美咲の段ボール箱が二つだけ残っていた。制服や教科書やアルバム等は母親が嫁ぎ先に持っていったらしく、運び出す荷物は少なかった。
大きなものをホムラのメンバーが持ってきた軽トラで運ぶと、家の中は知らない場所のようになった。狭い狭いと思っていた部屋は思っていたより広かった。
使わないまま置いてある段ボール箱を片付けようとした美咲を制止して、残したものがないかチェックする。美咲も母親も抜けたところがあるから、何もかも完璧に引越しが完了しているとは思えなかった。造り付けの収納を一つ一つ確認していたら、案の定。キッチンの引き出しの中身が手付かずだった。
しゃもじ、おたま、泡だて器。美咲の一人暮らしでどれほど活躍するのか疑問な品々だが、母親はなんでも揃った再婚相手の家に行くのだから、これを引き取るのは美咲だ。残っている段ボール箱の中に乱雑に放り込んでいると、栓抜きの下から缶切りが発掘された。やれみかんだパイナップルだと缶詰の果物が出てくる八田家の必需品。
置き去りにされかかったそれを段ボール箱に入れて引き出しを閉めた。
作品名:(差分)クロッカスとチューリップ 作家名:3丁目