その手を取ってしまったから
厳戒体制のボスの部屋に現れた長身の影。
それは万が一のときにボスを守るためにと、ずっとオレについてくれていたクローム――彼女を媒介にして現れた、六道骸だった。
「クフフフ……お久しぶりです、ボンゴレ」
即座に背中に忍び寄ったのは、ぞくっと背筋を寒気が這い登る毎度の感覚だ。
死を超える彼の能力か、はたまた彼が纏う精神世界の暗闇がこの身を震わせるのか、今なお、骸は本能的に怖い。
でも、限られた人の前ではあるが……骸は深い情を見せることがあるから、ただ怖い人間だと言い切ることも出来ない。
きっと、心を覗き込んで見れたとしてもも何があるのかわからないほど、骸の底は深い。
しかしその得体の知れなさは、味方であれば心強さを感じられるものでもあったのだ。
動作はゆったり、しかし隙無くしなやかに、骸は部屋の中央へと近づいてきた。腰からすらっと流れるように伸びた長い足が、流れるように絨毯を踏む。
余分などなく引き締まった体が生み出す、たったそれだけの仕草で、男から見ても退廃的な色っぽさを感じてしまう。
何かと卑怯な男だと思うのは、綱吉のコンプレックスを刺激してくれるからだろうか。
「よくもまぁ、これだけ不利な状況が作り出せるものですね、ボンゴレ」
手を伸ばせば触れられる位置まで近寄った(見下ろされるのは正直慣れている)、その口自体が立派な武器である男の手始めはこんな一言だった。
頭の低い位置で筒状の銀細工によって一つに纏められている髪が、体にまとわりつくようにしゃらりと揺れる。
腰を過ぎるほどに長いのに傷みのない、磨き上げられて美しく流れる一筋の髪。色は青みを帯びた黒。
同じく黒髪でも茶に近い赤みがかった黒である日本人にはない色彩だ。もっとも綱吉は先祖帰りなのか、もっと色素が薄いけど。
その他を見ても、彼が身に纏うのはほとんどが厳格な黒い色ばかり。
指先から手の甲までを覆う手袋も、艶のある黒の皮。
簡素な白シャツの上に締められたタイの色もまた黒だ。
黒、黒、黒。
しかしどれ一つとっても同じ彩ではない。骸を見ていると、黒という色が全ての色を内包している色というのがわかる気がする。
本人を簡潔に表した服装。こういうのを似合っているというのかもしれない。ほかの人間じゃ、こういう色にはならないだろうから。
その上に、鮮やかに浮かぶ対の二色――真紅と群青の眼。
骸は、他の中に埋没することのない、華やかな男であった。
(しまった……!)
綱吉は青くなる。
ドアを開けて入ってきた気配に気付けなかったのは迂濶だった。
骸との関係はクロームとの間にあるものほど穏やかではないのだから。
先んじて「お前がどうしてここに!」とか、「何しに来た?」とか、聞かなきゃいけないことはしっかりあった。
しかし、それよりも先に安堵がきて、次には見惚れて――質問のタイミングを完全に逃してしまったことは痛恨のミスだろう。
骸がその隙を逃すはずがない。
「おま」
「一般人はいうまでもなく、マフィアにも嫌われて四面楚歌。せっかくの同盟とは切り離されて孤立無援。『八方塞がり』という言葉は今の君のためにあるんでしょうね。八方どころじゃないですけど―――あぁ君、ちゃんと熟語の意味はわかってますか?」
(ああ、やられた!)
もう『お前』すら言わせて貰えねぇよ!
先制されてしまったオレはもう、ただ聞いているしかなかった。”口撃”が終わるまで、イタリア生まれの男に日本語の語彙の少なさを馬鹿にされる日本人だ。
母国語でもない日本語をつらつらと操る骸に、ダメツナのオレが口で勝てるわけがない。
一言言えば、十倍になって返ってくるのは実証済みだった。
なので一頻り嫌みを聞いたところで、オレはやっと口を開いた。
「こんな日に何だよ」
「おや、刺々しい。今日のボンゴレはあまり機嫌がよろしくないようですね」
「お前も状況は十分わかってんだろ!」
叩き付けるような声にも骸が動じた様子はなく、クフとあの特徴的な笑い声を立てただけだった。
「ええ。でも君にとっては大変でも、僕には今のところ関係がないことです」
「……そうだよな」
マフィアと根本的に交わらないという骸のスタンスは変わらない。だから、その答えもどこかわかっていたように思う。
「じゃあ、何しにきたんだよ」
突き放した態度を崩さずに問いただすと、骸は両手を肩の高さまで上げてやれやれというポーズを取った。
……美形がやると様になるのが腹立つな!
「結論ばかりを急いで、本当に余裕の欠片もないんですね。マフィアのボスがそれでどうするんですか?」
「うるさいっ」
「いいですよ、わかりました。本題に入りましょう」
そして、骸は背の高さを生かして、めいいっぱい人を見下ろして……
―――ああ、この後だ。
作品名:その手を取ってしまったから 作家名:加賀屋 藍(※撤退予定)