その手を取ってしまったから
「僕を助けなさい。マフィアのお得意な取り引きで」
いっそ清々しいくらい、傲慢に命じてくれた。
「えっ……!?」
けれどオレの目には多分、命じられた怒りより驚きと困惑ばかりが宿っていたに違いない。
「骸……?」
働いた見返りは頂きます、と綱吉に色々なものを都合させてきた骸であるが―――過去、その要求だけはしてきたことがなかった。
むしろ、差し伸ばそうとした綱吉の手を邪険に振り払い続けてきたのだ。
が、骸は綱吉が疑問を挟む間など与えない。
「もちろん、彼らがそう簡単に乗るとは思えません。けれど、ボンゴレが持つどれだけの金でも、力でも、土地でも、何でも差し出して、彼らの天秤を傾けなさい。……あぁ。もちろん、舐められてはダメですが。交渉のやり方はアルコバレーノに習ったでしょう?」
あと今から言っておきますが、僕はそんなに安くはないですよ。覚悟しておいて下さいね、と骸は読めない笑みを浮かべた。
いつもの皮肉で冷徹な微笑に見たことのない雰囲気が混ざっていて、綱吉を混乱させる。
それは、彼が彼の仲間だけに向けるような―――
「骸っ、お前どういうつも」
「そうしたら」
綱吉の言葉を再度強引に遮って、骸は言葉を継いだ。
腕を掴まれて逃げ場を断たれ、六の文字を宿した瞳が綱吉を覗き込む。
「そうしたら、僕は君が復讐者に積んだ以上の対価を約束しましょう。僕が君の望むものを、手に入れる力になる」
――差し迫っては、この状況を打開してみせますと、最早決定された未来を読むように強気に微笑んで骸は言った。
綱吉は一度、ごくっと唾を飲んだ。緊張しすぎて、唾など出ていなかったがそんなことは関係なしに。
落ち着け、と自分に言い聞かせるように汗をかいた手をゆっくり握りしめた。
(落ち着け)
きっと骸は、オレが弱っていることを良しとして、オレを自分の手のひらに乗せようとしている。
『こちらへおいで。ここには口の中で蕩けてしまう、甘い甘い菓子があるよ』
―――誘い文句の定番じゃないか。だから、そこにはきっと罠がある。
(そうじゃなきゃ……)
そうじゃなきゃ―――どうして綱吉が心底求めていた申し出を、骸がしてくれるんだ?
綱吉の苦悩の間にも、低く滑らかな声は続く。
罠でもなければ、どうして骸が綱吉にこんな甘い言葉を囁くというのだろう?
手慣れた悪魔が、稚い子羊を誘惑するように、澱みなく。
「僕が君のブレーンになります。君は戦況など考えなくていい。君が今すぐやるべきことは復讐者との取引です。叶う限り早く速く、この鎖を解くことだけを考えなさい」
なんて誘惑!
しかしそれが悪魔の誘惑であっても、今まで骸がオレに向けなかったものの一つだった。
彼はただ敵意に満ちた視線か、役に立つ地位を持つ人形を見る視線しか、これまで寄越したことがなかったのだから。
決して、沢田綱吉という一人の人間に対して、交渉を仕掛けようとはしなかったのだ。
今になってそれを持ちかける、その意味は?
ボスとして叩き込まれた思考が、『考えろ、騙されるな』とがなり立てる。
しかしもう綱吉は、「この鎖ですよ」と示すように軽く掲げられた骸の両の手首に、年を経て錆びた鎖が巻き付いているのを幻視してしまっていた。
それはオレが死ぬ気になれば、千切ってしまえそうなちゃちな鎖だ。
実際に骸に使われているのはそんな安っぽい鎖ではなく、がっちりと頑丈なものであるだろうし、骸を捕らえているのは、そんな物理的な拘束だけではないと知っているのに。
『あれなら千切って、外してあげられる』と錯覚してしまう脆そうな鎖をその手首に見た。
ボスでない綱吉は既に、助けてあげたいと思いかけていた。
綱吉の眉が寄ると、骸はさらりとオレの頬を撫でてきた。骸との痛みのない接触など、初めてかもしれない。
思わぬ優しい仕草とつるっとした皮越しの体温さえ何故か涙を誘うのに、こんなことを言う。
「泣きそうな顔をして、困ったマフィアのボスだ。悲しいんですか?」
「……ちが…うよっ」
感情が追い付いてこないだけなのだ。
骸が綱吉と交渉しようとしていることに、ボスとしての綱吉と、個人としての綱吉が、胸の中でせめぎ合っているだけなのだ。
だって、骸の言葉を「信じてもいい」と超直感が言っている。
あとはオレの決定と決意次第だと、教えている。
骸は艶やかなその唇で優美な弧を描いてみせた。
「信じてください。これは随分と君に割りのいい取引ですよ。君が望むなら、僕は僕自身でも君に捧げます」
たぶん、ダメ押しの一言のはずだったのだろう。
しかし綱吉はその一言で頭のどこかがかっと燃えるのを感じた。
「……そんなことできないくせに!オレの気持ちなんかとっくに気付いてて!タチが悪いよ、お前は!」
癇癪を起こしたように、綱吉は吠えた。
(知ってて言ってんだろ!? 知ってるから、そんなこと言うんだろ!?)
ほら骸は否定しない。
「オレがお前のこと、好きだって知ってんだろっ!」
骸は数秒間を空けて、答えた。
「ええ。知っています。……そうでなければ不公平です」
「何がだよ!」
威勢よく言い返したが、骸の視線が今までのどこかはぐらかしていたものよりずっと強くて、綱吉はその二色の輝きに見入らされてしまった。
(何……?なんでそんな目するんだよ!)
けれど、その視線以上に強い気持ちを胸に燃やしていると知れる温度で、骸は言葉を紡いだ。
「何で僕が君にこんな提案をすると思っているんです?
―――君が、僕に信じさせたんでしょう。君が口にした言葉を」
作品名:その手を取ってしまったから 作家名:加賀屋 藍(※撤退予定)