紅月の涙2
それは即ち、どちらかが手負いになったという事を意味する。
「それは誰のッ…!」
「ユーリのものか、兄さんのものかは分からない…でも、戦闘は既に始まってるって事だ…!」
「じゃあ、シャディが討たれるのも、時間の問題ってコト…!?」
容赦なく降り掛かる現実に、一同の焦燥が募る。
タイムリミットはすぐ其処まで迫っているという差し迫った状況に、一同は最早形振り構わず階段を駆け抜ける。
アッシュに至っては情報収集の前から走り通しな上、スマイルを背負っている状態を維持している為体力的にも限界である筈なのだが、気力を振り絞って走る速度を上げた。
ギルディとリィエルも、羽根を千切れんばかりに羽ばたかせて空を切り始める。
―――ユーリ、ユーリ、ユーリ…!
―――兄さん、兄さん、兄さん…!
祈る様に二人の安否を祈りながら、周りの風景が飛ぶ程に速度を上げて駆け続けた結果―――
幾許も掛からずに最上階の重い扉が彼等の前に姿を現した。
「はぁっ、はぁっ、はぁ…!」
当然呼吸を整える暇などない。止めなければならない二人の存在は既に目の前に迫っているのだ。
事は一刻を争う。
「アッシュ、僕を下ろして…!」
アッシュと自らの身体を繋いでいた包帯を己の力で解ける程までに回復したスマイルは、焦燥を称えたまま短く叫ぶ。
回復したばかりの気力を振り絞ってでも自らの手で止めたいという彼の心情をその行動の全てで察したアッシュは、小さく頷いてスマイルの身体を床へと下ろし、共に扉へ手を掛ける。
それに続いてギルディとリィエルも扉に手を掛け、全員が息を揃えて見つめ合い―――その先に待つ現実に覚悟を決めて頷く。
四人の力を合わせて押された扉は、礼拝堂内に響き渡る程の大きな音を立てて乱暴に開かれた。
礼拝堂の中へと突入した彼等の目に飛び込んできたのは、最奥に佇むシャディと、彼に対してユーリが銃を向けている光景だった。
―――あの銃弾は銀だ…!
中でも一度ユーリの攻撃を食らったスマイルの脳内では瞬時に警鐘が鳴り響き、真っ先にユーリを止めるべく全力で駈け出していた。
「「駄目ェェェェェェッッッッ!!!!!!!」」
リィエルもまた危機を瞬時に察知していたらしく、二人の悲鳴に近い声が同時に広い室内へと木霊する。
同時に飛び出した彼等だったが、一番最初にユーリの元に辿り着いたのは――――
人狼特有の並みならぬ俊足で飛び出したアッシュだった。
次いで欠片の躊躇もなく止めに入ったスマイルがユーリの身体に縋り付く。後に続いたリィエルとギルディは躊躇により寸での所で足を止め、固唾を呑んで静観している。
アッシュはスマイルと同じくユーリに縋り付いた状態で、息も吐かせぬ間にその手首を捻り上げる。
ごとり。
ユーリの手から銃が零れ落ち、鈍い音を立てて絨毯の敷かれた床へと落下した。
「―――っ!」
突入してからそれまでの所作はほんの一瞬。そこで初めてユーリは我に返った様に目を見開き、己を拘束している同胞達に焦点を合わせた。
「お前、たち…」
「駄目だ、ユーリ!」
「全てはユーリの両親が望んだ事だったんだよ…!」
アッシュとスマイルからの口から矢継ぎ早に浴びせ掛けられる真実に、リィエルとギルディは罰が悪そうに俯いている。
ユーリに真実を知られてしまう覚悟をある程度決めてきたとはいえ、こんなに早くに明かされてしまうとは思っていなかった様だ。
シャディとユーリを救うにはこうする他ないと知りながらも、手遅れになるまで隠しておきたかった二人に取っては痛手であり、やはり兄の意思に背いて全てを気泡に帰してしまう事に罪悪感を覚えているのだろう。
「シャディはキミの両親の命と引き換えにキミを蘇らせたんだ!」
「その罪悪感に苦しんでたアンタを見兼ねてリィエルさんが記憶を封じたんスよ…!」
「ユーリ、キミは愛されてたんだよ!シャディにも、リィエルたちにも!だから…」
「う…そだ…」
しかし当然ながら、その真実に最も衝撃を受けたのはユーリだ。
二人の言葉を遮ったかと思うと、頭を抱えて一気にその顔を青ざめさせていく。
「嘘だ、嘘だ、嘘だ…!!」
零れそうな程に目を見開きながらまるで自分に言い聞かせる様に叫び、周りの音を遮断する様に耳を塞ぎがたがたと身体を震わせる。
何かに怯えている様にも見えるその取り乱し様は、真実を知っただけにしては余りに大きすぎるものだった。
「だって、私は…私は…っ!!」
「がは…っ!」
一同が違和感を覚えずにいられなくなると同時にユーリがそこまで叫んだところで、それまで俯いて沈黙を保っていたシャディの身に異変が生じた。
大きく血を吐き、心の臓から鮮血を撒き散らしてその場に倒れ込む。
まるでスローモーションの様なその光景に、誰もが息を呑んで釘付けになっていた。
―――ユーリの手から零れ落ちた銃口からは、既に薄く煙が立ち上っていた。
銀の銃弾は既に、シャディの心臓を貫いていたのだ。それまで立っていられたのは、彼の最後の意地だったとしか言えない。
「シャディ…っ!!」
「兄さああああああぁぁぁぁん…!!!!!!!」
その事実を知らなかった一同は各々に声を上げ、ギルディとリィエルは無我夢中で兄に駆け寄り力を失くしてしまったその身体を抱き起こす。
「嘘、だって、銃声はしなかっ…!」
ぺたり、とその場に力なくへたり込むユーリとそれを抱き抱えるアッシュを横目に見遣りながら、何時の間にその動作が行われたのかと目の前の現実を受け入れられないスマイルが呆然と一人零す。
そして思い当たったのは、彼等がこの部屋の扉を乱暴に開け放った際に立てられた大きな音だった。
その音に銃声はかき消され、皮肉にも一同が突入した瞬間にシャディの心臓を銀が貫いたのだ。そう考えれば、彼が撃たれてから然程時間は立っていない。今まで耐えられた事にも合点が行くというものだ。
そう、突入した時には、既に全てが手遅れだったのだ。
「うわああああああぁぁぁぁあ…!!!!」
元よりシャディはそのつもりだったのだ、こうなる覚悟はしていたとは言え、それが現実になった時取り乱さずにいられよう筈もない。罪悪感に耐え切れなくなったリィエルの悲鳴が室内に木霊する。
彼は大粒の涙を零しながらシャディの頭部を抱き締め、ひたすらに謝罪の言葉を繰り返しながら嗚咽を絶えず漏らし続ける。
「ごめんね、…ごめんなさい、兄さん…ユーリ…!」
一部とはいえアッシュやスマイルはユーリに事の真実を伝えてしまっている。それに心臓を銀で撃たれたシャディはもう助からない。
それならば全てを隠す必要もないと思ったのか、彼は指を鳴らしてユーリにかけていた術を完全に解いた。
「―――っ!」
潜在意識に記憶を封じ込めていた禁が解かれると同時に、ユーリの脳裏に洪水の様に記憶が蘇り溢れ出す。
その大半が、シャディのものだった。
―――分かった。お前たちは安心して眠ると良い…
見ず知らずの両親の願いを受け入れ、手を血に染め罪を背負う覚悟を決めた上で二人の命と引き換えに自分を蘇生させてくれた事。
―――大丈夫だ、ユーリ。兄様がお前を助けてやる。