待宵メロドラマ
☆First contact (蘇芳とブルームーンの話)
「あっ」
思いがけない人の姿に、うっかり声が零れてしまった。残念なことだけど、それは静かな廊下ではよく響いてしまって、私は無意識に体を強張らせる。当然、私の声は相手の耳にも届いていて、手元の携帯画面に落としていた視線を、こちらにゆるりと移した。
「蘇芳か」
「こ、こんにちは。青、さん」
一度二度、藍鉄(てっちゃん)を介して顔を会わせただけの私を、一応覚えていてくれたらしい。ブルームーンさん、と呼ぼうとしてやめたのは、何となく聞きなれた呼び方のほうを採用したからなのだけど、特に違和感無く受け入れてもらえたようだった。よかった。
「鉄は?一緒じゃないのか?」
「あっ、ハイ!今日は私ひとりで……青さんも、お一人、ですか?」
「いや。黒と一緒に来てるけど……あいつ、今日、荒れてんだよ」
青さんは、小さく笑う。
前に会った時も、その前にも、こんな表情は見たことがなかったと思う。こうやって笑うひとなのだと、初めて知って、胸の奥の知らない部分がドクンと跳ねた。呆けている私を見やって、言葉の意味を理解できなかったのだと思ったらしい。『ボーカル録音が上手くいかなくて、イライラしてるからって、スタジオを追い出された。』と付け加えてくれた青さんは、再び携帯に視線を戻した。
そうなんですか、と相槌を打つ。そして、無言。
なにか、話しかけるべきなんだろうかと、頭の中で会話を組み立てていると、青さんは自分の座っている隣の椅子をぽんぽんと叩いた。
「座れば?」
「あ、えっと、……ハイ」
言葉に導かれるように、椅子に座る。握りしめた手に、嫌な汗が滲んだ。
*
実のところ、青さんは少し苦手なタイプだ。初めて会った時も、その次に会った時も、大した話を交わしたわけではないけれど、……敢えて言うなら、それが原因だった。ほとんどニコリと微笑わないし、口調もどこか素っ気なく、つんけんしている。黒ちゃんも、てっちゃんも、「それが彼らしさなのだ」と言うけれど、どうしても……どうしても比べてしまう。私のよく知る「鏡音レン」は、柔らかく微笑んでくれるし、困った時はいつだって声をかけて側にいてくれる、そういう人なのだ。
『蘇芳、頑張りましょうね』
よぎる微笑みに、心の中で強く頷く。そうだよね、てっちゃん。一番「出遅れた」分、いつだって笑顔で、前を向いて頑張ろうって、二人で決めたもの。
「えっ、と、……黒ちゃん!頑張りやさんですね!」
「……意地っ張りの類いだろ、アレは」
「で、でも、みんな、黒ちゃんの演奏カッコイイって言ってます!あっ、もちろん、カッコイイだけじゃなくて、可愛いところもあって!青さん、ご存じですか?!この間、黒ちゃんが、凄く可愛くて美味しいお菓子をくれてっ」
「あー俺は、そういうの、詳しくないから……」
「……で、すよね……」
アハハハという乾いた笑いで、溜息を誤魔化す。ああ、どうして私はこうなの。一人で先走って、相手のことなんか考えないで。空回りした恥ずかしさや後悔が、ぐちゃぐちゃに入り交じった感情が押し寄せてきて、鼻がツンとした。てっちゃん、「仲良く」って難しいね。
「……めん、なさい……」
ひどく掠れた私の声に、驚いたのだと思う。青さんは、目を見開いてまっすぐに私を見つめた。
「……お、おい、蘇芳、」
「私、いつも一人で盛り上がっちゃって。その、……お、面白くない話、でしたよね」
頑張って、笑った。とても困惑したような、酷く揺らぐ眼差しで私を見やる青さんは、小さく溜息を溢した。
「ほんとにな。一人で盛り上がって、一人で落ち込んでりゃ世話ない」
「ごっ、ごめんなさ……」
「いや。俺も、悪かった。話に興味がないとか、そういうんじゃないから」
だから、そんなカオするな。そう言い捨てて慌てて逃げる視線に、思わず笑みが零れる。もしかして、これが皆の言う「彼らしさ」であり、「優しさ」なのかもしれない。何も言わずに、ただそこに、傍にいてくれる、それがどれだけ温かいのか……皆はずっと知っていたのかもしれない。私も、それに気付けたのかもしれない。青さんは眉根を寄せて、(恐らく締りなく笑っているのだろう)私を、チラリと伺い見た。そして、ぼそりと呟く。
「そういえば。それ、クセじゃないだろ。……敬語」
鉄は、クセだって言ってたけど、蘇芳は慣れていない感じがする。どのように答えればいいのか迷ったけれど、一秒置いてから、私は勢いよく首を縦に振った。
「なら、そんな堅苦しく話す必要ねーよ。普通に、……それで、さっきみたいに、自由に話せばいい。俺は、聞いてるから」
「……っうん!うん!!」
繰り返し、何度も首を振る私を見て、青さんは笑う。そして、また、知らない部分がドクンと、ときめいた。動き出した。これが、きっと名前も知らない物語のはじまり。