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あの夜の祈り

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「青、八木」
「バカに、するな……!」

肺にある空気、全てを使って叩きつけた。
少し唾が飛んだかもしれないが、気にする余裕など今はない。全くない。
むかつきが収まらなかった。
バカにするな。バカにするな、バカにするな!

ここぞと言うときの走りには定評がある。
同じだけ、ペース管理の下手さにも定評があった。

集団から飛び出すタイミングを正確に読めた試しがない。今だ、と思った瞬間はいつだって早すぎて遅すぎた。どれだけ必死で回しても、一度はチギった相手にいずれ抜かれた。抜かれてしまえば、既に全力を出しきった脚で再度の逆転を望むことはできなかった。何度も何度も繰り返し、自分の判断が信じられなくなり、迷いがまたレースの成績を下げる悪循環。表彰台とトロフィーは、遠くから羨望と共に眺めるためのものだった。
自転車を嫌いになったことは多分ない、だけど二度と乗りたくないと思った回数もまた数え切れない。

――そんな日々に。

「あの夏、から」

変革をもたらしたのは誰だ。
オレの脚に、意味を与えたのは誰だった。

「くだらないことを言ってくる奴らと、何度か揉めた」

掴んだままの襟首の下、手嶋の鎖骨が微かに揺れる。
オレが何を言っているのか、わかるはずだ……わかるよな。

才能のない奴が群れたってリザルトは変わらないとか。
データをいくら集めようが机上の空論じゃ意味がないとか。
今時スポ根でもあるまいし、とか。

雑音、と受け流すには余りに耳障りなソレは、オレが手嶋の隣にいようがいまいが関係なく聞こえてきた。
下手を打てば自転車競技部そのものに迷惑をかけてしまうから、基本は無視を貫いてきたが――腹に据えかねる瞬間が、皆無であったわけがない。

「オレは。……手嶋、オレは、オレのことで何を言われても無視できた……でも」

何より耐えられなかったのは、お前を貶められること。
それがたとえ、

「たとえ、お前でも……許さない……!」

薄明かりの混ざる闇が。
オレと手嶋以外に、何一つ音を立てるもののないこの部屋の静寂が。
上手く言葉にならない怒りが。上手く言葉にできない怒りが。
全てが圧し掛かって息が苦しい。
苦しかった。

「取り消せ」
「……い、やだ」
「手嶋!」
「嫌だ……っ!」

いいと言われた試しのない目つきを、意図的に更に剣呑なものにして睨みつける。手嶋は頼りなく揺れる視線をオレから外そうともがきながら、そのくせ前言を撤回するような言葉を吐き出そうとはしなかった。
今にも泣きそうな顔をして、オレのせいだ、まだ諦めもせず吐き捨てる。

掠れた悲鳴のような、そんな声を聞きたいわけじゃない。聞きたいわけがない。けれど譲れなかった。
お前がいたから、オレは走れた。
その確かさを、誰にも否定なんてさせるものか。それが、たとえお前本人にであってもだ!

「お前のせいじゃない」
「いいや、オレのせいだ」
「お前の判断は正しかった」
「間違ったんだよ、だから抜かれた」
「間違ってない。ただ、」
「言うな……!」

今度は手嶋の手が力無く伸びて、俺のシャツを掴む。
掴んだ、と言うよりも、しがみついた、と表現するべきかもしれない。
オレが少し身動きすれば簡単に離れてしまいそうな手嶋の手は、その儚さとは裏腹にひどく……切実で。

「頼むから、……青八木」
「ただ、……足りなかったんだ」
「……畜生、……っ」

襟首には遠く、裾からはもっと遠く、ちょうど心臓の真上あたりに拳の感触がある。
冷えた体温に、忘れかけていた肌寒さをふと思い出す。鼓動の中心からじわりと広がるつめたさがオレの頭も少し醒まして、夜の彩度にぼんやり浮かぶ手嶋の顔を、いつの間にか濡らしていた涙にようやく気づいた。

「青八木、お前、は……、平気なのかよ……どういうことか、わかってんのかよ……!? オレが悪くないなら、オレたちがあの時、本当に……っ全力だったなら、」

――手嶋。お前は。

「やり方一つで、食える……って、才能だけじゃねぇって……そのために、一年」

負けても折れるな。
悔し涙を流してもいい。傷を舐めあったって構わない。
ただ、流した涙は必ず自分の糧にしろ。

一年間、田所さんに言われ続けてきた。
反省と自虐は違うものだと。
負けを認めろ、負けたレースの経験も食らって成長しろと繰り返された。
実際に、オレたちはそうしてきたと思う。

リザルトに対して卑屈になるのではなく。
自分達を卑下するのではなく。

勝利者にあったものと、オレたちに無かったものを見つめようとしてきた。
オレに見えない部分、オレが無意識に目を逸らしていた部分とも、田所さんの言葉通り真っ直ぐに相対してきたのが手嶋だった。

手嶋がそう在ってくれたから。
オレも信じてペダルを回した。
それを、知らないお前じゃないはずなのに。
それを、誰より知ってるはずのお前が。

「……認められるかよ……畜生、畜生!
 一年、かかったんだぞ……一年かけて、やっと……それを、アイツは。……小野田。畜生……!」

……それが。
この一年、積み上げてきたもの全てをぶち壊しかねない自虐と引き換えにしてでも、お前が否定したかったものか。
見苦しい敗者でありたくはないと望むこと。積み上げてきた実力への自負。ふたつの誇りが今のお前には、そんなにも苦しい。
俯いて、伸びた髪で顔を隠して、それでも洟をすする音は部屋に響いたし、涙がシーツを叩く微かな音は俺の耳に届いた。

「……手嶋」

腹に溜まっていた赤黒い怒りは、とっくにどこかへ消えていた。
ただ、手嶋の……この一年、想像もしてみなかったような不器用さがただ、かなしかった。

オレにとっても、一年生三人に負けた事実は確かに辛い。許されるならあの場でもっと身も世もなく泣き喚き、当り散らして暴れたいぐらい。けれどこの辛さはオレにとってこれまでに何度も――何度も打ちのめされてきた苦い敗北の記憶と、大きく異なるものじゃない。耐えられない痛みじゃなかった。

大丈夫、オレはまだ立ち上がれる。
オレはまだ……諦めない。

『だから』手嶋だってそうだろう、なんて。
思い込んでいい、わけがなかった。
二人分の脚を請け負って動かす頭は、敗北にも二人分傷ついていて。

襟首を掴んだまま、硬直してしまった指を苦心して開く。強張った腕をどうにか持ち上げ、クセのある黒髪にぎこちなく差し入れても手嶋は抵抗しなかった。溜め込んでいた感情を爆発させた名残で肩は荒く上下していたが、されるがまま、引き寄せられるままオレの肩に顔を寄せてくる。

「……畜生」

泣くな、とは、口が裂けても言えるわけがなかった。
できれば自虐に紛れさせておきたかっただろう手嶋の痛みを、暴き立てたのは紛れもなくオレだ。苦楽を共にした友人の傷より、ただ一人のチームメイトの名誉が大切だった。だけど手嶋、オレはオレが悪かったなんて絶対に思わない。どんなに隠してみたって傷がなくなるわけじゃない、一度キレイな水で流しておかなければ膿んでますます痛くなるだけなんだ……。
作品名:あの夜の祈り 作家名:蓑虫