欠ける
かと思うと、顔の方にぐっと引き寄せられて、傷を熱い舌が覆う感触。掴んだ指の冷たさとは裏腹のそれにびくっとするのと同時に、ちりりとした痛みがまた走って思わず手を引いた。でもそれは許されなくて、両手で固定されてやらしいくらい丹念に慰撫される。たまに唇を閉じてちゅっとかわいい音を立ててくちづけてきたり、それで唇についた血を自分の下でぺろりと拭いながら傷に舌を食いこませて滲んだ血を啜られると、どこか捕食されたみたいな気分になった。
「ちょ、お、いてぇ、って……!」
「……舐めときゃ治るんだろ?」
そーいやそう言いましたね俺。俺が悪うございましたスミマセン。そう言ってる間にも神代は舌を止めない。
それどころか俺が痛がれば痛がるほどしつこく舐めてきて、固定してる手に力が入る。でもそんなことずっとされてると正直、
「痛いうえにムラムラするんだけど」
「唐突だな」
「お前な……。全然唐突じゃないから。こんなことされてムラムラこない男が存在してたらそりゃただの聖人か変人かどっちかだって」
やっと口から俺の手を離して、散々ねぶってもてあそんだ傷口にくるっと絆創膏をまきつけて、満足したみたいな顔をしてる神代の左手をぐいっと引っ張ってみる。刀を振っているからか所々の皮が固くなった、白い指先。俺が傷つけたのと同じ薬指の付け根に唇を当てると、その指がぴくりと震えた。
傷の無いそこに軽く歯をたてて舐める。指の隙間から窺った神代の目がゆらっと揺れて、かすかな欲望の火が灯ったのがわかった。噛み切るみたいな気持ちで強く歯を立てた後にしつこく舐めてやって、神代がしたようにちゅっとわざと音を立ててくちづけたらびくりと肩まで震えてた。。
「……たしかに」
「だろ」
妙に神妙な顔をして同意を返す神代に二カッと笑って顔を近づける。今にも唇が触れ合ってしまいそうになるまで距離を詰めながらさっき咬んだ左手に右手を絡ませると、神代も絆創膏の巻かれた俺の左手に右手を絡ませてきた。
「……もう期末だぞ」
「わかってる、から、ちゅーだけでガマンするし」
「我慢、できなくなったらどうする?」
「そんときはそんときで」
「いい加減なヤツ」
呆れた風を装っても、吐息を感じるくらいの距離にある顔は少しも離れていかない。それどころか少し傾けられて、ねだるみたいな角度になる。それに誘われるまま絡めた指をきゅっと握って、ちゅっと一度触れるだけのキスを落とすと、軽く伏せられた灰の睫毛が半分だけ持ち上がって不満げな銀砂のまなざしが俺を捕えた。
ほんとに軽いキスだけで済ませたのに文句があるらしい。むー、とむずかる子どもみたいな声が聞こえたかと思うと、こんどは神代から下から掬いあげるみたいにくちづけられる。穏やかに重なったのは数秒で、すぐに舌を擦り合わせる激しいキスに変わった。
「ん、ふ」
「…っんぁ…っぁ」
差し出された舌を唇で何回かしごいて一度離れると、明らかに色づいた声が神代から漏れ出してぞくっと背筋が痺れる。目を合わせると少し潤んだ熱っぽくて今にも溶けそうな瞳で縋るみたいに俺を見詰めて、よろよろと寄ってきた。頭が俺の左肩に埋まる。右手だけを解いて預けられた頭から首筋へと撫でおろすと、神代はびくりと少し震えて、逃げるみたいに頭の向きを変えた。
そのままつないだままの左手をまじまじと見てる。絡めたままの俺の腕ごと角度を変えながらかえすがえす。なんだろ、なんかついてんの?
「指輪、みたいだな」
「あ?」
「これ。場所がちょうど」
「あー、そういえば……?」
するっと解かれた指が薬指の根元をくるりと撫でる。昔、心臓に一番近い、と信じられていたその場所に触れられて、呼応するみたいにドキッと鼓動が跳ねた。
「ここに……本物の指輪を嵌めるのは、誰なんだろうな」
ぼんやりと独り言みたいに、実際独り言なんだろうけど、そう零した声は胸が締め付けられるように切ない響きを持ってて、思わず目を瞠る。動揺した俺に気づかないまま手遊びを続ける神代の、投げ出されてる左手を再び握り締めて黙りこむと、頭が上がってきて不思議そうにみつめられた。
「どうした?」
「……」
俺の様子に気づいた神代が、遊ばせていた右手を頬に添えて見つめてくる。ことりと傾げられた頭からさらりと髪が流れて清潔な石鹸の匂いが香った。
指輪、とか。だって、それは。
「俺は……」
解放された左手で絆創膏の箱を引き寄せながら、神代の左手を持ちなおして手首を握ると、さっきみたいに左手の薬指に咬みつく。指を飲み込むようにしながらぎりぎりと歯型をつける目的で噛む顎に力を籠めると、戸惑った悲鳴が神代から上がった。
「うっ、いっつ、ばか、何、を」
ぎりぎりと咬んでから舌で舐め上げるようにしながら離れる。唾液でべとついた神代の薬指の根元には、赤く歪な輪が刻まれて、俺はそれを覆い隠すように絆創膏をくるりと巻いた。
苦しい。苦しい。何より神代がこの関係に終わりがあるって思ってしまっているのが辛くて仕方がない。何でそんなこと言うんだよ。何で信じられないんだよ。不可能じゃないはずなんだ。終わらせたくないんだ。ずっとずっと一緒に居たいって思うのは、俺だけなのか?
「……尊以外から貰う指輪に価値があるわけねーし」
「花村……」
「ずっとこれでいいじゃん。なあ」
自分の左手で神代の左手を捕えて、胸に引き寄せる。大切に抱き締めるようにぎゅっと自分の手ごと神代の手を抱くそんな無理な体勢のまま、さっきみたいな激しいキスを今度はこちらから仕掛けた。
息をするタイミングとか考えてやる余裕とかなくて、ひたすら口の中を蹂躙するみたいな好き勝手なキス。悲しくて泣きたいのか、怒りたいのかよくわからない感情をそのキスに全て叩きつける。
「ん、く、ふぁ、まっ……っぁ、ん」
「んは、……っは、」
舌を吸い上げて離れて呼吸をしようと開かれる口をまた塞いで舐めまわす。ただでさえ酸素が足りずに喘ぐのを、構わないでただ奪った。俺の隣に神代尊以外の誰かが、揃いの指輪を嵌めて立つ未来なんて、そんなもの絶対要らねぇ。そんな未来が来るくらいなら、ずっと今だけが続いて欲しい。
「な、尊、俺がこの指に、一緒にいようって誓ったらどうする?」
「ん、は、……?」
「” 病めるときも健やかなるときも花村陽介は神代尊と共にあることを誓います ”」
「……ん」
「なぁ、言ってよ」
「……“わたくし神代尊は、喜びのときも、哀しみのときも、この命ある限り、死が二人を分かつまで、花村陽介と共にあることを誓います ”」
聞きかじった宣誓の言葉を、指輪を嵌めた左手を自分の左手で取ってから、すうと息を吸って一気に言った。真剣に見つめると、神代はぱちっとひとつ瞬きをして、呆然としたようにこくりとひとつ頷く。それだけじゃ満足できなくて言葉をねだると、ちょっとの沈黙のあとするすると誓いの言葉が繰り返されて、嬉しくて思わず頬が緩む。
「絶対、な」
「……まるでままごと遊びだな」
またゆるりと手を組んで言うと、神代はくすりとちょっとだけ笑った。その笑顔がどことなく儚くて、また胸がくるしくなるけど、その儚さを引き留めたくてぎゅっと手を握る。