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僕のものではない君に

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ほんの数回通っただけの道だが、迷うことなくレイの店に着いた。
この世界の風景を当たり前の様に受け入れ、馴染んでいく自分を意識した。
閉店した店舗の地下に、レイの店はある。 看板はもう、しまわれていた。
地下へ続く狭い階段を、靴音を響かせ降りて行った。


夜も更けていたが、レイはまだ店に残っていた。
片づけをしていたのだろう。扉を開けたバサラにレイは振り向いたが、手を休める様子はなかった。
「どうした?」
「なんでもねぇよ」
「そうか、今、終わるから、ちょっと待ってろ」
言われたバサラはステージの中央辺りに腰掛け、レイの広い背中を見ていた。
しゃがみ込んで、機材や配線を忙しそう整備していた。
照明を落とした店内はぼんやりと明るく、静かだった。


いつだって彼を頼りにしてしまう。
自分の知るレイではないのに、同じように甘えてしまう。
違う世界なのに、レイだけは、変わらないように思えた。
作業が終わったらしく、レイがバサラの隣に腰を下ろした。
「悪りぃ、手伝えば良かったか」
「構わんさ、飲むか」
レイは缶ビールを一本バサラに手渡すと、もう一本のタブを小気味良い音を立てて開けた。
「何かあったか?」
バサラは答えずに、缶ビールに口をつけた。
言わずとも、レイには判るだろう。
またもや、自分は彼に甘えていると思った。
「なんでもねぇよ」
「そうか」
二人とも、そのまま何も言わず、缶ビールを空にした。
「ちゃんと、帰れよ。おまえの世界へ」
「レイ・・・」
胸が詰まりそうだった。
「あんたはいつだってそうだ! 俺のことばかり心配して」
キスを仕掛けたのはバサラからだった。
軽く唇に吸いつくと、歯列をなぞり、舌を そっと差し入れた。
応えるようにレイの舌が追いかけてきて、
ねっとりと絡めとられ、音がするほど吸われる。
昼間の無機質なキスとは違う。
官能を引きだそうとする意図を明確に持った キスだ。
咥内を貪欲に蹂躙される。
密着した唇は唾液で濡れそぼり、 飲み込めない滴はレイが舐めとった。
激しいキスに力が抜けそうなバサラの腰を、レイの腕がしっかりと支えていた。
「しても、、いいんだぜ」
二人分の唾液で濡れる唇で言うと、
潤みきった、金色の瞳をレイに向けた。
「いや、やめておく、抱いちまったら。きっと返してやれなくなる。」
「レイ・・・」
恐らくはレイの本心だろう。
バサラはもたれるようにレイの胸に額を強く押し当てた。
たまらなく切なかった。
なぜ、この世界の自分は死んでしまったのだろう。
こんなにも自分を想う人を残して。


銃弾にさらされ歌ったことも、生死の境をさまよったこと もある。
無茶はしたが、決して死にたがりな訳ではない。
生きていたい。
だが、自分は本当の意味での別れを知らなかった。
大切な人を置いて逝くということを。
「ごめん」
触れるだけのキスを交わすとバサラはレイから離れた。
「あんたに頼みがあるんだ。俺の歌を残していきたい。
手伝ってくれ。ミレーヌに歌わせて欲しい。」
自分のいないこの世界で、ガムリンを支えていくのは ミレーヌだろう。
この世界に自分が残していける、ただ一つのもの。
それは歌だ。
バサラは、ガムリンとレイに自分の歌を残して行く事を決めていた。
「五線紙、あるか?」
「ああ、待ってろ」
レイは、いくつかある機材の箱の中から、紙の束を 出してきた。
「これでいいか」
手渡されたのは古く黄ばんだギター譜の用紙だった。
「ああ、」
受け取ったバサラは、ギターをガムリンの部屋に置き忘れた事に気づいた。
「これを使え」
レイは一本のアコースティックギターを差し出した。
古いが、自分が好んで使うタイプのものだった。
バサラは受け取ると軽くつま弾いてみる。すでにチューニングも施されていた。
それが誰のものであったかは、聞かずともわかる。
「借りるぜ」
ギターに向けて静かに言うと、バサラは作業を始めた。


地下の店内では、朝の訪れを感じることは出来ず、 ただ、時計だけが、寝ずの作業だったことを教えた。
レイの手を借りて、いくつかの曲を残す事ができた。
レイの煎れた苦すぎるコーヒーを飲み終えると、 バサラは大きな伸びをして、立ち上がった。
「終わったな」
「ああ、あんたのおかげだ。ありがとう」
「あとの事は任せろ」
「頼む」
「お前とライブが出来て楽しかった。いい夢を見せてもらった」
肩を引かれ、抱きしめられた。
そこには性的な感覚はなく、バサラの身を案じる優しさだけが込められていた。
「俺もだ」
「行けよ。」
「ああ、」
それだけ言うと振り向かず店を出た。まるで旅にでるような、軽い足取りだった。
バサラを見送ったレイは、カチリと小さな音をたて咥えたタバコに火を着けた。


狭い階段を登り、外へ出る。
街はもう、活動し始めている時間だった。
車道を走る車の音が聞こえた。
明るさに目が慣れずにいると
ギターを手にしたガムリンに声を掛けられた。
「忘れものだ」
店の前で待っていてくれたのだろう。
少し腫れたような目は昨晩、眠れなかっ事を思わせた。
一晩中、作業をしていた自分も同じような顔をしている かもしれない。
「わざわざ悪りぃな。サンキュ」
差し出されたギターを受け取ると、
出会った頃のような凛とした声で問われた。
「行くのか?」
「ああ、行かなきゃな。」
「そうか」
「お前も行くんだろ。お前の道を」
「そうだな」
これ以上、言葉はいらない。
頑張れとか、信じてるとか言う必要はない。
二度と会うことはなくても、さようならと 言う必要もない。
彼になら伝わるだろうという思いを込めて、バサラは ガムリンに向かい合った。


ガムリンはすっと頭の横に右手を挙げた。
バサラが、ぽんと、軽く音を立てて、自らの右手を合わせると、
まるで柔らかな風のように、脇を通り過ぎた。
「じゃぁな」
「ああ」
振り向かずに進むバサラが最後に声を掛けた。
「そういやぁ、ミレーヌが、外国で歌の勉強したいって言ってたぜ。連れてってやれよ」
「ミレーヌさんが?」
ガムリンが頬を染め慌てる様子など、見なくともわかる。
バサラは、軽く手を挙げるとそのまま歩き続けた。


脚を止め、仰いだ空は何処までも青かった。
飛行機が白い雲の尾を引いて昇って行く。
追いかけるように身を仰け反らせた。
背を反らしすぎたのか、それとも眩しさに目がくらんだか、
バランスを崩して後頭部から地面に倒れ込みそうになる。
しかし、いつまでたっても体が地に着く気配が無い。
気づけばいつの間にか、やわらかい草の上に横たわっていた。
身体は指一本動かせない。眩しさに慣れた目を凝らせば、大破したバルキリーが湖に突っ込んでいる。
フォールドアウトの失敗か、激突の衝撃でバサラは投げ出されたようだった。
作品名:僕のものではない君に 作家名:小毬