僕のものではない君に
ガムリンが帰宅するとドアの鍵が開いている。
出かける際、男には鍵をかけてポストに入れるように言い残してきたはずだった。
不審に思いそっと部屋に入ると、ギターと歌声が聞こえてきた。
あの男が歌っているのだ。聞いたことのない歌だ。
窓際で、長い脚を投げ出し、座り込んでいる。
誰に聴かせるでもなく歌っているように見えて、その実、何か特別な思いが込められているようにも聞こえた。
今朝ほどの、素っ頓狂なやり取りからかけ離れた、真摯な様子に声をかけることも躊躇われた。
ガムリンは、ただ、玄関で聞くでもなく聞いていた。どのくらいそうしていただろう。
ガムリンに気づいたのか、歌を止め男が声を掛けてきた。
「よお、お帰り」
邪魔をしてしまったようで、ガムリンは自分の部屋であるはずなのに、きまりが悪かった。
「なぜ、まだここに居る?警察には行かなかったのか?」少しだけ苛立ったように問いただした。
「なんかさぁ、警察って苦手なんだよ。それに場所も良くわかんねぇし。」
「しかしだな。お前の身内とかが探していたりするかもしれない、今からでもいい、一緒に行ってやる」
ガムリンが彼の腕を取り連れ出そうとする。
「なぁ、待ってくれよ。俺、しばらくここに居ちゃ駄目か?」
「何を?バカな」
「なんかさぁ、お前と居ると思い出せそうな気がするんだ」
偶然拾っただけの自分が面倒を見る義務も無い。ましてや記憶の戻るきっかけなどあろうはずもないのに。
ガムリンには男の言う意図がさっぱりわからなかった。
正直なところ、今はあまり心に余裕がない。余計な面倒も避けたかった。
すぐにでも出ていって欲しいところだったのが、仕方なく五日間だけという条件で彼を置いてやることにしたのだった。
出会った日から数えれば一週間だ。充分、恩情のある 日数だろう。。
その夜はベッドをバサラに譲り、ガムリンはソファで眠った。
「いいのか?」
「構わん。慣れている」
訓練などで寝袋で就寝する事もある、大した苦でも無かった。
むしろ、またバサラとともにベッドで目覚めるような事態は避けたかった。
「お前、なんか変なこと気にしてねぇ?」
「していない!」
「そっか。」
軽くパニックを起こしていた自分とは違い、余裕を見せるバサラに少しだけ腹立っていた。
「ところで、さっきの歌。あれは?」
「なんだろう、覚えてた。ほかにも何曲か歌えるような気がするぜ。」
「聞いたことの無い歌のようだったが」
「たぶんさぁ、俺の作った歌だと思う。なんか、そんな気がする」
ガムリンにもそう思えた。あの歌は、彼の物だろう。
思い出したのは歌だけらしい。依然として家族や友人、その他は何も思い出せなかった。
「お前、記憶がなくて不安じゃないのか?自分が何者なのかもわからんのだぞ」
「ん~、そうだな。五日後に記憶のないまま放り出されたら不安になるかもな。でも、今はお前がいるから。」
無邪気に言われてガムリンは戸惑った。偶然拾っただけなのに随分と懐かれたものだ。
心の奥の方にくすぐったい思いを感じた。
「それに、歌を思い出したから。たぶん、大丈夫だ。」
「歌?」
「ああ、歌だ。」
そういうとバサラはベットへ潜り込んだ。
今朝は何事もなくベットとソファでそれぞれ目覚めた。
朝の早いガムリンが寝室の様子をうかがいに行くと、他人のベットでとは思えない豪快な寝相でバサラはまだ、眠っていた。
「寝てて構わんが、もうすぐ俺は出勤するからな。適当に過ごしてろ」
「おい!熱気バサラ、聞いているのか」
「ん、ん、ガム、リン・・・?」。 覚醒しきっていない様子で名を呼ばれた。どこか甘えるような口調にガムリンも言葉を和らげた。
「コーヒー煎れてあるから、後で飲めよ。じゃぁ、行ってくる」
そう言い残すとガムリンは部屋を後にした。
ふと、思い返すと自分は自己紹介をしただろうか?
すぐにでも警察へ行かせるつもりだったので、自己紹介など必要もなかろうと思っていた。
SATという職務上、守秘のため余計なことを話すつもりもなかった。
何故、自分の名を知っていたのだろう?
不審に思いはしたが、泥酔していた晩のことだ。知らないうちに名乗っただろうと納得することにした。
作品名:僕のものではない君に 作家名:小毬