LOST ③ 後編
「そうだったとして、君が監督に怪我をさせて停学になれば、部にどれだけ迷惑がかかるのか分かっていますか?」
「それは……そうかもしれない。けど、お前は見てないから分からないんだ!あんな理不尽な暴力と言葉で罵られて、黙ってることなんて無理だ!!」
部員達がどれほど過酷な練習をしてきているのかは、平古場も木手も知っている。それを、血が滲む程の努力を、無に帰す様な言葉を、平気で口にする早乙女に対して我慢しろというのは余りにも酷だ。
木手の様に割り切ることも、心を強く保つことも誰もが出来る訳ではない。平古場も他人に対して、それほど興味を持って日々を過ごしている訳ではなかったが、仲間が傷つけられているのを黙って耐えられるほど大人ではなかった。それが、最善の方法だったと言われてもだ。
「いい加減にして下さい。俺は、君にお願いしている訳でも、提案している訳でもありません」
木手は開いていた距離を詰めて、傲慢で威圧的なまでの表情で平古場を睨みつける。
「これは、部長命令だと言っているだけです」
反論も拒絶も許さない、そう熱の篭った漆黒の瞳が訴えてくる。
木手の言葉を疑問も持たず飲み込み受け入れろと、そう強要する。
そんな風に言われて、「分かった」だなんて平古場が言えるはずもなく、木手の胸倉を掴んで引き寄せて睨む瞳をそれ以上の強さで睨みつけた。
「わんは、やーのそういう所が大っ嫌いだ!!!」
何時だって、他人の感情は置き去りにして、一人前を歩いていこうとする。誰もが木手の背中を見つめて、その後ろを共に歩もうとしているのに、何時だって一人で全てを背負って行こうとする。
命令は、すなわち拒絶だと平古場は思っていた。他人と共有するものなどないと、そう言われているようで酷く嫌だった。
「大嫌いだ、ですか……」
冷たい言葉に、平古場は我に帰る。取り繕う為に口を開いたが、木手の言葉が聞こえてくる方が早かった。
「まぁ、君に好かれようと嫌われようと、知ったことではありません」
平古場の事なんてどうだっていい。
そう言われた気がした。
平古場は大きく目を見開いて顔を俯け、ゆっくりと掴んでいた手を放した。そして、そのまま部室を走って出て行った。木手は追いかけることはせず、その後ろ姿を見送っていると、ドアから田二志が入ってきた。
掴まれた所為で乱れた襟を直していれば、田二志が平古場を追いかけようと腕を掴んだ。
「裕次郎が凛を追いかけてる。早く!」
「どうして俺が……」
「二人とも頑固だから、時間が経てばもっと謝りにくくなるだけだろ」
「頑固って……」
「素直じゃないって言ったほうが良かったかや?」
意外な田二志の反撃に、木手は続く言葉を見つけられなかった。背中を押されて、強制的に部室の外へと押し出される。そうしながら、木手は先ほど平古場が見せた表情を思い出していた。
置いていかれることを怯える子供の様な表情で、大きく見開かれた瞳から悲しみが溢れ出して、今にも泣き出しそうだった。すぐに俯いた所為で、本当に泣いているかまでは分からなかったが、肩は小刻みに震えていて、必死に悲しみから耐えているかのようで。
悲しみに耐えている?
何故?
先に『大嫌い』だと言ったのは君なのに、どうしてそんな傷ついた顔をするんだ。
***
後ろから追いかけてくる足音がする。けれど、平古場は振り返ることなくひたすらに走り続けた。いつの間にか、後ろから聞こえてきていた足音は消えて、平古場だけの足音が耳に響く。
がむしゃらに走った為か、少しだけ気分も落ち着いてきた。走る速度を落として、自分の現在の位置を確認する。どこを走っているのかすら分からないくらい、ただひたすら逃げたかった。あの場所から。
周りはサトウキビ畑で、学校からはほどほどに離れた場所だった。平古場以外、誰の気配もしないと安堵した所で、突然隣のサトウキビ畑が揺れて人が飛び出してきた。
「なっ……!?」
「凛みぃーーけ!!」
驚いて飛びのけば、あちこちに葉っぱをくっ付けた甲斐だった。にこりと人懐っこい笑みを浮かべて、楽しそうな足取りで近づいてくる。頭が真っ白になっている平古場は、甲斐に腕を捕まれて、もと来た道を引き返していた。慌てて腕を振りほどこうとしたが、手首を掴み直されてお互いに引っ張り合いになった。
「帰らねーらん!」
「一緒に、木手に謝りに行こー!」
「なんで、謝らねーと駄目なんだよ!わんは悪くないやっし!!」
「わんも謝るから!!」
「い・や・だ!!」
「んぎぃーー!凛の、ふらぁぁぁーー!!」
お互いに力いっぱい引っ張り合っていた所為もあり、唐突に甲斐が手を放した為に平古場は後ろへ勢いよく倒れこむことになった。勢いが良すぎた所為で受け身も十分に取れず、背中から倒れるはめになる。
「うぉ……!?いってー……。どっちがふらーか!!」
原因を作った甲斐を睨みつけると、そこには悲しみを含んだ瞳で平古場を見つける顔と出会った。その表情の意味が分からなくて、ぽかんとした顔で見上げていれば、甲斐は倒れた平古場の上に馬乗りになった挙句、襟を掴んで思いっきり揺すり始めた。
「ふらーなのは凛だろ!」
泣きそうな顔はそのままで、感情の赴くままに平古場を揺するから、頭が揺れて脳みそが混ざっているような錯覚に陥った。やっと揺れが収まったと思ったら、胸に一つ拳を叩きつけられた。
「ふらーなのは、凛だろ……。わんが晴美ちゃんと言い合いになった時に、助けてくれたのは嬉しかった。けど、それで凛が木手と喧嘩するなんて変だろ。わんや慧くんを助けてくれたのに……。木手は自分が正しいと思えば、きっと引かない。凛が悪くないのも分かってる。もともと悪いのは、わんの方だ。……わん、ふらーだから他にいい方法が思いつかねーらん。凛は嫌かもしれないけど、わんも一緒に謝るから……だから、仲直りしてよ……」
「裕次郎。……やーの所為じゃねぇよ」
ひとつ、ふたつと甲斐の拳が平古場の胸を打つ。けれど、それは弱々しい力で平古場に届く。気が済むまで殴らせてやろうと止めることはせずに、変わりに言葉を選びながらゆっくりと口を開いた。
「裕次郎の所為でも、慧くんの所為でもない。わんと永四郎の考え方が違っただけだ。あいつは、誰よりも部のことを最優先させて考えてる。それを疑ったことはない。ただ、わんが守りたい方法と、永四郎が守りたい方法が違っただけだ。それだけなんだよ」
大切な場所を守りたい。きっとお互いの根本にある感情はそれだけだったのに、大嫌いだなんて言ってしまった。感情的で短絡的だったのは平古場のほうだ。そう、甲斐の言う通り馬鹿だったのも平古場のほうだ。
胸を打つ手が止まり、甲斐はやっと平古場と視線を合わせて困ったように笑った。
「それは難しいな。木手は、昔から自分の信念を曲げるような奴じゃないから……。わんもずっと泣かされっぱなしやし~」
そういえば、平古場は困った様などこか寂しげな表情で苦笑した。そして、「いつまで乗ってる」と甲斐を地面へと引き倒す。驚いて目を丸くする甲斐の帽子の唾を引き下げれば、顔半分が隠れて平古場の表情が見えなくなる。