serenade
「あまりにもらしくないことを仰せでしたので。…明日調整します。それでも間に合うでしょう。今日は全員早めに切り上げて、会議は明日の朝一番に設定します。よろしいですか」
問いの形に限りなく近い決定、事後承諾を求めるその台詞に、しばらくの間を置いてロイは苦笑した。
「そんなにらしくないかね?」
「ええ、とても」
困ったようなロイに、ホークアイ中尉もほんの少し表情を緩めた。
「犯罪予告といっても年中行事のようなものです。いざとなったら、腰痛のよい医者を知っていますから。なんとでもなるでしょう」
しれっと言ってのけた副官に、ロイは瞬きの後苦笑した。今頃グラマン中将は自室でくしゃみでもしているのではないだろうか。
「…ありがとう。…じゃあ、せめて弁当の代わりに食事にいってくるか。鋼のでも誘って」
冗談のような口調に、中尉は瞬き。そして目を細めて笑って頷く。
「そうなさってください。休みが必要な同士、ちょうどいいでしょう」
――とりあえず、どうやら残業からは解放されたらしいことを理解し、ハボックたちはほっと胸をなでおろした。仕事だから仕方がないが、男だらけで狭い部屋で弁当を食って延々会議を続けるなんて楽しくもなんともない。不毛の極みというものだ。回避できればそれに越したことはなかった。
定時とはいかなかったが、それでも比較的早い時間に仕事を切り上げ、ロイはエドワードに電話をかけた。どうだろうかと思ったがエドワードは宿にこもっていて、声を聞く限りは元気そうで安心する。食事にどうだ、と誘えばあまり芳しくない様子だったが、またこの前の店でも、と重ねたら、それなら行くと返って来た。どうもあの店を気に入ってくれたらしいと思えば単純に嬉しかった。
そういえば今回の滞在は結構長いようだ、と電話を切ってから思った。もうすぐにでも、いつものように旅に戻ってしまうのだろうかと考えたら、なんだか無性に寂しい気持ちになって自分で焦ってしまった。今まではそんなこと全く思ったことがなかったのに。
どう考えても手紙のせいだった。しかし、もう見なかったことには出来なくなっている。ロイはそれを認めるしかなかった。
迎えにいくといったら、店で待ってる、とぶっきらぼうに返されたので直接店で待ち合わせとなった。しかし向かう道すがら、待ち合わせというシチュエーションに若干落ち着かないものを覚えたのはもう仕方がない。
動揺は首を振って追い払い、ロイはセレナーデのドアを開ける。
「…でさあ、」
耳に飛び込んできたのは明るい、人懐こい声。
その声の持ち主はすぐにわかった。しかし、にわかには信じがたくて耳を疑ってしまう。
エドワードのそんな屈託のない声なんて、ロイは数えるほどしか聞いたことがないのだ。状況や立場のせいだとわかってはいても、それでも驚いて、そしてなんだか妙に面白くなかった。
「あ、」
しかし立ちすくむロイを振り返った顔に、まだ笑みの名残が残っていたので、そんなことはどうでもよくなった。寛いでいるというなら喜ぶべきこと。この店を紹介したのはロイで、そこを気に入ってくれているということがまるで自分を気に入っているということと同意に思えるから。
「…待たせたかな」
エドワードはカウンターに座っていた。他にテーブルも空いているのにそこにいるのは、まだあまり混み合っていないせいだろう、厨房からコゼットが出てきているのと関係がありそうだ。
妙に意気投合しているのが複雑だが、そこはぐっと堪えて、隣に腰掛けながらやわらかに問う。
「や、そんなに。今適当に頼んどいたとこ。勿論、あんたのおごりだけど」
に、と悪戯っぽく笑う顔は普段どおりで、別段具合が悪い風でもない。どこが悪かったんだろうか、と喉元まで出掛かったが声にはせず、ロイは穏和に頷いた。
「年下に払わせるほどケチじゃないからな」
「…今、下、って妙に強調しなかったか?」
「気のせいじゃないか?」
言い返しながらちらりと見たら、うー、と唸るようにしている。その目元には朱がさして、ロイの目を楽しませる。
「お疲れ様です」
そんなやりとりにタイミングよくかけられた声の主は、コゼットだった。
「大佐さん、まずはパテをどうぞ」
「ありがとう。…頼んでおいてくれたのか?」
後半でエドワードを振り向けば、ぷい、とそっぽを向いて「そうなんじゃねえの」と煮え切らないことをいう。しかしその耳が赤いので、大体のところをロイも察した。
店が段々混み始める頃には、ロイもエドワードも大分満腹だった。だから、もっぱら食べるよりも喋る方にエネルギーが振り分けられていた。食べ終わればすぐ帰るというかと思ったエドワードだが、なぜかロイとの会話を楽しんでいるようにさえ思え、落ち着けたはずの動揺が揺り起こされそうで少し困ったものだ。その頃にはコゼットも厨房に引っ込んでいたから余計に。
「そういえば…」
「ん?」
グラスの中の氷をがりがり砕くエドワードに、何か頼もうかと笑いながら、ロイは思い出したように呟いた。
「オレンジジュースにしよ。…で? なんかあるの?」
首を傾げると、その細さが妙に目について瞬きを多く繰り返してしまう。気づかれていないと良いのだが。
「いや。来週、蘭展があるんだよ」
「は? 蘭…? この寒いのに?」
ロイは肩を竦めた。
「蘭がいつ咲くのかも知らないよ、私は。とにかくイーストシティで催されるそうなんだが、これが結構規模が大きいらしくてね…来賓も気合が入っているんだ、おかげで頭が痛いよ」
苦笑するロイに、そりゃまた、とエドワードは心底哀れむような顔で呟く。
「あんたも結構大変だな」
しかししみじみした調子でそんなことを言われると、なんだかロイもいたたまれなくなる。いや、と濁したのはそれが理由だったが、そんな微妙な機微はエドワードには通じない。ロイが本当に頭を悩ませているのは、むしろ今隣にいるエドワードなのだが。
「まあね…、どうも、専守防衛というのは難しいものだな」
肩を竦めてわざと冗談のように言えば、まあなあ、とそれこそ「攻撃は最大の防御」スタイルのエドワードはもっともらしく頷く。
「でも、大佐は馬鹿じゃない」
しかし、続いた言葉は少々予想外だった。ロイは軽く目を瞠って隣を見る。エドワードは考えながら、カウンターの奥を見つめたままに続ける。
「一番いい感じで…あんたならどうにかしてくれるって、なんか変だけどオレもそう思う」
「………、ありがとう」
驚いたまま礼を口にすれば、はっとした顔でエドワードは肩を揺らした。そして慌てて振り向くと、怒ったような顔で「べ、別にほめてねえ」なんて言う。けれど頬の高い部分を淡く染めてそんなことを言われては、照れ隠しだと気づかないでいるのが難しい。ロイは口元を押さえて、ほんの少し首を傾げるようにした。
「鋼のに褒められるなんて新鮮だな。嬉しいよ」
「だから、褒めてねえっつの…!」