serenade
慌てたファルマンの説明を受けたブレダは、一瞬呆気に取られたものの、まあ大佐のスタンドプレーは今に始まったことじゃねーしな…と半ば諦めの感じられる声で呟き、慌てず騒がず中尉に通信を繋ぐよう部下に指示した。自身もまたヘッドセットをつける。
「まあ、落ち着けファルマン。あの人のアレは、まあある意味予想の範疇だ」
「し、しかし…」
ブレダはがりがりと頭をかいて、何から説明したものか、と何度か口を開いたり閉じたりした後、おもむろにファルマンに向き直った。
「大佐は、例のな、財団が怪しいと思ってんだ、多分」
「…は?」
財団側は人質解放に拒否ではなく協力を申し出ている。完全なものではないが。それを? と首を捻るファルマンにブレダは続ける。
「こういっちゃなんだがな、こんな時期のこんな要求じゃなきゃ、大佐のとこまで上がってくる事件じゃなかったかもしれん」
「…それは、…」
ファルマンも思い至った様子で頷く。
「逃げにくい状況だろ。まあ、本当に逃がさないつもりなら大総統夫人でもさらうだろうけどな」
「なっ」
息を飲んだファルマンに、ブレダはペンを回しながら告げる。
「どうあっても大佐にその、絵とやらをだな、解析させたかったんじゃねえかと俺は思うね。大佐もそう思ったんじゃねえか。今回は一般市民だった。しかしそれで済むとは限らない」
「…限らないとは、どういうことです」
「どういうことだろな。まあでも、結局可能性なんてのはいくつもいくつもあるのが普通なんだ。そんで、確率が高い順に可能性が高いんだが、必ずしも可能性が高い方から現実になるとも限らない」
ブレダは欠伸をかみ殺しながらヘッドセットを調整した。中尉と繋がったのだ。
「まあ、…大佐はやるときはやるひとだ。俺たちはそれをサポートする。そんだけだ、いつもどおりでいいんだよ」
それだけ言うと、彼は通信先の相手に状況を簡潔に、冷静に伝え始める。実際の事態は多分、ロイにしか読めていないだろう。そのロイにしても、どこまで読めているのかは不明だが。
「…了解しました」
もたらされた情報に頭を抱えた、そのすぐ後だ。一台の車がやってきたのは。ホークアイ中尉は額を押さえて、「こちらに到着されたわ。状況把握次第こちらから連絡します」と短く告げ、通信を切る。
「大佐」
疲労を感じさせない顔でやってきた部下に、ロイは肩を竦める。
「苦労をかける。休憩は取っているかね?」
「適宜とっております。大佐こそ、お休みになってらっしゃいますか」
「ああ。意外と若いから平気さ」
「年を取ると人間はなぜか若いふりをしたがるものです。大佐は普段からそういった方をご覧になられて、よくご存知かと思いますが」
下手な冗談は見事に切って捨てられた。ロイは肩を竦める。
「…中の動きは?」
「目立った動きはありません。人質も無事です。…大佐、まさか、犯人の要求を?」
ちらりと中尉はロイが乗ってきた車を探る。上司は再び肩を竦めた。
「ただで乗ってやるつもりはないがね」
「……」
胡乱げな部下の視線に、あっさりと両手を上げる。
「そう疑わないでくれないか? さすがに傷つくぞ」
「鋼鉄の心臓をお持ちかと思っていましたが」
「ガラスの心臓だよ」
えへんと胸をそらす上司に、中尉が何かを言う前にもう一人が口を開いた。
「そういうことは、あんまり自分では言わない方がいいと思いますよ、大佐」
「ハボック。なんだ、いたのか」
やってきた男に声をかければ、俺こそ傷つくっす、と情けない顔。
「おまえ、傷つくなんて感性あったのか」
「ひっど! そりゃあんまりです」
「そうか。そういえば男にはよく言われるんだ」
「…アンタって人は…」
さらりと無視して、ロイは車を顎で示す。
「救世主になりにきたぞ」
「言いすぎです。錬金術ですか?」
「そんなところだ。とりあえず、二、三人ついてこい」
「適当ですね」
「おまえ一人で三人分働けという意味だぞ。わかっているか?」
「ひっど! 人使い荒すぎですよ!」
「何を言う。軍部に余計な人員を遊ばせておく余裕などあるものか」
「ちょっ…それはないでしょが…」
肩を落としながらも楽しげなハボックに、中尉は溜息をつく。男というのはどうしてこういう時でもすぐにじゃれつくのだろうか。
「中尉?」
耳ざとく聞きとがめたロイに、なんでもありません、と首を振る。
「風は北から東に吹いています。乾燥もひどいです。火災にはくれぐれも気をつけてください」
極めて冷静に告げたら、ロイはいやそうな顔をする。その顔を見るとなんだか安心するというのは、…ちょっとまずいかしら、と彼女は一瞬思ったが、すぐに内心で首を振る。これはちょっとした、しかし必要なストレス発散だ。
「善処しよう」
「お願いします。ハボック少尉の前髪くらいなら焦げても人的被害には含みませんので」
「そうか、それはいい事を聞いた。だそうだぞ、ハボック」
「ちょっ…! そりゃないですよ〜!」
言い合いながらもさっさと四角い包みを抱えるロイと部下に指示を出し始める動きによどみがないのだから、中尉はこっそり笑ってしまった。この事件にどんなからくりがあるのかはわからないが、こういう雰囲気になったならもう大丈夫だとわけもなく感じていた。
ハボックとその部下を一人従えて、ロイは篭城犯へ呼びかける。射程ぎりぎりの距離だが、銃弾よりも早くロイは指を弾くことができる。ただ、身を守るあまりに人質を死なせてしまっては元も子もないのだが。練成には集中力と応用力が大いに求められる。
「要求の品を用意した」
犯人は顔を出さない。ロイは焦らずに呼びかける。
「ポワティエ・コレクションを…絵を、持ってきた」
この呼びかけに、少しだけ窓があけられ、犯人の声が応じた。ハボックもこの現場につめてから初めて聞いたかもしれない声は、意外と若い。
「こっちまで持ってこい。人質と交換だ」
「君たちが人質を連れてきてくれたら、渡そう」
「だめだ。そちらから運べ」
にべもない。ロイは微かに目を細め、補足した。
「実は、ファンティーヌのヴァイオリンも用意している」
ヴァイオリン? と内心首を傾げたハボックの前で果たして変化は起こった。
「…嘘をつくな!」
窓を開く手が見えた。しかし、全開される前にそれは止まり、声が少し大きく聞こえてくるに留まる。もしかしたら名スナイパーは今頃舌打ちしているかもしれないな、とハボックはちらりと考える。
「嘘ではない。なんなら弾いて見せようか」
警戒している空気が流れる。ロイはそれでも焦りを見せない。交渉というのは、往々にして焦った方が負けるものだ。
「それも、持ってこい」
果たして、犯人の声に焦りがにじむのが先だった。当然といえば当然かもしれない。どの道、篭城と言うのは逃げ場がないのだ。
「おや。要求が多いんじゃないかね。人質をそちらから連れてきてくれるくらいの譲歩は欲しいな」
「それには応じられない」
「君の逃走を我々は追わない。それでも?」
「……そんなわけがない」
ロイは相手には見えてもいないだろうに微笑を浮かべた。そろそろ日が昇ってきている。オレンジの曙光が頬に熱をもたらしている。