serenade
店主はぎゅっとブランシェットの手を握り、声を絞り出す。
「小さな墓ですが、…隣に、ファンティーヌの墓も作ったのです。もしも、そこに眠らせることが出来るなら…」
それ以上は言葉にならなかった店主の手を、ブランシェットは握り返した。
「…ありがとう。きっと、あの子も喜ぶでしょう」
ロイは空を見上げた。宝石をぶちまけたような星空。今夜はやたらと空が明るく見えた。
「そういえば、鋼の」
ブランシェットを見送った後、ロイとエドワードが今度は店主とコゼットに見送られ帰途に着く。帰途というか、宿へのだが。
「うん」
立ち止まって顔を上げたエドワードにつられて、ロイも何となく立ち止まる。
「なかなか出てこなかったが、何を話してたんだ?」
「……内緒」
ふい、と顔を逸らした頬が赤いので、ロイは瞬きしてしまう。それから少し考えて、体を捻ってエドワードの顔を覗き込む。そうしたらエドワードははっとしてさらに体の向きを変え、だけえどもロイも負けじと顔を覗き込もうとする。そうやって追いかけっこのように続けているうちに、エドワードは足をもつれさせてロイの腕の中に落ちてきた。
「…内緒にするようなことなのか?」
抱きとめて、上から覗き込んで尋ねたら、かっと赤くなる頬。
「ひ、秘密」
「…寂しいな。もう隠しごとか」
わざとらしい溜息をつきながら、そっと離してくれる。だがタイミングのせいで、まるで手放したように思えてしまったから。…エドワードは、慌てて背伸びしてロイのコートを掴む。
「そ、そんなんじゃないけど!」
「いいよ、無理しなくて」
「だからそういうのじゃ…! ちがくて、だから…もう!」
唇をもごもごさせたのは恐らく途中まで言おうとしたのだろうけれど、結局耐えかねたようにやめてしまった。真っ赤な顔にくわえて目まで潤んでいる。そんなに言いづらいことなのだろうか…と思いながら、片腕で軽く抱き寄せてぽんぽんと頭を撫でた。
「すまない。つい、可愛くて」
素直に詫びれば言葉につまり、可愛くない、とだけ返って来た。予想の範疇だが、直接聞いた方が想像の何倍も可愛い。
「……大佐って」
「うん?」
「キザ」
むすっと唇を尖らせてそんなことを言うから、ロイは噴出してしまった。
「なんで笑うんだよ! ていうか逆じゃないのかよ!」
声を荒げながらも腕から逃げないのをどうしたらいいのだろう。促して歩かせながら、ロイはまた夜空を見上げた。
「静かに、もう夜だ」
窘めるように言えば、慌てたように口をつぐむ。そうすると、星の音さえ聞こえてきそうなくらい静かだった。それを知れば自然声を出すのが憚られ、エドワードはちょっとぎこちない感じに黙り込んだ。
「…大佐」
「んー?」
「…あのヴァイオリン、もう壊しちゃったのか?」
「……?」
予想外のアイテムの登場に、ロイはエドワードを覗き込んだ。
「おれ…あれ、まだあったら、もう一回聞きたかったなって…」
「…え?」
意外な申し出に、ロイはまた足を止めた。今度はエドワードがつられて足を止める。
「…だ、だって、も、もったいないじゃんか!」
慌てて弁解を始めるのをまじまじと見つめた後、ロイは目を細め、心からの笑みを浮かべる。
「それは、」
「……」
「リクエストには答えないと」
くしゃくしゃ、とエドワードの髪を撫でてから、ロイはまた歩き出す。エドワードはかきまぜられた髪の毛を押さえてから、少し小走りになって先を歩くロイの背中にしがみついた。抱きつくというよりも子供がしがみつくような無邪気な風情に、ロイはまた目を細める。
…この関係が恋愛になる日なんてあるんだろうかと少しだけ思ってしまったりもするけれど、きっと初恋だ。焦ることはない。手放さず、大事に育てていくのだ。
「まだ、壊してはいないよ」
ただ、とロイは先に釘を刺す。エドワードは首を傾げた。
「あれは他の女性に捧げられたものだからな。どうせなら、違うヴァイオリンを手に入れてからでもいいか?」
エドワードはぽかんと口を開けた。鼻の頭が寒さのせいで赤い。思わずつついたら、いやそうに手で払われた。もっとつつきたくなって困ったのは言うまでもない。
「そんなのより、オレが元に戻るののが早いかんな」
「それは願ったりかなったりだな。早く元に戻ってくれ」
隙をつくようにエドワードの手を掬い上げて甲にキスひとつ。約束を誓う仕種に少女はまたも赤くなり、ばーか、と舌を出す。
「…ところで」
「え?」
手をつないだままで、ロイは話題を変える。
「いつ、見に来る?」
「なにを?」
「蘭展だよ。明後日からだ」
忘れてしまったか? と問えば、あ、という顔。それからすこし考えるようにして。
「…そしたら、さ」
「うん」
何となくもじもじしているからのぞきこんだら、ぱっと手を出された。なんだろうかと瞬きしているうちに、がたがたの爪先が視界に入る。
「行く前に、これ、…切って」
他愛のないおねだりに、ロイは満面に笑みを浮かべた。
「勿論、喜んで」
その手を捕まえて爪の先にキスしたのは、…それくらいは許されてもしかるべきだろう? と内心嘯いて。
結局エドワードは初日は避けて会期の中日に観に行く、と言った。体調が思わしくないのもあったのかもしれない。じゃあ、その日は朝から司令部においで、爪を切って上げるから、ととろけそうに甘い顔で言えば、エドワードは耳まで赤くしてそっぽを向いてしまったのだが。
「綺麗ねえ」
あながち社交辞令だけでもない口調で会場中を熱心に見て回る大総統夫人をエスコートしながら、ロイはあらためて会場内の展示を目にすることになる。
準備中は展示品どころではなかったので、初めて見る気がするものがほとんどだった。まともに見たのは、考えてみればあの絵だけだ。
夫人は挨拶だけして帰るかと思ったロイとしては、実はこれは痛い誤算だったが、今のところは平和なものだ。
「まあ、すてき!」
小さな歓声につられてそちらを見れば、飾られていたのはティアラの類。これがなんでまた…と内心首をひねるも、工芸部門、という札で納得する。なるほど、なかなかバラエティに富んでいるようだ。絵画があるのもそういうことか。今さらすぎる感想だが。
「…そうですね」
細い金の鎖と真珠、花を模したガラスで作られたティアラは華奢で華麗。エドワードに似合うだろうか、と考えて、ロイは内心苦笑する。本当に、いよいよ末期だ。
「本当に、すてきだわ」
目を細める顔には純粋な慈愛が見て取れた。…大総統夫妻には実子がなく、子息セリムは養子だという。だが、彼女の横顔は間違いなく母親のそれだった。
「そういえば、ご存じ?」
「…何をでしょう」
随分と親しみやすい女性は、内緒話を打ち明ける顔でロイを振り向く。少し背を折るようにして顔を近づけたら、彼女は楽しげに教えてくれた。
「蘭って、とても新しい品種なのですって。そして、とっても種類が多くて、珍しい固有種がいまでもあちこちで見つかる花なのですって」
「…はあ…」
彼女が何を言わんとしているのかよくわからなくて、ロイは曖昧に微笑む。しかし、その反応すら大総統夫人はもしかしたら読んでいたのかもしれない。