serenade
「とても可能性のある花なんだわ。どんな場所でもやっていける、新しくて強い花」
彼女は穏和に瞳を細めて、何気ない調子で言う。
「そんな風になれば、すてきでしょう。色々なことが」
可能性があってたくましい。置き換えて言えば、前途有望でなおかつ何事にも耐えうる生命力をもっている、あたりだろうか。なるほど、それは人でも国でも、素晴らしい特性になり得る。
「…そうですね。私もそう、思います」
彼は知らず目を和ませ、内心で続けた。
――そんなの、まるでエドワードのようだ、と。
展覧会は問題もなく、大総統夫人は急かされるようにセントラルへ帰った。前後の視察についてもロイがエスコートを務めたので、彼女が帰る段にはひそかにほっとしていたくらいである。…ばれてはいないと思うが、それがばれたら部下に説教を食らう気がしないこともない。
大総統夫人を見送った足で、ロイはイーストシティに滞在中のブランシェットの逗留先を訪ねた。
「遅くなってすいません」
「いえ、こちらこそお忙しいところ申し訳ありません」
初対面の時には、感情に乏しそうな男だと何となく感じたような気がするが、今はそうは思わない。ただ表に出ないだけで、彼の中にはきっと恐ろしいほどの感情が渦巻いているのだろう。
「まずは、…そうですね、簡単なことから進めさせて頂いても?」
「私が大佐にお願いする立場です。大佐のご都合の良いようにお願いします」
ありがとう、と礼を告げ、ロイは椅子に腰かける。
「そう…、まず、ご子息の件ですが」
「はい」
それはどうやら、ブランシェットを動揺させるには至らない賢明であるらしい。そんなものなのだろうか、と思いつつも、ロイは続ける。
「殺人や強盗を犯したわけではないとはいえ、それでも人一人人質にして閉じこもっていたことは罪に値します」
「その通りだと思います。ご迷惑をおかけしました」
「…息子さんは、何か軍人とトラブルが…?」
ブランシェットは困ったように目を伏せた。
「…。昔、息子は軍の方の車の前に飛び出して…、家内がかばって事なきを得たのですが、家内はそれがもとで…」
ロイは後味の悪い思いを味わうことになる。だが、それはロイが謝るのも筋が違う問題だ。
「…そうですか」
「…。もう、過ぎたことです」
冷静すぎるほど冷静な声には感情が見当たらないが、それはないのではなく押さえているせいだということはわかっていた。それ以上聞いてもお互いに得るものはない、と判断し、ロイは本題に入る。
「…これは、事件とは関係ありませんが」
「はい?」
「…ご子息とは、よく話し合ってください。…彼があんなに一途にユーフラジーを探していたのにも、何か理由があるのでしょうし」
「…はい」
神妙に頭を下げる男をしばらく見ていたロイだが、再び話題を切り替える。
「遺産の相続に関しては、どうしますか。彼女には…?」
「全部、寄付できるように手を回そうと思います」
「…そうですね。それがいいでしょう」
ロイは頷き、それから何かに気付いた顔をする。
「そうだ。ただ、あの絵があったでしょう。あれを、あの店に寄贈してはどうですか。…何しろ、ヴァイオリンをもらってしまったし。内装も華やぐし、…画家も喜ぶのでは?」
「おお、そうですね、それがいい。彼も喜ぶ。孫と、過ごせるわけですから」
「…。しかし、遺産の相続人はポワティエ氏の娘なのだとばかり思っていましたよ」
溜息をついてわざと軽い調子で言ったロイに、ブランシェットは苦笑した。
「そういうことになっている方が面倒も少ないかと思いまして…あえて、今まで訂正しなかったのですよ」
「そうだったんですか」
「…。ですが、それも終わりです。相続人はいなかった。遺産は総て寄付される。これが一番いい終わり方でしょう」
そうですね、とロイは頷く。
「…あとは、ファンティーヌを解放してあげなくては、ですか」
「はい。…申し訳ありません。どうか、宜しくお願いします」
――絵画の練成陣でわかった、いくつかのことのひとつ。
地図が示す場所には、錬金術によって保たれた棺があるというのだ。その棺は特殊なもので、酸素を極端に抜くことで空間内部の腐食を極めて遅い速度に押さえることが可能になっているらしい。何しろ理論だけで現物を見ていないから、何とも言えないが。
そして、ブランシェットは恐らく、その場所を知り、かつ、その棺を知っている。彼にどうしようもなかったのは、そこから中に閉じ込められている誰か――いや、誰かだったもの、を取り出す術がなかったということだった。
「この展覧会が終わったら、絵を運びながら伺います。それが一番いいでしょう。余計な注目を浴びるのも面白くない」
ブランシェットは深々と頭を下げる。
「大佐には何と御礼を言ったらいいか…」
ロイは困ったように笑う。
「…私の、後見している錬金術師が」
「…?」
「私に言ったことがあります。大佐なら、一番いい形にしてくれる。…礼ならあの子に。私は、あの子の信頼に応える人間でいたいだけですよ」
よく考えて口にしたわけではないけれど、言葉にしてみると本当にそれだけの話のような気がした。微笑んでいたことに、自分でも多少は気づいていた。そんな男に、ブランシェットが目を瞠る。
「…そうしましょう。何かの機会を見つけて、ぜひ」
しばしの間を置いて、ブランシェットは穏やかに何度か頷いた。
エドワードとのデートは結局、最終日になった。
「手を繋がないか? 混みあっている」
下心がないなどとはありえない。といって、ただ手を繋ぎたいという、下心というのにもささやかすぎる希望だけれど。エドワードはむっとしたように唇を尖らせて、ぱしっとロイの手を叩く。つれない、と苦笑したロイだけれども、それで終わりではなかった。
「…!」
とすん、と肩からぶつかってきたエドワードは、ちょこん、とロイの服の裾を遠慮がちに捕まえたのだ。
「こ、混んでるから! そ、それだけなんだからな…!」
「…ああ、わかってるよ」
自分の上着のはしを指先でちょこんと摘んでついてくるのにやにさがりながら、その爪先を切りそろえたことを思い出す。つい昨夜の話だ。またエドワードと食事をしたのだが、店ではなくて、ロイの自宅にてテイクアウトの料理と缶詰のスープでのささやかな晩餐をとった後。そろそろ切るかい、と言われて黙って手を差し出したのはエドワード自身。
丁寧に切ってやすりまでかけたら、ロイは非常に満足を覚えたものだ。エドワードはひたすら落ち着かない様子だったが。
「エドワード」
名前を呼べばびくりと肩をすくめて、その後真っ赤になっていく。見る間に朱に染まっていくのは目に楽しくさえあった。それでも、自宅でも、どんなに美味しそうに見えても我慢するだけの分別はどうやらまだロイにもあったらしい。
「これから、君の爪を切るのは私の仕事だ」
そっと指先を撫でれば、思わずのように手を引っ込めようとするから、ロイは逃げないようにそれを捕まえる。髪の間から見える耳がとにかく真っ赤だ。
「…元に戻れば、…自分でも切れるし」
ぼそぼそと反論らしきものを言うのに、ロイは重々しく首を振る。