にぎやかな休日
ミネラルウォーターを入れたコップをテーブルに置いて、虎徹の足をパシンと叩き「邪魔」と一言口にすると「叩くなよ」と文句を言いつつも足を曲げた。それでも起き上がる気もなければ、どく気もないらしく、テレビチャンネルをぱちぱち変えている。典型的なダメ親父の例だと顔が引きつる。
「おっ」
虎徹が足を曲げたことであいたソファの端に座ったバーナビーが思わず声を出したのはオートレースが目に映ったからだ。
顔を向けもしなかったが虎徹はチャンネルをオートレースに合わせてリモコンをテーブルに置いた。やりたい放題の俺様の行動にバーナビーは真面目に驚く。
「え、いいんですか」
「いいんですかってお前んちだろ」
「だって、たぶんチャンネル回したら水着のオネーサン番組あると思いますよ」
「お前な、俺はどんだけエロおやじだよ」
思わずといったふうに顔を上げた虎徹は呆れた口調でバーナビーに愚痴った。それに軽く答える。
「呆れるくらい」
「うっせ」
オートレースはラスト2周のところで、先頭集団が大クラッシュを起こし、2位集団をも巻き込んだ結果、3位集団のトップを走っていたチームがうまく1位に躍り出た。画面はクラッシュ事故現場に運営側やチームサポートが駆け寄っているところがクローズアップされ、右下に小さく1位の現在状況が映し出されていた。
「あちゃー、こりゃ決まりだなぁ」
「ついてないですね」
クラッシュに巻き込まれたチームを応援していたバーナビーはがっかりして言った。
レースはそのまま進み、順位の入れ替えもないままトップを走っていたチームが優勝した。勝利インタビューを見ながら虎徹が言った。
「腹、減らねぇなぁ」
「でもあなたピザ、ほとんど食べてなかったですよね」
「飲んでると食いたくねぇんだ」
「食べて飲まないと身体に良くないんですよ」
「お前の口からそんなセリフが出てくる日が来るとはな」
自分でもそう思うから何も言えない。
バーナビーが今の、まだしも「まともな食生活」とぎりぎりの範囲で口にできるのは虎徹の盛大な愚痴とぼやきの結果だった。曰く、「米を食べろ」「野菜を採れ」「炭酸は飲むな」。ことあるごとに、こと細かく、ひたすら言い続け、何を食べたか聞き、やれあれが足りない、これは食べ過ぎだと仲間たちの前でも口にした。
そのあまりの煩さに音を上げたバーナビーができるだけぼやきを聞かないように食生活を改めた結果、今ではなんとか三食摂るようになってきた。さすがに米はめったに口にしないが、パンは食べている。
「よし! トランプしよう」
勢いよく起き上がった虎徹にバーナビーはうんざりした視線を隠さない。
「また、ですか?」
「いいじゃねぇの。お前もルールを理解したし、これからが本番ってもんよ」
「8時過ぎてますよ、そろそろ帰ったらどうですか」
「お前はねー、追い出したい病だな」
ピンクのトランプを手に虎徹はテーブル向こうに座った。かろやかにカードをきる姿は随分と手慣れている。トランプを知らなかった自分とは違う。
「追い出したいって・・・・・・あなた、もう8時ですって。人の家にいるには非常識な時間だと思いますが」
「まだ夕飯食ってねぇもーん」
そんな軽く言われても。腹が減ってないって言ったのはあんたでしょ。
「そんなことより、ほれ、カード配ったぞ」
「なんですか、これ」
「お前の好きなババ抜き」
・・・・・・好きですけど。好きですけど、もういい加減帰ってもいいだろ。・・・・・・あー、でもなぁ・・・・・・じゃなくて、帰れ、今すぐ。そう思いながら口は勝手に動く。
「1回だけですよ」
「おー、1回、1回」
軽い口調で答えながらカードを捨てていく虎徹にバーナビーは胡散臭げな視線を投げた。
「本当に1回だけですよ」
でもな、とか思っているくせして、はっきりと迷惑な声を出す。いや、ほんと迷惑だし!
そうして始めたババ抜きは予想通りバーナビーが負けた。悔しくてもう1回、もう1回と回数を重ねて、もはや何回目かわからないと思ったら。
「バニー、11連〜敗〜」
そんなに負けていたか。いらないことをニヤニヤ笑いながら教えてくれるとは腹の立つことこの上ないが、どうしても勝てないのはなぜだ。妙に可愛らしいピンクのウサギを睨みつける。
「もう帰ったらどうですか。9時ですよ」
ほとんど一時間ごとに口にしている帰れコールをまた口にした。ホットケーキ食ってからでもいいかと本当は思っていてもそんな気の迷いからは目を逸らす。
この人がいるといつもシンと静まり返っている部屋が騒がしい。気づけばいつもの三倍くらい喋っている。心から文句を言っていても、いざこの人が帰っていなくなるとふっと寂しくなったりして、無意味な敗北感に動揺する。
一人でいることは気楽だ。でも二人でいるちょっとした窮屈さも悪くないとこのごろ少しだけ思っていることは、認めたくなくても認めるしかないがどこか釈然としない。
「よし! バニー、ビール」
「はぁぁ」
ご機嫌なおじさんのニヤケ面を見て、バーナビーは大きなため息をついた。なんで、休日をこんな人と一緒に過ごして悪くないって思うんだろう。不精髭も、ぼさぼさの髪も、時々穴のあいているTシャツも、食後に爪楊枝を使うところも、水着に鼻の下を伸ばすところも、全部全部ぜーんぶ気に入らないのに。
「ビールはないって言ったでしょ。スコッチでいいですか」
それでも突き放すことはできなくて、引き止めるようなことを言ってしまう。本気で自分がわからない。虎徹が頷くのを見てからバーナビーはアルコールの用意をするために立ち上がった。
「なぁ、バニー」
「なんですか」
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しながら適当に返事をする。アルコールはないって言えば良かったかなと少し後悔したが、これもなんとなく思うだけでやっぱり口にはしないんだろうと、こちらはなんとなくより強い気持ちで言い切れた。
「お前、女いるの?」
「うわっ」
脇に挟んだスコッチの瓶を落としそうになって焦る。ったく、なんて質問だ。
「あなたに関係ないでしょ、そんなこと」
ダイニングから睨み付けると虎徹は軽く眉を上げ「ま、わかってるけどな。お前に女がいないことくらい」などと憎らしいことを言う。
「女がいりゃ、こんな殺風景な部屋になるわけねーし」
大きなお世話だという言葉を奥歯で噛み潰して、バーナビーは飲み道具一式をテーブルに運んだ。グラスに氷、スコッチ、水を適当に入れてマドラーでまぜる。
「どうぞ」
「サンキュー。で、やっぱいないんだろ?」
女性の話題から離れる気はないらしく、視線で答えを促してくる。
「いませんが不自由はしていません」
どうせバレることなので素直に答えておく。不自由していないというのも本当で、次から次に声をかけられるがどうせ物珍しいだけだろうし、こちらとしても興味はない。見世物になるのもアクセサリー代わりになるのもまっぴらごめんだ。
「これだからいまどきの若者は」
「男の嫉妬は醜いですよ」
悔しそうな虎徹を見ながらバーナビーはさっさと口にする。
「だからといって、誰かれかまわずに寝ているわけじゃありません」