にぎやかな休日
まるでコントのような会話をしながら食事を終え、またコントのような会話をしながら後片付けを終えたら11時だった。
「おっさんはもう眠いんですが」
虎徹が腹をぼりぼりと掻きながらあくびをする姿はバーナビーの気持ちをげっそりさせたが、腹は意外に割れている。思わず自分の腹にも手をあて「まだ勝ってる」などと一人で張り合ってみる。
「パジャマ代わりになるものを持ってきますから風呂に入ってください。もう一度言っておきますけど寝るのはソファですよ」
バーナビーは「ソファ」を強調して、ついでに指まで指して言った。
「あーはいはい」
虎徹が案外素直に頷くのは眠いのと最初からベッドで寝ようなんて思っていないからだ。バーナビーにはああ言ったがあんなものはコミュニケーションのひとつで、床に寝ろと言われても別にかまわない。
「ひでぇ男だぜ」
聞こえよがしに言ってみるのもバーナビーの反応が面白いからだ。
「放り出しますよ」
「へぇへぇ」
虎徹は今度こそ本当にバスルームに向かった。
バーナビーがテーブルでパソコンを叩いていると、用意しておいた洗いざらしのTシャツと短パンを身に着けた虎徹が濡れた髪をタオルで拭きながらリビングに入ってきた。
「サンキュー、バニー。いい湯だった」
「水はそこ、寝場所はあっち」とテーブルに置いたミネラルウォーターのボトルを顎で指した後、背後のソファを指差した。
「何度も言われなくてもわーってるっつーの」
バーナビーの斜め向かいの椅子を引き寄せ、ドサッと座った虎徹はふぅと息をついた。ペットボトルの横にグラスが用意されていて、虎徹はちょっと目を細めた。こういうところに育ちの良さを感じる。
ところで、とバーナビーはノートパソコンを閉じながら虎徹に目をやった。
「ところで、先にいびきをかいて寝る気じゃないですよね」
「・・・・・・お前は一言余計だ」
いびきはかくに違いないが意識のないときのことを言われても困る。
「いいですか、家主より先に気持ち良く寝るなんて最低最悪、非国民です」
「そこまで言うか」
グラスに水をつぎながら虎徹は無愛想に言った。風呂に入って、心地よいけだるさと眠気が虎徹を無口にする。
「とにかく、俺が風呂からあがってくるまで水着のおねーさんでも見て目を開けててください。寝てたら蹴飛ばしますよ」
わかりましたか! と念押しすると、おじさんはグラスに口をつけながら手をあげた。半分目を閉じているような雰囲気だがここまで言えば寝ることはない。どう思っているかは知らないがどうせたいしたことを考えているわけはない。バーナビーはメガネをパソコンの上に置きバスルームに向かった。
洗濯機も置いてある脱衣所でぱっぱと服を脱いだバーナビーはバスルームに足を踏み入れる瞬間「あ、ハブラシ」と思いついた。
他人どころか養父でさえ、泊まりに来たことのない部屋は自分以外の人間が使用するものがない。用意する必要もなかったし、これからもないはずだった。
湯船につかりながらバーナビーは「ハブラシ、ハブラシ」と呟いた。
思いのほか、湯船につかるのは気持ちよく長風呂になったバーナビーがリビングの扉を開けるとテレビがついていて、政治なんて興味ないくせに討論番組なんかが映っている。ソファから足がはみ出しているところを見るとおじさんは寝そべっているらしい。
「別におねーさんの番組でも良かったのに」
「探してもなかったんだ」
本当のような嘘のような返事が返ってきて、「なんだ、起きてるんですか」とバーナビーは言った。
「起きてろっつったの誰だよ」
ムクリと身体を起こした虎徹は文句を言ったがとりたてて不機嫌そうでもない。眠そうな目をしていたがきちんと意識はあるらしい。
お前なー、とため息をつくくせに言う言葉を変えたらしく、どうでもいいことを指摘してくる。
「髪の毛、乾かせよ」
「別にいいです、面倒だし。あなただって乾かしてないでしょ、ボサボサですよ」
「俺はいいんだよ、おっさんだから」
「おっさんは否定しませんけど、若者だからって乾かさなきゃいけない理由もないし」
バーナビーはミネラルウォーターをグラスについで一気に飲み干した。冷たさが身体に沁みて心地よい。
「どうでもいいから乾かせって。気になるんだよ」
ふん、とバーナビーは肩をすくめたが大人しくドライヤーを取りにバスルームに向かった。そして、虎徹がテレビを見ているその横でわざとらしくスイッチを入れた。これでテレビの音は何も聞こえないだろう。ちらりと伺い見るとソファに深くもたれたおじさんは何を考えているのかわからない顔でぼんやりテレビを見ていた。
遠慮なくガーガーやっていると横から伸びてきた手にドライヤーを奪われ、「くし」と言われた。そのまま呆気にとられて眺めていると、おじさんは自分の髪にドライヤーをあて始める。
俺様はどっちだ。ため息をつきつつもバーナビーはくしを取りにまたバスルームへ向かった。
「はい、どうぞ」
目の前に櫛を差し出すと、虎徹はドライヤーのスイッチを切ってなんでもないことのようにバーナビーに言った。
「やってやるから、そこ座れよ」
「・・・・・・は?」
「俺はさ、楓の髪もろくに乾かしてやることできなかったけど結構ドライヤーをかけてやるの好きだったんだ。時々、こてって突然寝ちまうの、すっげー可愛いかったなぁ」
「で? 俺はそのすっげー可愛い娘さんじゃないですけど?」
「わーってるよ。楓とお前が違うことくらい。お前みたいにひねくれてねーもん。そういうこともあったって話だろ?」
特に返事を必要としているわけではない虎徹は続けて言った。
「ここはおっさんに免じてそこに座れ」
ソファにあぐらをかいた虎徹は自分の前に座るようバーナビーを促す。
これはどういう状況なんだ。もともとよくわかない人ではあるけれどもと思いつつも、バーナビーの頭はかつてないくらい混乱している。からかうわけでもなく、ごく自然に「髪を乾かしてやる」と言う。思わず眉をひそめるが、そんな顔を見てもおじさんはなんの気負いもなく見つめ返してくる。なんだろう、この人は。この状況はいったい。
「難しく考えるなよ。俺が間抜けみたいで恥ずかしいだろ? とにかく座れって」
立ったままのバーナビーを見上げて眉をひょいと上げる姿からは恥ずかしさは感じられない。釈然としないながらも考えることを放棄してバーナビーは虎徹に背を向けてソファにあぐらをかいて座った。どうせ考えても答えなんか出ない。それだけは確信を持って言えた。
髪をかき回されながらドライヤーを使われる。案外乱暴で、これじゃあ娘さんが寝たなんて言うのはあやしい話だと思った。
美容師以外の他人の手で髪を触られるのは覚えている限りなく、養父はこういうことをする人ではないし、遠い昔に両親が撫でてくれたかどうかもあやふやだ。
髪を触られながらドライヤーからの温風を頭皮や首筋に感じていると身体自体が熱いくらいになったが、同時に眠たくなった。目を閉じたバーナビーが猫背気味に少し前のめりになっても虎徹は何も言わず、くしを使って髪先を乾かすことに専念している。