嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』
「いいえ夜中に」
「夜中?」
こっちの話と噛み合わない。夜中のこと、の方が彼女には重要事項みたいだ。
夜中っていうとあの死体遺棄事件。それがへーくんとの運命の再会より?
「喧嘩しました」
「あ」
あ、話が繋がった。
「しましたよね? 喧嘩で嫌いになりませんでしたか?」
「喧嘩っていうのか、あれ」
深夜の人気の無い森の中、死体を間に挟んで殴り合ったというような、そういう感じのあれ。
再会したへーくんと喧嘩して、それでもなお、おれがあーちゃんの所に戻ってきてるのが不思議ってことか。
確かに激しい喧嘩だった。喧嘩っていうか一方的にあーちゃんがへーくんの命を奪おうとしたよね。へーくんも悪かったけど。
それって喧嘩の範疇かなあ?
「もしやノーカンですか」
「あれは数には入らないかな……多分」
「よかった!」
あーちゃんは泥だらけの顔とほつれた髪のまま、幼い表情でニコニコ笑った。
幼いんだ。
あの頃からもう十年経って、おれも彼女も、それからそれ以外も全て同じように成長している。ずっと入院してたおれの精神年齢はどうだか判断が難しい所だが、あーちゃんはきちんと社会に出て見た目も中身も十年分の経験を積んでいる……という話だ。
でも、幼い。そんな顔をする。ちょっと支離滅裂な電波な言動は、要するに理屈の形成されてない子供のすること。
昨日今日のおれの精一杯の推測によると、へーくん、の前だとこうなるみたい。事件当時のまま。
いや、事件以前のまま、かな。
ああ、この幼い笑顔は今初めて見たような気がする。いや、昔々に見たことがあるような気がする。手の触れられないほど昔に見たっきりだったような気がする。
今、それは戻ってきたんだって。やっと、だ。十年近く経過して。
懐かしくて愛しい。
でも悲しい。
同時に頭の中に湧いた感覚は、つまりお可哀想にってことだ。
ニコニコの無邪気な笑顔が目の前に現れて、一瞬のうちに頭の中でわっと湧き上がった記憶、暗い部屋の中の薄暗い思い出、犯人から暴力を振るわれる彼女の姿。泣くのも喚くのにも疲れきった汚れた横顔。昔のこと。短いフラッシュバック。
自分も同じ目に遭ったはずなのに、それで他人の彼女ばかりお可哀想になどと思うってことはつまり愛してるってことだろう。夏目漱石がなんか言ってた。他人の言葉。
「起こして下さい」
ベッドから両手を突き上げて、そんなことを言う。
「はいはい」
「だっこして起こして下さい」
「はいはい。朝ごはんできてるから、早くシャワーでも浴びてきなさい」
「はいは一回!」
今笑えるのなら、それでいいのにな、とも思う。壊れてても。いっそおれは何も触れない方が……と気弱な気分。人間並みに感情の起伏を繰り返す。
こんな調子で、ベッドから下ろして洗面所へ送り出すまでちょっと時間がかかってしまった。
で、一人残されて、覚めていく朝食をぼーっと眺めてふと気づく。
着替え、準備してなかった。
着替え。
今着てるのは泥だらけの緑色ジャージ。泥だけなら結構だけど、泥以外が付着している可能性もあるジャージ。
シャワーを浴びた後、それをまた着用することになると。まずいのではないかと。
だって浴室ではあーちゃんがシャワーを浴びているわけですよ。全裸で。
もちろん浴室の手前には脱衣所がありますよ。脱衣所と浴室は半透明のプラスチックが填め込まれたドアがありますね。
脱衣所に着替えを置きに行くとします。
すると全裸のシルエットが見える! 半透明プラスチックの向こうに思わせぶり湯けむりモザイクに隠された少女の全裸!
普通に考えてドア越しには見えないけど。
見えないけど、見えないとしても、肌色のこう、あの形は見える。
おれはかなりマジメに悩んだ。ふざけてはいない。純情ぶってるわけでもない。見れるものなら見たいと思う気持ちと倫理観とその他いくつか存在する前提の苦悶。
だってさ。彼女は女の子だよね?
女の子だよね?
うっかりアクシデントでエロゲみたいなイベントが起こっちゃったらどうするの?
うっかりでもそういうイベント起こしちゃうのは、正しくないことではないでしょうか。
あと多分怒られる。先輩から怒られる。むしろ申し訳ないような気もする。
ほんとにおれは真面目君だと思う。そうは見えないと言われそうだけど。
一、二分間は立ち尽くしたまま悩んだ。そしてよくよく考えると、悩めば悩むほど状況は悪化すると気がついた。
さっと行ってぱっと置いてくればいいじゃないか。
もたもたしてたら、ちょうどシャワーを浴び終えた全裸の彼女と鉢合わせ! みたいなね。イベントが起こるのは間違いない。急ぐのが最善。
考えがまとまれば、行動は早いのがおれの長所の一つ。普通かな。
素早くクローゼットから制服と下着を取り出し、いや下着が無いと着替えができないからですね、などと言い訳を精神世界で行いながら廊下に出た。
全裸を目撃するのと勝手に下着を持ち出すののどちらが重罪だろうか。パンツとブラジャーね。全国の女性の皆さん、どう思います?
回答などいらないのだ。次のイベントでおれの頭はフリーズし、くだらない疑問や罪悪感と言い訳の一つ二つはあっという間に取るに足らないものになった。
「あ、へーくん」
リビングのドアを開けたら、全裸のあーちゃんが突っ立ってた。
「ちょうどよかった」
と、笑ってた。
当たり前にむき出しの顔、首、肩、腕、鎖骨、胸、胴、××、太腿、膝、足首、足の指先、爪先、焦茶色のフローリングに擦り動く小さい足の指。モザイク無し。
不可抗力!
これは完全なる不可抗力だ!
目線の先に彼女の顔が、顔はさっきまでと全く同じで、だけどおれより身長の低い彼女の顔を見るためには少し下に視線を向けないといけないということは首より下の全裸部分が否が応でも目に入るということなんですよ。
顔から続く白い肌がひとつなぎに体全体を覆っている、骨と筋肉の浮いた肩の鎖骨のそれより下はちょっとレーティングの関係上秘密なんですけど遠まわしに言うと膨らみとくびれと毛と膨らみが形が鮮明な映像で肌色。
肌色すぎる!
こんなに視界が肌色で覆われたのはかつてない経験だった……。それも女の子の明るい肌の色。
「大変ですよ」
「なにが!?」
あーちゃんは掴みかからんばかりの勢いで(全裸で)おれに詰め寄り、真剣な顔でキッとおれを見上げた。全裸で。
「家の中に知らない人がいます」
「へっ?」
「泥棒さんです」
だからって全裸で? いやなおさら全裸で?
「泥棒? どこに?」
「いました」
断言、そしてますます詰め寄ってくる。
どうしよう。肌色の塊との距離が縮まっていく。おれと彼女の間にあるのはもはや彼女の制服と下着だけである。それはおれが胸に抱えているものだ。つまり抱えている手が腕が腕が彼女の××が押し付けられる。
落ち着け。興奮してる場合じゃない興奮してる場合じゃない。冷やせよ頭と××××××。
彼女が何の話をしてるか考えてみろ! なによりまずいのは、彼女の格好なんかじゃない。
会話に集中しなければならない。うまく語るんだ、嘘を。ごまかしの嘘を。
作品名:嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』 作家名:浦門壮一