嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』
動物の体臭を間近で嗅ぐような、鼻を突く匂いがした。
ひどい頭痛が続いていた。
ぐったりと横たわったおれは、自分がどうやら縛られて身動きが取れないことに気がついて、その意味のわからない状況を飲み込む前に、視線の先に女の子が居ることを急に認識した。
壁に背をもたれて座っている。両手を後ろに回している。その時は知らなかったけど、彼女は後ろ手に手錠を嵌められていた。薄いノースリーブのワンピースを着ていた。
鉄格子のはまった窓が、女の子の頭の上にあった。窓は開いていた。深い藍色の空に、星が光っていた。風が吹き込んで、部屋の中の異臭を引っ掻き回した。
俯いた顔、落ち窪んだ両目に影が落ちて、青白いその子は幽霊のように見えた。
ふと、その子は顔を上げた。
垢と埃と体液で薄汚れた顔が、おれを見つめた。痣だらけの顔で瞬きをした。でも、何も言わなかった。何も感じていないような、顔をしていた。
また風が吹いた。女の子の長い髪と汚れた服がヒラヒラと揺れ動いた。そしてまた鼻を取り外したくなるような異臭がやってきた。それで、おれはその異臭はその子から出ているのだと理解した。
それと同時に、自分もこのような目に合うんだ、と不気味な予測を抱いた。
それはあーちゃんだった。おれより少し前に行方不明になっていた、同じ小学校の友達だった。
□四、赤の他人の名探偵
「あーちゃん、起きてる?」
答えない。
「あーちゃん、おれのこと覚えてる?」
答えない。
「同じ小学校の……」
答えない。
「もう三日も何も食べてないよ」
「うん」
「寒いね」
「うん」
微かな声で、うなずくようになった。
「明日は来るかな」
「たぶん」
「どうしよう」
「明日、多分、わたしの方が」
「わかんないよ。なにするか、わかんないもん」
「……お母さんいつ会いにくるかな」
「来て欲しい?」
「わかんない……」
「ねえ、もし明日あいつが来て……痛くしたらごめん」
「うん」
声を潜めて話していた。
すぐ隣に座っているから、囁くような声でもちゃんとお互い聞こえていた。
むしろ、二人以外いない部屋の中だと、子供の小声でも大きすぎる気がした。
何があったって、朝は勝手にやって来る。明けない夜はない。
The night is long that never finds the day.――なんて、半端なサブカルかぶれよろしく、マクベスの引用をしてるんじゃない。あの台詞はもっと絶望的な意味で、夜が明けなきゃ、未来もないってこと。つまり泣かずにカタキを射つために戦えよって。じゃなきゃ世もおしまい。お前がいつまでも泣いてるせいだ。しかしおれはこの台詞を吐いたマルカムよりさらに無神経な奴で、つまりどんな酷い事件が起きようが、何も知らない世間様は爽やかな朝を迎えるのが当然だと言いたいわけだ。だっておれがその昔監禁されて地獄を見てた間も、世の中じゃ普通に朝が来たり夜が来たりしてたんだし。
どんな陰惨な殺人事件が起ころうと、その第一発見者のおれが、重要参考人として一晩中事情聴取を受けて寝不足だったとしても。
自動的に朝が来てしまった。
一端家に帰ったまでは良かったんだけど。また明日にしてもらえるかなとか淡い希望。結局お呼び出し。
流石に今日は学校に行きたくない。そう思いながらも結局、普通に登校してたのがおれという男だった。問題行動起こしてるとか思われて、やはり頭がおかしいと周囲に目をつけられても困るわけだし。
「おい、兵助、大丈夫か」
「一応」
正直全然大丈夫じゃない。朝、HRの後半から寝てた。しかし暫く現実と妄想の間を往き来しているうちに、薄く残った意識の真上から、尾浜の声が聞こえてきたのので、返事をした。
「そうかそうか。昼なったぞ」
「昼」
何故かその一言で急に目が醒めた。勢いよく顔あげて目を開いたら眩しい。
おれは本日最後の記憶(教室の机で睡魔に負ける前)とまったく同じ体勢のまま、だった。
「うわっ」と、尾浜が軽く叫んだ。
「急に起きんなよ」
「急に目が醒めた」
昼って言われて、それの何がおれの意識に突き刺さったのか知らないが、とにかく急に眠気が飛んでいった。基本、人間の意識なんてのは意味が判らない。
しかし眩しい。まばたきしまくり。
「なにお前、腹減ってた? 朝ちゃんと食ってきた?」
「減ってない。食ってない」
「駄目だ。朝飯抜かすと馬鹿になるぞ」
「それは初耳」
「昼どうする? 持ってきた?」
「持ってきてない。買ってくる」
「ついでにジュース買ってきて」
尾浜は嬉々として小銭を差し出そうとしたが、
「あ、パン持ってきてた」
おれはあえて裏切ってみる作戦だった。
「おい」
「行ってらっしゃい」
尾浜は渋々と教室を出ていった。
奴は、おれにジュースを買いに行かせるために、昼休みに入ってすぐにおれの前の席に移動してきたのだった。多分。だいたいそういうパターンだ。今の前の席の奴はいつも学食に食いに行くため、授業が終わった瞬間教室を出るからもういない。なぜ直ぐ学食に行っていることを知っているかというと、時々おれも一緒に学食にで飯を食うからだ。
正直に言うと、この尾浜勘右衛門という奴とは友達である。前の席の奴も友達である。つまり皆さん覚えていますね、最初にでおれが自分は友達がいないと独白したのは、ちょっとした完全な嘘なんです。おれは実際のところ、そういう奴。
ところでおれは自分も飲み物を買って来てないってことに、今気づいた。
で、結局自分も購買までジュースを買いに行く。なんか間抜けだ。すぐ追い付いた。
「あれ?」
「飲み物買って来るの忘れてた」
「なんだよ」
と、廊下で笑った。
「追いかけてくるからさ、若干焦った」
「やましいことが」
「ないって。いや、なんかさ、事件の香りみたいな」
購買横の自販機には、黒山の人だかりだ。せめて昼ぐらい飲まないと退屈な学園生活なんてやってられない。とかみんな思っているに違いない。
「昨日大丈夫だったの?」
「なんとか一命を取り留めて、ドクターストップを掻い潜りながら登校してきました」
「まじで。襲われた?」
「嘘。犯人、後ろ姿しか見てない」
「ふーん。どうなのよ、第一発見者って」
一人一人、自販機の前から外れていくが、なかなか列は前に進まない。でも後から後から生徒がやってくる。すごい人口密度。そんな列の間だと、周囲のひそひそ声が非常に判りやすく聞こえてくる。
まして、尾浜が第一発見者とか言うから。
ほら、あれが件の被害者の久々知兵助だって。第一発見者って? また? 深夜に一人で林の中にいたとか怪しくない? などと、言われてしまう。
「何でみんな知ってるんだ?」
「みんな、ね」
ふっと、尾浜は鼻で笑った。おれではなく、回りの奴らにちらっと目線をやりつつ。
「おれは担任から聞いたよ。一応、知ってた方がって」
「やっぱ容疑者扱い?」
「そんな感じ。学級委員長だからね、問題行動を起こしたクラスメートの人間関係の管理も仕事なんです」
「それは大変ですね。何飲む?」
「ブラックコーヒー」
「背伸びしたい年頃か」
作品名:嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』 作家名:浦門壮一