嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』
「お前もコーヒーにしといたほうがいいよ。午前中の授業態度は猛省を要する」
「昨晩はほぼオールだったんで」
やっと自販機とご対面である。おれは忠告を無視して緑茶の冷たいやつにした。
「おれの分はー」
「早く買えよ。後ろつかえてる」
と、おれは素早く列から外れた。尾浜の方をふり返ると、奴の後ろに並んでいる無数の人間が目に入った。彼らの半分ぐらいは、おれを認識している。無邪気な興味関心を抱いた、光る眼でおれを見ている。だけど彼らは振り向いたおれと視線がぶつかり気味になったのに、多少の気まずさを感じているようだった。腫れ物だ。
言っておくが、おれはそういう扱いに慣れている。何しろおれが世の中に出た時点で既にそうだった。だから平気。平気なんだけど、世の中的には、そういうのがあまり正しくないのも判っている。
具体的に言うと、犯罪被害者に対する差別の非正当性。
感覚と理屈の対立だ。こういうことも、よくある。たぶん一生続く。
「尾浜、何にした?」
「ココア」
でも、こんな風な何気ない瞬間に解放を得られるので、大した問題でもないわけだ。
「ブラック?」
「そんなのあるわけないじゃん」
尾浜はニヤリと笑って、手に持った紙パックを顔の前で揺らした。
「実は甘党?」
「イエス」
しかもホットかよ。今日は結構暑いのに。
事件とは全然関係無い話をしながら、自販機とその周辺の好奇の目を後にした。
「で、結局どう? 大丈夫なわけ?」
「精神的な話?」
「まず睡眠時間的に無理なのは判ったからさ、次」
再び教室に戻って、飯食いながら同じ話題。
「一応確認するけど」
尾浜はちょっと引くぐらい真面目な目つきになて、一呼吸分、押し黙った。何を言うか、想像ぐらいできる。それに対する簡単な正しい返答も判る。おれは真実、その答えを真実に則して答えるけど、しかし仮に真実が間逆だったとしても、同じ内容の答えを示すだろう。つまり嘘を付く。
生きた人間なんだから仕様がない。
尾浜はゆっくりと息を吸った。
「やってないよな」
「やってない」
おれは間髪入れず答えた。
誰だってこんなに簡単に嘘が吐けるってのに、たった一言の供述に意味があるとは思わない。
でもそれ以上に思うことは、どうもこいつは本当に無神経な奴だということだ。嫌いじゃない。こいつの徹底した好奇心への真摯さ。時々攻撃的なほど無邪気。判りやすくていい。
普通聞くか? 昔ガキの頃に拉致監禁された経験のある奴に、――それも最終的に死体の山の中で発見された奴に、そんなこと。
人を殺しましたか?
なんてさ。
こいつに初めて話しかけられた時、それは転校してきた初日の登校途中でいきなりだったんだけど、その時から既にこんな無神経な感じだった。
要するに、学校じゃもう早々と転校生のおれの生い立ちに関する噂は広まりきっており、諸々の人間関係の形成が困難であることが予想される、興味本意で近づいてくる人間もいるだろう、実はおれがその最たる例なので、まずは友達になって欲しい。こんな口調じゃないが、大体そんな感じだった。
ちょっと変な奴だ、というのが感想。世の中の狭いところしか知らないおれですらそう思ったのだから、普通の人間からしたらもっと変な奴なのではないかと思う。しかしながら尾浜は、これでちゃんとクラス委員長を友人たちの信頼に支えられながら真面目にこなしているのだった。多分。
「普通に答えるなよ。お前さ、変な奴だよ」
尾浜は弁当をつつきながら、食い物の合間でそのように発言した。
「おれもそう思ってた」
「やっぱり自覚ありか」
「いや、お前が」
「あ?」
「やったか、とか普通に聞くなよ。普通、聞かないだろ、そんなこと」
「だって気になったんだよ」
悪びれない。そういう奴だって知っている。尾浜は再び食い物の間で、軽く笑った。
尾浜は多分きっと母親の手作りに違いない弁当を、人の机の上に勝手に広げて食っている。さすがに自分の椅子を奪われるのは回避したが、その代わり前の席の奴の椅子は奪われた。
大きめの二段の弁当箱の中身は、上の段は唐揚げと出汁巻き卵、ポテトサラダとブロッコリー他、梨が二切れ。下はフリカケつきの白ご飯。安定した家庭の象徴。これを羨ましいと思えたら、そこそこ人間的だな、と考えた。つまり相当、羨ましいと思ってるってこと。
朝、コンビニで買ってきた変に湿ったパンを食べながら考える。
「一人暮しだっけ、転校生君」
「そう。別に家遠くないんだけど、なんとなく」
適当に教科書類の詰め込まれた鞄に適当に詰め込まれ、午前中の眠気に逆らえず鞄もろともかなり適当に扱われたパンは、食いやすい厚みにちょうどよく潰れていた。中身のコロッケはパンからはみ出てた。
「一人じゃ昨日の今日で大変でしょ、実際」
「今日は正直、朝コンビニ寄ってくる時間も厳しかった」
しかし買ってこないと、昼飯がない。購買や学食もこの学校にはあるんだけど、あれはかなり体力を使うのでこの寝不足だと無理。なにしろ腹を空かせた高校生が何十人も一ヶ所に詰めかけるから、一時的に学食や購買はすごい人口密度になる。以前東京にいた頃に体験した朝の満員電車と遜色無い状態だ。誇張無し。
「第一発見者になんてならなければよかったのに」
「見ちゃったもんは仕方ない。善良な一般市民としては通報の義務を果たさずにいられなかったんだ」
「それは当然のことだ。大した手柄だ」
「自分でもそう思ったんだけどさ」
コロッケパンは中身が頭の方からはみ出ていた。いや、はみ出ている方をパンの頭とおれが決定しそっちから食い始めたんだけど、食っているうちにケツの方からもはみ出始めた。ビニールの袋の中にコロッケの残骸のみが残る状況。もったいないし当然食べないなんて選択肢はない。袋を逆様に振って、ボロボロのパン粉とじゃがいもを上向いて開いた口の中に落とす。むなしい食べものだ。この構造だと、仮に潰れてなかったとしても、ケツから中身が出る。しかも考えてみるとパンの中にパンで包まれたものが入っているメタ食物。
「まさか警察に疑われてんの? いや、でも実際疑われてるっても、正直噂レベルでしょ? おれみたいな野次馬根性の奴が、根拠もなく言ってるだけだって」
「それがさ」
コロッケパンは終了した。
「いや、疑うのはやめて下さい」
「可能性の一つとしてね。でも推理小説の筋書きとしっては、一番最初に怪しいと思われた奴って大体犯人じゃないから」
「だから?」
「怪しいけど違うんじゃないかと踏んでいる。おれはお前を」
「探偵役かよ」
「ワトソンの席は譲るよ」
「ホームズは読んだことない」
「うっそ信じられない。世界の名作なのに」
つまり尾浜はこんな奴だ。赤の他人の興味本意であり、無関係の無感情。ご近所で起こっている凶悪犯罪も明るい好奇心の対象でしかないようだ。
でも多分、人間ってそんなもんだろう。当事者じゃなきゃ、小説の中と痛ましさは同じ。
しかし尾浜に限っては、当事者になったとしても、同じような赤の他人の目線のままでいられるところがあるんじゃないか、と思わせる件があって、それはまた後の話。
作品名:嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』 作家名:浦門壮一