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嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』

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 〇度、横目で彼女のうなじを眺める。髪が腰まで長い。こんなに長かった記憶は無いが、髪は時間の経過で伸びていくということは知っている。
 判らなかった。あーちゃんだったのか、よく似た赤の他人なのか。
 悩んだまま通り過ぎた。
「聞いてんの?」
 尾浜が呆れたようにおれの顔をのぞき込んだ。
 その時、背後から女子の声で、
「だって綾部はさぁ」
 と、聞こえた。
 綾部、だった。
 聞き間違いでもなく、覚え間違いでもなかった。
 偶然でもないだろう。
「綾部」
 おれは振り向きざま、そこそこはっきりとした声で、彼女を呼び止めた。
 振り返った。二メートルほどの距離。
 彼女は目を丸くして、不思議そうにおれを見上げた。
 彼女の友人らも不思議そうに首を傾げていたし、尾浜は「どうした?」とか何とか言っていた気がする。どうでもいいので覚えていない。
「綾部?」
 おれはもう一度確認するように、呼びかけた。
 三秒間ほど見つめ合った。
 彼女はまじまじとおれを見て、おれも同じようにまじまじと彼女を見る。
 正直な話、彼女が何か反応してくれないと、おれは彼女が本当にあの「あーちゃん」なのかどうか判らなかった。
 同じ苗字の人間はいくらでもいる。同じ名字で同じ年頃の人間はいくらでもいる。同じ名字で同じ性別の人間はいくらでもいる。しかし、この辺りの地域に「綾部」という世帯は幾つもはない。この高校に通っている生徒に、「綾部」は一人しかいない。そしてこの学校に通う「綾部」姓の女子は幼い頃に誘拐監禁事件の被害に遭っている。
 これだけ確固たる証拠が揃っていても、最後に照合すべき自分自身の記憶というものが、時間の経過で変化してしまっていて、確信が持てない。
 記憶とかいう曖昧なものに信用が持てなかった。経験的に。経験がないために。
 仕方がないので、そのこの三秒間、おれは彼女の反応を待った。おれよりもまだ、彼女の方がこういうことへの経験は多いだろう。記憶を頼りに、ということについて。
 彼女は果たして、おれの期待通り、「あ」とか「う」とか、とにかく表記しがたい短い驚きの声を上げた。
 覚えている。覚えられている。
 ということは、あーちゃん、だ。
 変な感覚を覚えた。快感に近い。推理小説を読んでいて、ラスト付近になって冒頭の伏線に気がついた時と同じ感覚だ。記憶と現実がつながった。
「会いたかった」
 おれがそう言うと、彼女はいよいよ驚いて、目を丸くし、口元を歪めた。
 それは最大限の困惑の表情だった。
 彼女の口から答えが出ない。数秒間口ごもり、絞りだすような声で、
「どちら様ですか」
 やっとのことでそう言った。
 断ってくおくと、おれは取り敢えずの流れで会いたかったなどと言ってみただけであって、本当に会いたかったかと問われると、実は会いたくなかったかもしれない。
 遠くで眺めているだけでよかった。と、言うと奥ゆかしいストーカーのようだが、まあ、概ね間違いじゃない。あの事件を生き延びた彼女の現状がひとまず判ればそれだけで十分だった。
 だのに思わず話しかけてしまったのは、本人を確認したかったから――という後付け。
 思わず、だ。動いた瞬間、意図せず。意図なく。
 思ったことだけを行動できるなら、人間って非常に便利だろうと思うんだけど。理性で全部制御できたら。もちろん呼吸とかそいうのは抜きにして。
 とにかく、別に心底会いたかったわけでもないので、こんなに困らせてしまったとしても、別に精神的なダメージなどなかった。明らかに会いたくなかったみたいな顔なんて。少し嘘。
「昔、近所に住んでた」
 おれは努めて明るく質問に答えた。間違いじゃない。だから嘘じゃない。
「覚えてる?」
「え」
 彼女はいよいよ困窮極まって眉を八の字に歪め、俯いた泣きそうな顔で首を二、三度横にふった。それから、助けを求めるように、横の女子の顔を見上げた。
 助けを求められた少女は、彼女を庇うように、一歩前へ出て立ちふさがった。派手な見た目の茶髪の少女だった。
「あの、もしかして今日転校して来た人ですか?」
 代理人らしい。
「そう。はじめましてよろしく」
「……綾部が嫌がってるんですけど」
 嫌悪。される謂れはない。そんな風に犯罪者のような目で見られるのは。
 尾浜が後ろで、わざとらしくため息をついた。
「おい、久々知。おれがさっき言ったこと、覚えてる?」
「何だって?」
「やめとけよ。女子はこういうのに敏感なんだ。お前みたいなの簡単には信用しないよ」
 こういうの、というのは、つまりおれが訳あり物件であるという件についてだ。
 尾浜の発言ははっきりとした皮肉で、この女子らへの攻撃だった。一応、奴は正義感の強い方。そして事件が大好き。
 あーちゃん、を取り囲んでいた女子が怯んで、各々顔を見合わせた。
 まるでいじめっていうか、差別してるみたいじゃん、あっちが悪いのに――と、そういことをバツの悪そうに呟きあっている。
 あーちゃん、はその中心で申し訳なさそうに笑って、首を振った。
 彼女とおれの間に立ちふさがる女子数人、熱を持った人間の壁の向こうに、彼女はぼやけて見えた。おれと彼女以外も生きた人間か、と当たり前の――当たり前と思わなければならないことが、頭にちらついた。
 そして唇を噛んで、彼女はおれを見上げた。
「お名前、なんて言うんですか」
 と、言った。
 覚えてない――と、はっきりと言った。
 別にショックでも何でもない。本当に覚えていないとしても、白を切られているとしても。覚えていないはずがないけど。
「久々知兵助」
「久々知先輩」
「よく知ってるな、先輩だって」
 あーちゃん、は頷いた。
 意味のない皮肉だった。おれが二年に転入してきたことは、この学校の誰でもが知っていることだった。
 あーちゃんがおれの年齢を知っているという証拠には成り得ない。
「ごめんなさい」
 相変わらず泣きそうな目で、人の波の向こうであーちゃんはおれに向きあった。
「覚えていません。ごめんなさい」
 と、彼女は嘘を吐いた。
 嘘だ。
 つまりおれはその瞬間、知っているくせに、という返答を飲み込んだのである。
 覚えていないのなら、こんな泣きそうな顔なんてしないだろう。身知らずの男に話しかけられた、それだけじゃないか。
「ごめんなさい」
 もう一度、彼女はそう言って、深く頭を下げた。
 この時はまだ、これでおしまいだった。
 へーくんは良くて、久々知兵助はだめ。そういった事実は確認できていなかった。
 彼女との再開はこんな感じだった。
 その後。あーちゃんが半泣きでおれに謝ったりするから、ますます周囲の空気は気まずくなった。というか女子の視線が凶悪になってきた。
 確かにこれは初対面の女子を半泣きにさせるという、学校生活においてかなり不用意事態だ。
 おれは完全に悪者だろうか。それに徹したほうがいいのか。どんなやり方が正しい?
 おれもさっきの彼女のように、他人に助けを求めて尾浜の方を見た。
 呆れ返ったように肩をすくめて、口を噤んでいる。高みの見物の様。なるほど。
 おれも肩をすくめた。
「そう。それなら、いいさ」
 良いも悪いも、別に何もないんだけど。