嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』
奴とは八年前にほんの一言二言、言葉を交わしたことがあるだけの幼馴染である。その短いやり取りでは名乗る暇も無く、昨日までお互いの名前と顔は一致していなかった。
「こいつから」
受信中の表示から、受信メールボックスに切り替わる。新着の閉じた封筒の図が並んでいる。一行しかないメールは開けていない。開けなくても画面半分下のプレビューで読めるから。
「いらないメールが大量に来る」
「どれどれ」
勘右衛門が机に身を乗り出して小さなパネルを覗き込む。十字キーの下を押しっぱなしにすると、受信メール一覧がもどかしい速度でスクロールする。全部タカ丸からのメール。
そういえば、初めてにこういった構造のものを見たときは、こんな風に変化するガラスの中身(実際はガラスじゃないかったが)が気になって分解してみたな、などと数年前のことを思い出した。分解してみて出てきた機械片に感動を覚えたのも覚えている。それは人間の臓器と同じように、緻密で複雑で精巧だった。実際に人の目に見える機能と、部品の造形が結びついていないのも同じだ。内側の脆さも、きっとそんなに差はない。
画面を覗き込んだ勘右衛門は暫く黙りこみ、ややあって困惑したように、
「返信の仕方はわかるの」
と、離れたところからボールを投げてみる試みから始めた。
「流石にそれはわかった。返信したいんじゃなくて、来ないようにしたい」
「いや……だれ? これ? 友達じゃないよね……」
「幼馴染」
子供の頃の知り合いだから、間違っちゃいないだろう。
勘右衛門は数回目を瞬かせ、目の前にいる奇異なものをなんとか理解可能な視界範囲に止めようとの努力をした。
隙間なく並ぶ無意味な問いかけ。ずっと同じ表情の絵文字。一定のテンション。それしか入ってない受信フォルダ。奴のメールが、返ってくることを期待していない大暴投の連続だと、容易に察しがつくだろう。
そしてそれが友達からのメールだって。
おはよう
何時に家を出る?
早起きしたよ先回りしてるよ
塀の上に猫がいたよ
猫の下半身がなかったよ
バス停に猫の下半身の皮が落ちてて女の子たちが騒いでたよ
いい天気だね
今日は何時に授業終わる?
休み時間って何時間ごとにあるんだっけ
どっか授業混ざっていい?
焼却炉の鍵知らない?
一時間目から寝てるのはだめだよ
へいすけくんはまだ社会常識が身についてないよね
云々。
この調子で、四十四通。
所々で気の滅入るような内容を送ってくるのが、鬱陶しい。
「兵助君、君は友達一人だけ?」
「いや、二人」
おれは人差し指を勘右衛門の鼻先に突き付けた。
これは否定されると悲しい。
「この斉藤くんはお友達?」
「幼馴染だから、友達かな」
なんとも言えない、苦虫を口の中に入れてしまった段階のような顔をした。まだ噛み潰していない。
勘右衛門は突きつけられたおれの人差し指を掴み、ゆっくりと机に押し付けながら、
「異常性を感じる」
包み隠さず素直な感想を述べた。
「なんで」
「いや、普通、授業中にどんだけメール送ってくるんだって話で」
「あいつ授業受けてないから」
「でもこっちが授業中だって知ってるでしょ」
「どうかな」
高校生は授業の間はメールの返信を行うことができない、との原則を知っていたかどうかが怪しいところだ。タカ丸の常識の形成がそこへ至っているかどうかは特に確認していない。
「メール返さない相手にそんなに一方的に送らないでしょ」
「そう?」
「そうだよ。考えりゃ判るだろ。相手に聞こえる距離で独り言を叫んでるみたいなもんだ」
「奴は多分そういう趣味の人なんだ」
「友達?」
「幼馴染」
「でも迷惑メール?」
「あいつに携帯を持たせたのが間違いだった」
「依存症かストーカーでしょうねぇ。お薬もらいに行ってあげたら」
「今日は病院の日じゃないんだ」
「君の?」
「奴の頭の」
「あ」
ぽん、と右の手のひらでおれの机を軽く叩いた。丸くした目で。
「思い出した。斉藤タカ丸。あ、知り合いか。そうか」
「そうなんだよ」
適当に相槌を打ってみた。勘右衛門が思い出したっていうのが、いったいどんなテレビのニュースだか新聞記事だか近所のおばちゃんから発生した噂だか知らないが。
「ちょっと携帯貸して」
「いいよ」
「いいのかよ」
さっきは答えも聞かずに勝手に弄ってたのに、今更。
好奇心に目をぎらつかせた勘右衛門はひったくるような勢いで携帯を受け取り、嬉々としてその画面を睨みつけた。
「暗証番号とか設定しないの」
「あえて隠さない主義」
「はん」
画面だけ見て鼻で笑った。別におかしくも何もない時に、お愛想で笑ってあげる作法。場を繋ぐためだけの意味のない質問、聞いちゃいない答え、無意識の反射で帰ってきた愛想笑い。嘘だらけ。
「”いい天気だね”って。そんなの見りゃ判る」
勘右衛門が読みあげたのは、ついさっき来たばかりの最新の受信メール、の件名。本文は空白。確かに今日は朝からいい天気で、確かに窓の外を見ればそれは一目瞭然で、そしてこの内容のメールは本日六度目だった。朝からずっといい天気だったから。
「最後にロケットの絵文字が入ってない?」
「ロケット? いや」
「ロウソク」
「違う」
「じゃあロリコン」
「そんな絵文字はない。どんな時に使うのよ」
「じゃあ何が書いてあるんだよ」
「何逆切れしてんの」
「くだらないことしてるからさ」
斉藤の奴が。
別に会って直接言ってもいいだろう。これは跡が残るから嫌いなんだ。
きっとここ数日で有名な推理小説でも読んだんだろう。
「正解はこれ」
勘右衛門が携帯の画面をおれに突き付けた。件名のみのメールの最後の絵文字。
「月と星?」
「夜、だろ」
「ああ、なるほど」
黒い四角に白抜きの星と月。支離滅裂な文脈。
いい天気だね(夜)
外はまだ明るい。
「つまり……なんだっけ、さっき言ってたの。ロリコンとロケットと」
「ロウソク」
「で、正解が夜。意味の、一文字目か」
声が弾んでいた。心底楽しそうだ。
おれはもう答えは知ってるんだけど。いいんだろうか、第一発見者でなくても?
「簡単だろ。推理小説じゃ定番過ぎてもう誰も使わないトリック」
「件名の最後に入ってる絵文字の、読みの頭文字に意味がある」
確信を持って、勘右衛門は頷いた。
「そう。だから」
「言うな。推理する」
やはり弾んだ声で、勘右衛門はおれを制した。ニヤニヤ……どころじゃなく、満面の笑みだ。
猛烈な速度で親指を動かして、このイージーモードの暗号を拾い集めている。
多数のメッセージを硬い薄いボタンで逆さに送りながら、”探偵”気取りは推理する。
一般の高校生にも見抜かれるような暗号って、意味ないと思うんだけど。まあ、受け取る方のおれも、一般の高校生だけど。
そういえば、あのメールはちゃんと消えているだろうか?
先週受信した、写真付きの二つのメール。女子の生足と黒焦げの死体。
その二つは個人的な感情と万一の際の情報戦略として、内容を記憶した後、確かに削除の操作を行った。そのぐらいの基本的な操作は学習している。
でも、一度消去したメールを復元する方法があることも知っている。
作品名:嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』 作家名:浦門壮一