嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』
「それだけじゃ捜査は行われないでしょう」
「その通り。お前はごく普通の家出人として書類上処理され、交番勤務の人間がもののついでに探したり探さなかったり……まあ、そういう扱いになっている。そので上こうして発見となったわけだが、お前本人の意志に反して保護することはないから、その点は安心していい」
「もののついで、偶然発見となったって?」
と、勘右衛門。
こいつの頭には、あの稚拙な絵文字暗号がある。きっとこいつが校門に現れた時点で、己の推理と事実の相違に素早く気がついていただろう。
そしてそれは、おれにも。
だから、これは嘘。
「先週お会いした時に気がついたんですか?」
「先週? あ、ああ、そうだ」
「先週って何」
「おれが住宅街側の森の中で惨殺体の第一発見者になった時。こんな顔の刑事がいた」
「よく覚えてるな。話もしなかったのに」
「そうですね、物覚えがいいんですよ。人より脳の容量が余ってますから」
「ん……」苦い顔。ずっとそうだったか。「経緯は、そんな所だ。付け加えると、お前はその場で偽名を名乗ったな? おかげで発見が少し遅くなってしまった」
「なんて名乗ったの」
「尾浜勘右衛門」
「マジか!」
「嘘だよ」
本当だろうか?
どうもこの人も嘘つきだ。この席に座ってから何回嘘をついているのだろう。馬鹿正直な人格の持ち主でありながらも。
「で、どうするんですか」
「先に言った通り、警察としてはお前自身の意志に反して保護することはできない」
「居場所は父親に通達されますか?」
「いや……それも、お前に選択権がある」
「よかった」
真実、そう思った。
男は首をひねり、解せないと言いたげにおれを眺めていた。
「いいんですか、未成年なのに」
と、勘右衛門。
「どこでどんな生活を送ろうが、個人の自由ではある。犯罪さえ起こさなければ」
「それにしちゃ物々しい」
男は一度目を閉じた。俯き、目を開いた。それで、テーブルの上のホットコーヒーを思い出したらしい。生暖かい湯気が少し残ったカップの口を手で塞いだ。意味のない行為。
「個人的にずっと追っている事件がある」
と、出し抜けに口を割った。
なるほど、と思う。先が読めた。
「今回の件はある意味幸運だった。お前が遺体の第一発見者になったということが。いや、犠牲者が出ているのに不謹慎な話だとは判っているが……でも、こうでもないと終わった事件を突き回ることはできない」
「おれがあの殺人に関わっていると?」
「いや! いや、いや……どうだろうな。それはお前が一番知っていることじゃないか。第一、あれの真相は直に明らかになるだろう。現場には多くの証拠が残されていた。それはいいんだ。良くはないが、まだ風化していない情報が残っているからな。おれが知りたいのはその前だ。およそ十年前の……どうせ言わなくても判っているんだろう。無神経と思うか? しかしお前の、今後の人生のためにも、また他の被害者、犠牲者のためにも、絶対に真相を明らかにしなければならないと思っている」
「あれはきれいに解決しましたよ。おれの目の前で」
犯人は死んだ。精神的・肉体的に痛めつけられて死んだ。被害者は生き残った。きれいな終わり方じゃないか。
「きれいに」
詰まった声で、男が繰り返した。いかにも苦しげに、全く他人事の痛ましさを眉間に寄せ集めた顔だ。
しょうがないだろう、別に。おれは思った通りに喋るし、感情のままに顔に出る。今のおれの言葉と顔つきが全く冷淡で無表情に見えたとしても、それはそういうことなんだ。
「いつも勘違いされることなんですが、別に、おれはそんなに過去のことは気にしてないんです。まあ、でも、そう表現すると嘘になるんですけど。でも昔のことで何を言われても傷ついたりはしませんよ。あれは別におれの責任じゃないし。だからご自由に無神経なことでも侮辱的なことでも言ってみたらいいんじゃないですか」
早口に、皮肉・自虐・挑発。拗ねた十代の若者みたいじゃないか。間違っちゃいない。嘘も言っていない。
それを言い終わるまで、この警察官はおれの顔をじっと睨んでいた。単に喋っている人間の顔を見て聞いていただけかも知れないが。睨んでいるように思えたのは、何となく敵意のようなものを感じているからだろう。おれが。片想いに敵意を。だいたい今のおれには警察という存在が脅威だ。
「悪い話じゃない。警察はいつでも被害者の味方だ」と、当たり前の建前を宣言した。「だからおれは、最大の被害者であるお前が、殺人犯であるかのように世間に扱われていることが許せないんだ」
言葉をそこに置いて、男は静かに深く息を吸い、吐き出した。
過去の話。来年で十年が経過する。いつもそればかり持ち出されるが、記録の他にはもう何も残っていない。
「事件が発覚した経緯は周知の通り、被害者少年自らによる通報だった」
と、男は言った。
それからまた口を噤んた。おれがその時の情景を、不確定な記憶を頼りに脳髄に蘇らせるだけの時間を待っていた。
映像として……感覚として……忘れられない光景だ。そもそも、おれは結構な記憶力の持ち主で、あまり物を忘れるということをしない。それでも記憶なんてものは、時間の経過で変化していくものなんだから、不安定なものだ。
それに、その時の主観的記憶と客観的記録が脳内に同居している。
被害者児童らは、犯人の遺体とともに犯人宅で発見された。現場では被害者女児の母親と見られる女性の遺体も発見された。現場では一連の犯行の凶器と見られる家庭用の出刃包丁も発見された。警察への通報を行ったのは被害者男児だった。事件発覚当初は現場に残された物的証拠から、殺害の容疑者は被害者男児のみに絞られていたが、後に容疑者本人、また同時に保護された別な被害者からの証言により、遺体で発見された女性らが激しい口論の末お互い刺し違える形で死亡していたことが明らかになった。また、一方の女性は発見された児童らを拉致監禁の上、長期間にわたって虐待していたことも明らかになった。云々。
事件後読み漁った新聞記事の内容の方が、或いは実体験の記憶よりも仔細かもしれない。何しろ現実はたった一つたった一瞬が隙間なく並べられているだけだ。記憶はその全てを捉えることは出来ない。
「今でも、結局、不可解な点が多数残ったままになっている。犯人は死んだ、それで、それ以上の追求は不可能ということになったが……。そのせいか、世間では当初の見解通り、お前が真犯人ではないかと、今でも噂されている」
男がゆっくりと言葉を区切る。おれの出方を探っている。
おれは何も言わなかった。何もしなかった。じっと男の眉間の間中から視線を逸らさずにいた。
と、しながらも、頭の中で大きく頷いた。
不可解で当然だ。嘘だから。
あーちゃんの母親が犯人と刺し違えたというのは、当時のおれが警察で苦し紛れにでっち上げた、嘘。
犯人殺しの犯人は、確かに別に存在する。
作品名:嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』 作家名:浦門壮一