嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』
しかしそれでもなお、おれはへーくんだった。
それがおれの前提。
授業がやっと一日分終了し、上の空でHRを聞き流すと、おれはすぐに教室を出た。
今日こそは彼女と話をしたかった。
彼女、と代名詞で表現される少女の事を、仮にあーちゃんとする。あーちゃんとは、あだなである。あ、で始まる名前だから、あーちゃんになった。彼女はおれより一つ年下、高校二年生女子。
美人で聡明で明るく、誰からも好かれる人気者で、恐らく料理などもうまいと思う。別に知らないけど。
彼女はおれの幼馴染だ。誘拐の被害が縁で、小学校低学年の頃からの知り合いなんだから、まあ、幼馴染の範疇に入っていると言えるだろう。
幼馴染なんて言ったら世間一般では当然フラグの立った相手と考えていいはずだ。むしろあえてフラグを折る方向に行かないと結末を回避できない、そんな病んだ勢いさえある。バッドエンド回避の受け皿、とか考えていると後々三角関係とかで痛い目を見ることも多いのだ。通説では。
しかしそのはずなのに、朝起こしに来るイベントとか別に起きない。一向に起きる気配がない。近くにいるんだから来てくれたっていいのに。
というかそれどころか、先週おれがこの学校に転校してきてかなり久しぶりに再会したのに、碌に会話すらできていない。存在は認識されているみたいなんだけど。
やっぱりストーキングなんて行為が問題なんじゃないだろうか。
一応理由は判っているつもりなんだけど、判ってるだけでなんとかなるかっていうと別な話。
仕方が無いのだ。ストーキングは既におれの日課。なぜ? なぜって、言わなくったって判るだろう。おれは彼女に多大な執着心を持っている。
彼女のことを愛しているからだ。嘘だけど。
理由が何だろうと、とにかくおれはあーちゃんに会いに行かなければならない。話をしたい、話を聞きたい、これは本当。
とはいえ、あーちゃんが授業が終了するなり素早く教室を出て行ってしまうのは知っていた。何しろストーカーだから、そのぐらいの行動パターンは把握している。今から行ったって間に合わない。判ってはいるが、それでも一応追ってみる。その辺はストーカー心理だから仕方が無い。
そして急ぎながらも廊下を走らないのは、おれが規律ってやつを大切にする真面目な人間なんだ、とそういうことで間違いないので、それもしっかり理解してもらいたい。
彼女のクラスは一つ下の階にある。どこか薄暗い教室だ。それは大声で話せないような疑惑を、クラス中で抱えているからだろう。その疑惑の原因の一つは、まあ、おれなんだけど、そういうのを気にしていたらキリがない。
廊下側の窓が開いている。この窓からなら、衝動的に飛び出しても死ぬことはない。そこから教室にいる下級生たちの話し声が聞こえる。明るい、普通の感じ。
で、そこにおれが顔を出す。そうすると、生徒たちの間にゆるい不安が、にじむように広がるのが見える。自意識過剰か?
「ね、あーちゃんは?」
廊下側の窓際で芸能人か何かの話で盛り上がっていた女子の集団に、声をかけた。一応精一杯の爽やかさを装っている。つもり。
「あっ」
振り向いた娘が、顔をひきつらせておれを見た。派手な茶髪の娘で、なんだかあーちゃんとは気が合わなそうな見た目だが、実際は結構仲がいいのを知っている。
「もう、帰りましたけど……」
だからこそ不審そうに、小さめな声でそう言った。
なに、こいつ。いつもキモい。
と思われているのだろうと思うと、正直なところ傷ついてしまう。多少。
「そう。ありがとう」
しかし傷ついているのだとか、別にそうでもないとか、そんな素振りは全く出さずに、おれはただ爽やかな先輩風に彼女に笑いかけた。彼女が微妙な愛想笑いを返すのを見てから、おれは素早く立ち去る。
いや、少し思い直して、
「一人で?」
振り向いて、追加の質問をしてみた。
しかし彼女は既に開いていない窓の影に逃げ込んでいて、返事はなかった。
やっぱり結構嫌われているし、腫れ物扱いだ。慣れているので傷つかない。嘘じゃない。
これはおれのくだらない日課だ。
途中で、先輩につかまってしまった。タイムロス。
彼女は教室を出てから、ものすごいスピードで逃げるように帰ってしまう。ここのところ、少なくとも一週間ぐらいはずっとそうらしい。だから急がないと。
仕方なしに、走る。
おれは階段を駆け降りて、見えない彼女の背中を追った。
何も入ってない鞄が邪魔だ。着慣れない制服が動きづらくて暑苦しい。耐え切れなくて、ネクタイも外してしまった。ブレザーのボタンをちゃんと止めているやつらは、なんて我慢強いんだろう。シャツをズボンに入れているやつは苦行のつもりなんだろうか。これは慣れが必要みたいだ。
校舎の中をぐんぐん走って、靴箱の間をすり抜けていく。沢山の高校生たちがうろつく校舎内を、見慣れない顔が走り通りすぎていくので、すれ違いざまに不思議そうに振り返られる。しかし、おれにはあーちゃんだ。
彼女がどこに住んでいるのか、さっき先輩に聞いた。だから慌てなくてもいいんだけど、判っているんだけど、気が急いた。
すぐに会って話しをしたい。今すぐに。
ずっとそう思っていた。
校門を出て、まっすぐの道。道の両側は何も植えられていない畑が広がっている。小さな紫の花が一面に咲いているけど、これは多分雑草だろうと思う。
下校中の高校生がまばらに歩いている道を駆け抜けて、正面に低い崖がある。崖は線路二本のためだけの高架だった。その下に狭い短いトンネル。黴びた壁に、黴びた雨水が、何本も細い筋の模様を作っている。そういえば今日の一時間目の間ぐらいに少し降った。
トンネルの向を抜けると、広い国道にぶつかった。背後の畑と、トンネル一つ隔てたコンクリートの平原。なんだか懐かしい風景だった。ほぼ十年ぶりかぁ。
この国道は、この県の都市部とベッドタウンを結んでいる。少なくともおれが誘拐される直前までは、そうだった。
ここから右に行くと街の方で、左が田舎に続いている。あーちゃんが住んでいるのは、左の方。
広い歩道のまばらな人影の中に、やっと彼女の背中をみつけた。
彼女は、やっぱり早足で歩いている。同じ方向に歩いている学生たちの間を縫って、どちらかというと強い足取りで、ぐんぐん進んでいる。
背中に垂れた柔らかそうな髪が、左右に揺れていた。腰には届かないぐらいの長さ。明るい茶色、ゆるいウェーブ。小学校の頃から同じ髪型だったから、染めてもいないし、パーマもかけていない、素の髪質だと思う。
あと少しだって、焦って走っていた。彼女と同じように、他の歩行者を避けながら、なんだけど、どうも上手くいかない。こんなに長距離を走ったのは久しぶりだし、そもそも人の多い歩道っていうのが久しぶりだから。体力が無いわけじゃないと思うんだけど、馴れてない。感覚が追いつかないみたいだ。時々避けきれなくて、肩や鞄がぶつかってしまう。
小声で、すみません。振り返った相手は、大抵迷惑そうに、あるいは単にびっくりした顔でこちらを見るだけで、何も言わない。でもこれは目立ってしまっているから、良くないな。
作品名:嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』 作家名:浦門壮一