嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』
「彼女は犯人じゃないって」
「しらばっくれてるつもりか? いや、もしかしたらお前は知らないのかもしれないな。どちらだとしても……」
「何の話なんだ? 真実って、何の……どの話だ」
「言えねぇなぁ。脅しなんだよ。脅し。おれはこの話を警察に持って行ってもいいし、黙ってやっててもいい」
「だから、警察に行くなら殺すって言ってるんだ」
「ふっ」と、勘右衛門は吹き出した。
「殺す殺すって、繰り返されると陳腐だな。できるのか? でもさ、お前、おれを殺したら、おれが何を知っていたか判らなくなるぜ。もしかしたら、それはお前の知らない重大な事実かもしれない」
なんだ、こいつ。ハッタリなんじゃないのか?
実際何も知らなかったとしても、ここまでなら喋れる。なにしろ核心を述べていない。
「本当に気付いてないのか? お前の目は節穴か? それとも演技でやってるのか?」
なんだって言うんだ。気付いたって、今の間に何があったんだ。あーちゃんの事なのか? 死体のことか? こいつとおれの視点で、そんなに重要な差異があったのか? おれの死角に入って、こいつの視界に入った情報。それとも全く別な……。
「気づいていないのなら尼寺へ行け、尼寺へ。演技だって言うんなら、やっぱり尼寺さ」
こいつを、殺すべきか生かすべきか?
□十三、インチキ精神科医の思考実験
「学校には慣れたかい」
と、白衣の医者はパソコンの画面に向かって質問した。
茶色い木目の壁に囲まれた小部屋だ。おれは背もたれのついた大きな丸椅子に座っている。医者とおれの他は誰もいない。壁は分厚く、窓もなく、扉は重く、外の雑音は入ってこない。代わりに小さな音でなんだか柔らかいような楽器の音が鳴っている。
医者は右手でキーボードを叩き、女のようにアップにしたボサボサの茶髪を、左手で何度か撫で付けた。
「まだ、色々と驚くことが多いです」
「そう? そういう顔はしていないように見えるけど」
椅子を回して、こっちを向く。ニヤリと笑った。
特に返す言葉もない。顔に出ないのは、育ちの問題。そういう性格なんだ。
「あ、そういえば、この間初めて友人と喧嘩しました」
「へぇ」
医者は興味深そうに相槌を打った。
「学校でできた友達?」
「そうです。クラスの委員長で、おれの世話係」
「世話を焼かれるほど子供じゃなかろうに。君の知能レベルは同年代と比較しても問題ないほどに成長している」
「腫れ物ですよ。担任が、事前に指名していたそうです」
「そうかい」
医者は肩を竦めて、視線をパソコンの画面へ戻した。
「その事実に怒りも悲しみも感じない君は、情緒的にまだ未発達との見方もできる」
と、寂しそうに言った。
「他人からどう思われているかということに関心が無いわけじゃないです。別に。でも今の所はそいつが友人であることに不満はありません。担任の判断には感謝しています」
「仲直りは?」
「しました。喧嘩した翌日に、すぐ」
翌日、教室で顔を合わせるなりに、勘右衛門から一発食らった。あんな事があった翌日だったが、朝、登校してきた勘右衛門が特に普段と変わりなかったので、いつものように挨拶でもして話しかけようと思って近付いたのだ。少し腫れた鼻のことをからかおうと思って。念のために。
奴はおれが近づいてくるのを微笑んで待ち構え、急に不敵にニヤついたかと思うと、思い切りのいい右ストレートを放ってきた。
顔面真ん中にヒット。避ける余裕はなかった。
おれは意識をチカチカと白黒させながら、背後の机二つ三つを巻き添えに倒れ込んだ。
当然のように、教室内は騒然となる。
床に尻餅をついたまま、赤い痛みが居座る鼻の頭に手を当てた。勘右衛門のように、鼻血を出していたら間抜けだと思ったからだ。幸いにも血は出ていなかった。
「やられっ放しだったの、忘れてた」
と、勘右衛門は笑った。
女子のすすり泣きのような声が聞こえた。誰かが教師を呼びに行った。おれは慌てて立ち上がった。
「時と場所を選べよ」
「思い立ったら直ぐな性格なのよ。貸しも借りも嫌いだし。引きずると後腐れするじゃん」
その信条は見習いたいと思うけど、授業前の教室なんて目撃者の多い所で暴行事件起こすのは、どうかな。
「昨日の話、本気だからな」
「怖っ。でもさ、おれも本気だよ。だからこれで、お互い開放されたってことさ」
「脅し合っている、の間違いだろ」
「そう。そりゃつまり、同じ意味だ」
勘右衛門は周囲の目も気に留めず、意味有りげな事を言って笑った。こんな演出も、推理小説的で面白い……等と考えているに違いない。
小走りで教室に現れた担任が目をひん剥いておれと勘右衛門を眺めた。
勘右衛門は何事も無かったかのように散らばった机、椅子を元の位置に戻し始めたので、おれもそれに倣った。
一時間目の授業の後に、二人揃って廊下で小言を言われた。
教室で喧嘩はするな、と。それだけ。
「君は、順調に社会復帰への道を歩んでいる。素晴らしい。が、順調すぎて少し怖いな」
画面を見つめたまま、医者は言った。独り言のように聞こえたので、おれは何も言わなかった。
ややあって、医者はふとこちらを見た。
「さて、今日で三回目の診察だが」
「はい」
「どこか悪いところは?」
おれは肩を竦めた。
この人は精神科医である。精神科医に対して、自己申告の病状はどんな意味があるのだろうか。
「特に何も」
自覚ある精神疾患は現在のところ、ない。端から見てりゃ、あるかも知れない。自覚はない。
もしかして人より少しは嘘つきかもしれないか、それでも平均的嘘つきだ。社会生活の中で嘘をつかない人間は殆ど存在しない。だから。
どこが異常かって、自覚があれは苦労は無いんだ。そこを手術して摘出してしまえばいい。正常からはみ出した異常を。それが判るんなら。
だいたい、おれは患者としてここに通っているわけじゃない。
「心、開いてくれないんだもんなぁ」
医者は、笑いながら、態とらしく、冗談めかしてため息をついてみせた。
この人は精神科の医者で、善法寺伊作という名前だと聞いている。そろそろ三十歳、と証言していた。戸籍を見たわけではないので本当かどうかは知らない。しかし少なくとも白衣の胸ポケットに刺された名札には、「善法寺」と書かれている。
この医者先生はおれの現住所から電車で六駅、山と川を超えた先の街中で雑居ビル内に心療内科を開業している。医者は他に男性が二人、女性が一人いるようだ。待合室にはいつも(三回目だが)十人近くが順番待ちをしている。昨今の社会情勢上、こういった商売は繁盛すると聞く。
息の詰まる時代だからね、とは医者本人の弁。以前に疲れた顔で言っていた。不養生だろうか。
「そういえば、この間の心理テストはどういった結果だったんですか」
「知りたい?」
「知りたいですね」
「うちはあんまり患者には詳しく言わないようにしてるんだよ」
「何故?」
「意外とつまらないからさ。みんなもっと大層深刻な結果が出るに違いないと期待して来てるんだ。夢を壊しちゃ悪いだろ」
「その発言自体、どうなんですか」
「君は患者じゃないから。言っちゃなんだけど、君別に医者にかかる必要、なさそうだよね」
作品名:嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』 作家名:浦門壮一