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嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』

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「そうですか? 精神科の扉を叩いたのは三回目ですよ。ご存知だと思いますけど」
「でも治したいところなんてないんだろ。そんな顔をしている」
 相変わらず腕を組んでふんぞり返り、にやにや笑って言った。
 さっきも証言した通り、おれは精神病の患者じゃない。一応、診察に来たという形にはしているが、それは診療時間の方が時間の都合がつけやすい、むしろサボる口実になるからと伊作さんが希望したからってだけだ。
 だからといって自分が医者に掛かる必要のない五体満足とは思わないが。
 少なくとも二回目に病院に駆け込んだ時には――一回目は事件直後に否応なく収容されたが、二回目は自分の意志だった。病院ってのは、いつの時代も容疑者が身を潜めるのに都合がいい。
 三回目のここは、二回目におれを見てくれた医者からの紹介だった。
「まあ、健康そうなのはいいんだよ。取り敢えず安心した」
「病院に来るならもっと不健康を装った方がいいでしょうか。始終独り言をしているとか」
「うちに来る患者程度なら、毎度泣きそうな顔をしてりゃ十分だけどね。混ぜっ返すなよ」
「そういう気分ではないです。独り言ならいくらでも出てきそうですけど」
「混ぜっ返すなって言ってるだろう」
 口をとがらせ、首を傾げた。それから一呼吸の間、何か考えたようで、
「君には感心することばかりだ」
 と、言った。
「よく言われます」
 と、返した。もちろん、褒められているわけじゃないということぐらいはわかっている。
「うん。まずそれだけ減らず口が叩けるのがすごい」
「それもよく言われます」
「とてもじゃないが十歳児のようには思えない」
「十七歳です」
「こんな十歳児存在しない」
「十七歳です」
「生まれてほんの十年弱で、人はこれほどコミュニケーション能力が成長するものだろうか?」
「生まれたのは十七年前です」
「僕は早急に師匠と連絡を取り、君の精神的成長過程を洗ってみたいと考えている」
 師匠というのは、おれに伊作さんを紹介した精神科医のことだ。彼は大学病院に務める生真面目な教授で、伊作さんの学生時代の恩師だった。
「まだ連絡とってないんですか? おれの生存報告してるんじゃなかったんですか?」
「メールは送っているけど、不精な人だからねぇ。返事が一ヶ月ぐらい経たないと来ないんだ。いつも」
「電話とか」
「電話をかけるのに常識的な時間に、暇があったためしがない」
 伊作さんはどちらかというと痩せて青白い顔色の男だ。女のように髪を伸ばしているが、切る暇もないのだと言う。その引換に病院は繁盛している。金を買うのに必要なのは時間だ。でなきゃ、善意を売って悪意を釈放するか。
 痩け気味の頬を人差し指と中指で何度か掻いた。
「帰ります」
「もう? 一時間は診療時間で取ってあるんだ。君が帰ったら、別な患者を押し付けられる」
「一時間も?」
 一時間もの間、この医者と中身の無い会話を続けるのか?
 この人のことが格別嫌いというわけじゃないが、それにしたって一時間も他人と二人っきりで、話すことなんて別にない。
「いいじゃないか。それとも何か、君がいいと言うなら僕は仮眠を取ってやるぞ」
「はあ」
「いいのか? 君の目の前で、君の存在を無視し、机に突っ伏してあと五十分は寝続けてやる」
「帰っていいんですね?」
「だから」いじけたように口をとがらせた。「冗談だよ。つまらないかな」
「すいません」
「なぜ謝る。謝られた方が虚しい。いや、これは君の欠陥か。次の君の課題は、冗談を解する能力を訓練することだな」
 そんな事を言われても。
「もちろんこれも冗談だ。とかく僕は君の監視役だし保護者代理だ。数日に一回一時間、話し合うぐらいは当然だろう」
「監視役というのは初めて聞きました」
 伊作さんが、しまった、という顔をした。
「ま、まあ、悪い意味で言ったんじゃないよ。悪ぶって言ってみただけっていうか……その、つまり君を心配している人がたくさんいるってことさ」
「たくさんって」
 一人、二人じゃ、たくさんじゃないだろう。少なくとも三人目がいないと。
 大人でおれの経歴をはっきりと知っていて、ある程度まで親しい人間? 伊作さんと、大学院の先生、あと一人以上。父親はおれの経歴をよく知っているが、親しくはないし、心配などしていないから数に入らない。周囲には心配だと言いふらして回っているようだったが。
 その他の誰が?
 伊作さんはまだ落ち着きなく視線を泳がせて、自分の頬をつねったりしている。
 善良そうな人だ。言い忘れたが、伊作さんは善良に見える風貌だ。実際、おれほどではないが皮肉屋で、尾浜と違って常識の範囲内で探究心が強く、タカ丸のような病んだ自己犠牲ではない優しさがある。振り切れないのが、大人の証拠だろう。
 犯罪を企んでいるようにも見えないし、あんまり突っつく必要もないか。
「話、戻そう。とにかく、ま、学校は上手く行っていると」
「はい」
「いじめられてない?」
「全く」
「友達できた?」
「同じクラスで、何人か。さっきの、委員長とか」
「授業にはついていけてる?」
「今のところは」
「受験、どうするんだ?」
「生活が安定してから考えます」
「バイトとかは?」
「してません」
「どうするんだ」
「落ち着いたら考えます」
「いつ落ち着くんだ」
「そのうち」
「言えないのか」
 言えない。
 まだこの事態に目処はついていない。
 伊作さんがため息をついた。
「君は何がしたいんだい」
 抽象的な質問だ。多分、これがこの人が言いたいことの全部。
 壁にかかった時計を見た。小児科の病院にあるような、おもちゃの兵隊が丸い文字盤を飾ってるからくり時計だ。短針が十二の文字を回ると、音楽とともにその下の小窓から人形が出てくる。それまであと四十七分もある。
「君があの十年前の監禁事件以来、常軌を逸した精神構造になっているも判っている。それでも君はなんとか世の中に対応していこうと努力している。なぜだ?」
 十年前じゃない、まだ九年目だ。
「そうしないと生きていけないでしょう」
「生きるのも死ぬのも動機がいる」
「生きる動機?」
「そうさ」
「好奇心です。人並みの」
「そして君はわかったようなしたり顔をする」
「右も左もなんにもわからないので、とりあえずわかったような顔をしておこうと決めているんです」
「減らず口だ」
 その通りだろう。
「やっぱり信用してないんです」
「何だって?」
「医者というか肩書きだけで、他人を信用してもいいのか、判らない。だから伊作さんと深く話し合う気になれないんです」
「なんて事言うんだ、お前」
 あと四十三分。この人と会話の練習でもして時間を潰そうか。対話の実験。
 伊作さんはムッとした様子で、やや険しい表情をし、口調が少し乱暴になった。
 恐らくこの人は、これまで二回の診察と称した事情聴取と、恩師の紹介というお墨付きを以って、おれとそれなりに親密になれた、と考えていたのだろう。これまでの馴れ馴れしい態度から判断しても間違いなく。
 しかしその感覚の正誤は判らない。この人とおれは本当に親密なのか? おれには判らない。
「信用してもらわないと治療にならない。医者の大前提だ」
「初診の患者は?」