嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』
「全部に鍵をかけてるんだろ? 禁止なんかする前に、開けられないようにしてるんじゃないか」
「たぶんへーくんが力いっぱい殴ったら、ドアと鍵、壊れます。でも器物破損は禁止」
そうだろうね、と鍵のかかった襖を横目で眺めて思う。鍵が外せなくても、襖を外すのは簡単そうだ。でも一度入り口を壊すと、元の形に戻すのは簡単じゃない。ということは、この鍵はおれの行動を制限するためのものってことで間違いなさそうだ。
「案内してよ」
「えー?」
この一軒家の部屋の位置取りぐらい、覚えてはいるけど。
クスクスと笑う彼女が階段を駆け上がった。その背中から目を離さずに、後を追った。
広くも長くもない廊下の突き当りに、七畳ぐらいの和室がある。数日前は埃が積もるばかりの空き部屋だった。
「子供はお疲れでしたので、お休み中かもしれません」
部屋の前で、あーちゃんは唇に立てた人差し指を当てて沈黙の仕草。おれは彼女に鍵を突き返し、その部屋の南京錠は小さな音を立てて外れた。
彼女が戸を引いた。滑る引き戸の隙間から、室内の灰色の闇が漏れ出す。埃の匂いと混じって、むっと鼻をつく臭気が漂った。知っている。これは人間の垢の匂いだ。
その部屋の真ん中で、子供が蹲っていた。
その子供が顔をゆっくり上げた。入り口の開いたことにはさして関心も示さず、無表情で、しかし猫のように爛々と輝く二つの目で、こっちを見た。
生きている!
でも、これは、つまり、だから。
最悪だ。
頭が痛い。
吐き気がする。
全身から止めどなくぬるぬるの汗が吹き出はじめ、膝から下が冷水に浸かっているかのように冷たくなった。
その場に倒れずにいられたのは、おれが少しは、この九年間で、強くなれたということたろうか。
こんなに恐怖を感じているのに、その子供から目が離せなかった。
半袖のTシャツ、半ズボンから剥き出しの手足の、散らばった痣の黒黒した現実味。
「見ましたね?」
ばーん、とけたたましい音がして、おれは我に返った。
あーちゃんがおれの返事も待たずに、急に引き戸を勢い良く閉じた、ただそれだけの音だった。
頭を垂れて鍵を掛け直す彼女のチョコレート色の後頭部を凝視している。
「どうして」
おれは搾り出すように問いかけた。
あーちゃんはささやかな金属音を鳴らしながら、その小部屋に鍵を掛けている。その薄い引戸の向こうに、生きた子供が閉じ込められた。
あーちゃんは何も答えない。
「あーちゃん、警察は」
おれはもう一度、今度は具体的に質問を口にした。
「はい」
素早く彼女は頭を上げた。何も感じていないような顔だった。
「なんでですか」
「見つかるよ、すぐに……」
「そんなことはどうでもいいです。あれに見つからなければいいのです」
「あれって?」
「久々知兵助」
ぎょっとした。
おれは目を見開き、口を噤み、立ち尽くし、目玉をクルクルと動かし、小刻みに震え、これまで以上の汗を流した。
……考えてみれば。
おれは、へーくんであって。
久々知兵助じゃない。
あーちゃんは、そう、認識している。
だから、学校の先輩、ストーカー、深夜の不信人物、そして彼女の後ろ暗い過去と現在を執拗に追い掛け回す、そんな、久々知兵助と名乗る人物は既に彼女の敵であって……久々知兵助を称する人物とはこの数週間前に急に現れた同時にだけで……だから……。
どうして久々知兵助に?
「はい、どうぞ」
「へっ!?」
余りにも不自然に、ひっくり返った悲鳴を上げて、おれは手のひらに押し付けられた固く生暖かい塊を、掴みそこねた。
小さな鍵が床の上で何度かバウンドし、金色の金属音を微かに鳴らした。
「私と話ししてるのに、ぼーっとしないで下さい」
あーちゃんは可愛らしく頬をふくらませ、屈んで落ちた鍵を拾った。
「いいの? あーちゃんがいない時に、勝手に部屋に入っちゃうよ」
「ん、なんか変ですね。へーくん?」
「何が? あ、いや……だってここは、あーちゃんの家じゃないか」
「ほぼ同棲中ですな」
床に屈んだまま、上目遣いに笑った。
「おれは勝手に警察に通報するかもしれない」
「んーそれはー」
立ち上がり、もう一度……三度目に……おれに鍵を手渡した。
「まあ、ご本人と相談なさって下さい」
「あの子と?」
「あの子の名前、知ってます?」
「いいや……」
「へーくんは愚鈍ですね? 行方不明の、双子の、お兄さんの方ですよ」
あ、そうか、と言われてやっと気がついた。行方の判らなくなっている児童二人は双子だった。男女の二卵性双生児だ。妹の、その同じく幼い妹は、体の一部分しか見つかっていない。あーちゃんがバラバラにしてしまったからだ。
犯人はあいつだ。久々知兵助とかいう人の父親。証拠はないけど、多分そう。
あの子供の名前はなんて言ったっけ?
ニュースで何回か聞いた気がする。佐々木……いや、笹山だ。
「妹の方は残念でしたけれども、お兄さんとはお話ができます。よかったよかった」
「あーちゃん、君があの子を連れてきたのは、話をするため?」
「何言ってるんですか。話をするのは、へーくんですよ?」
駄目だ、何かがおかしいぞ。
なんであーちゃんはこの家に被害者を移動させたんだろう? 犯人の指示では……ない、ような気がするけど。
彼女はどうやってあの子供を連れ去ることができたのか。あの双子は久々知兵助の父親が誘拐してどこかに閉じ込めていたんじゃないかと思う。状況として間違いない。多分。
とすると、犯人に気付かれる前に……何らかの行動を起こされてしまう前に、警察へ通報するのが安全なんじゃないのか?
でもそうすると、あーちゃんはどうなるんだろう。彼女の社会的な安全は、消えてしまうような気がする。
それはもう一人の子供の事があるからだ。
死んでいた妹のこと。殺したのはあいつだ。あーちゃんは実行犯ですらない。おれはその前提で考えている。
でも妹をバラして町中あちこちに遺棄しているのは、あーちゃん。自分の目で見てしまったことは否定できない。
なぜ解体していたのか? 判らない。でもきっとそれは悪意からじゃないんだ。そんな気がする。
気がする、気がするって、そんなの何の根拠もないのに。
とにかく全ての根拠を、証拠を探さないといけないのに、依然として調査は僅かの進展のみ……。
駄目だなぁ、おれ、探偵は向いてないよ。結局おれにできることってなんなんだろう。
一晩、考えた。
少年が運び込まれたその夜明け、まだあーちゃんが眠り続けている時間に、おれは少年と話をしようと考えた。
話をしていいと彼女から許可はもらっているけど、でも彼女に隠れて動きたかった。あーちゃんの意図が意外に全く今のところ判らないから、少し疑っている。これは悪意じゃない。おれは慎重にやっているだけだ。
おれは行動を起こし続けている。だって自分自身の力で何かが出来ると今でも信じているんだ。あの時、何も出来なかったから、今度こそはって。
埃臭い和室の引戸を静かに引いた。1階のあーちゃんに気付かれないように。
相変わらず部屋のど真ん中、そこに少年は白いクッションを枕に、仰向けで横たわっていた。
作品名:嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』 作家名:浦門壮一