嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』
家の外には出られない。窓から外を見てはいけない。大きな声を出してはいけない。おれかあーちゃんのいない時間帯は、電気や水道を使用することができない。つまりトイレにも自由に行くことはできない。着る服もない。夜寝るための布団も与えられていない。
仕方がないって言う。あーちゃんが言うには、電気や水道のメーターや、店での購入の履歴から、人の気配を察せられる恐れがあるからだ。
尤もだ、とは理解した。
慎重すぎるほど慎重になるのは、判る。戦う相手は精神異常の殺人犯で、そのために彼女は法律を犯している。(あーちゃんが兵太夫を拉致してきたのは、犯人を追い詰めるためだと考えることにした)
でも、可哀想だ。おれは兵太夫とは違うけど、同じと思う部分も沢山ある。
だから同情する。自分の事のように、不快に思ったりもする。
おれにできるのは、兵太夫のために部屋を掃除したり、布団代わりのタオルケットをあーちゃんのベッドからこっそり引っこ抜いて持ってきたりとか、そのぐらい。仕方がない。彼女の財布は彼女のもので、おれは金をほとんど持っていない。おれだってイマダにリビングのソファで寝ているんだから。
しかし当の兵太夫は、この生活に大きの不満は無いらしい。
目的があるから。
忍耐強く、チャンスを伺っているように見える。
強い子供だな、と思う。友達の子供の頃が、こんな感じだった。
「今日の晩ごはん、何だって言ってました?」
もう話題が変わった。
「焼きそばだって」
「うわあ、いいなあ。お祭りみたい」
「兵太夫の分もあるんだよ」
「判ってますよ。うん、僕の分だけ……」
「どうしたの?」
兵太夫は急に俯いて、掠れるような声を出した。
「妹の、死体は、どうなったんですか」
兵太夫は俯いたままで、顔は見えない。
人の意識感情感覚思考っていうのは、一度破綻すると、元通りに組み立てられない。取り敢えずで組み立てたって、簡単なことで不安定に崩れる。
自分にだって経験がある。
だからこんな些細な会話でも、兵太夫の中に急に破綻が起きたんだって、理解できた。
でもおれは気の利いたこと、気を紛らわす話題、明るくしてあげられる台詞、何も思いつかない。
「……警察が保護してるよ」
それどころかおれも同じように沈んだ気分になる。心臓を針で刺されたみたいな、気持ちになるんだ。誰かの破綻で。
「こんな事件の場合って、解剖してみるんですよね、どうして死んだのかって調べるために……」
「うん」
「胃の中を調べたりとか……本で読んだんです。その、妹も、そんなふうに……お腹の中を調べられたりしたんでしょうね。でも妹は、ずっと食べさせてもらえてなかったから……一週間ぐらい……だから、お腹の中、なんにも入ってなくて……。警察の人は、がっかりしたんじゃないかなって。何の手がかりもなかったから……」
兵太夫は真下を向いて、喘ぎ喘ぎに語っている。
聞きたくもないような話を。
気持ちが悪いんだ。おれの心臓は相変わらず針の先でぐさりぐさりと何度も刺されるような感じがして、吐きそうな気分。
兵太夫が悪いんじゃない。兵太夫がこんなふうに、思い出したくもないような過去のことを、おれに話してくれるのは、きっとおれに対する安心感があるからだ。安全な他人と認識してくれているんだ。嬉しい。それは嬉しい。
でもそれとは別で、おれは目を逸らしたい。
だっておれの消したい過去と似てるんだもん。
何でそんな目に遭わなきゃいけないんだよ! おれも兵太夫も、なんにも悪いことしてないじゃん!
って、思うんだけど、ね。
「あの」
袖を引かれた。兵太夫が青い顔でおれを見上げていた。
「うん」
「明日、明日がいいです」
「明日の朝」
「でも学校があるんじゃないですか?」
「大丈夫だよ。サボればいいでしょ、多分。直ぐのほうが絶対いいよ」
直ぐと言っても今や夜は駄目だ。あーちゃんの視線がある。
「直ぐに……」
視線がおれを通り越して、目が泳ぐ。不安を抱いている。
急いだほうがいいような気がする。兵太夫の気持ちが回復するまで待つよりも、その根本をまずやっつけてしまったほうが、楽なんじゃないかって。
一番まともな方法は、病院にでも入れることだろうけど。
「おれが言うのもなんだけど、おれって正直頼りないじゃん。だからさ」
「確かにそうかも」
血の気の引いた顔のままだったけど、兵太夫は少し笑った。
「そのメールの人がどんな人か知らないですけど、藁にもすがるっていうヤツです」
「おれは藁以下だからね」
「へへ」と、またはっきりと笑った。
「うん。怖い人じゃないよ。あ、でも顔は怖いかも。とにかく、明日の朝、会って話をしてみよう」
「はい」
一つ決意を固めたように、兵太夫は頷いた。
□十五、そこまで言うなら死んでやる
仮病というものを人生で初めて使った。
いや、父親に対して頭がいたいとか腹が痛いとか昨日殴られた場所が痛いとか適当に言ってみたことはあるが、公的機関に対して仮病ってものを自らの意思で使ってみたのは始めてだ。
中学校を仮病で休んだことはある。自分の意志じゃない。父親が勝手に学校に対しておれの病状を説明し、登校できなくなったのだ。息子の頭がおかしくなったので家の外に出すことができないと。まあ、頭がおかしくなったなんて表現はせずに、碌に診察もしない精神科医に金を出して書かせた診断書を持って、正式な手順で休学を申し込んだようだが、とにかくそういう事実があった。だからおれはほとんど中学校には通えなかった。
今度は自分でそれをやった。医者の診断書は準備できなかったが、何の証明もなくても、腹が痛いとか胸が苦しいとか、些細な嘘の理由で学校というのは休める、というのを昨日知った。昨日の夕方だ。
だから朝から学校に虚偽の電話をして、それから高校生の登校時間を避けて、出かけることにした。
携帯の履歴に、これまでには出て来なかった番号が一つ残った。
数分後に、勘右衛門から「見舞いに行く」とメールが来た。
「来るな」と、返そうと途中まで入力して、止めた。勘右衛門が来るなら、放課後だろう。それまでに用事を済ませればいいだけの話だ。
バスに乗って、目的地へ向かった。
あーちゃんの家に、と当初は考えていたが、面倒を避けて外に出ることにした。彼女は学校に通っている時間だが、それでも万全を期して。
それに、少年も外に出たいだろう。暗い部屋に閉じ込められているのは苦痛だろう。普通の人間なら。おれは結構、嫌いじゃないんだけど。
妙に明るい日だった。天気が良かった。温かい気温の中、少し冷たい風が時々吹いた。
郊外のショッピングセンターで待ち合せようと、連絡を入れていた。二階建ての建物の、屋上にカフェがある。
幼い子供を連れた主婦たちの集団が、カフェの一角に陣取っている。それ以外の客はほぼいない。
平日の午前中だ。もしも騒ぎを起こせば目立ってしまうだろう。しかし目撃者は少なく済みそうだ。
作品名:嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』 作家名:浦門壮一