嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』
こんどはこっちがきょとんとしてしまった。心配だしとりあえず一緒に行くから、ぐらいのつもりだったのに。
「一緒に暮らしましょう」
まだ涙の残っている顔で、あーちゃんは笑って言った。花が咲いたみたいな、笑顔。
で、まさかのプロポーズ? に聞こえた。
おれの胸に強烈な動悸、目の内側と胸が熱くなって、息が止まった。
「こっちです」
おれが返事をする前に、彼女は踵を返して歩き出した。おれの手をかなりの力でぎゅっと握って、引っ張っていく。有無を言わせない、って感じ。付いて行くしかない。
「ちょ、ちょっと、あーちゃん」
引きずられながら、喘ぎ喘ぎ……そう、さっき慣れない運動をしたせいで息が上がっていたのを思い出して、それからこの急展開についていけない心臓の動揺で、喘ぎ喘ぎに、あーちゃんの背中に呼びかけた。
「なんですかあ」
明るい声。
振り向かない。
おれの答えなんか、待ってもいない。
彼女はその窶れてさえ見える細い腕で、おれを引きずってどんどん歩いて行く。骨と筋肉が薄い皮の下でむき出しの白い腕が。
おれは意志もなく引きずられて行く。
広い国道を進む。芝生に覆われた丘を登る横道に入る。真新しいきれいな住宅街。住宅街の中にしては広い車道の横を通って、丘を登っていく。降りて、また登る。住宅の影がまばらになる。開いた土地に手入れのいい芝生が虫食い状に広がる。
最後の記憶から十年近くの時間が経過した風景が、目まぐるしく通り過ぎていく。
彼女に手を引かれながら。
□二、個人的な怨恨による犯行
彼女が一体何者であるのかという話は、まあ、ゆっくりと。
まずは取り残された一人の部屋で、おれは生真面目に宿題に手を出していた。少し時間を稼ぐつもりで。
深夜一時半。片田舎のこの町じゃ、この位の時間になると屋外には誰もいない。街灯の数は少なく、街路樹はやりすぎなほど生い茂り、そもそも元からそこら中草木生えまくりな自然あふれる町並みは、要するに日が落ちると外は真っ暗になる。
こんな時間に外出するのは不良か犯罪者と相場が決まっている。どうせ外に出ても遊ぶ場所なんてないし。ただ暗いだけ。田舎っていうのはそういうものだ。
しかしながら、あーちゃんは、一人でふらふらと外に出ていった。
不良か犯罪者かのどちらか。
彼女は犯罪者の方だ。
点けっ放しのテレビでは、色っぽい女子アナが低い声で最近起こっている事件のあらましを説明している。
こんな平和な田舎でも、たまには陰惨な事件が起こったりする。十年に一度ぐらい?
「今朝、早朝の五時頃、付近の住民により発見された女子児童の体の一部とみられる物体ですが、DNA判定の結果現在行方不明となっている××ちゃんの左足と判明し……」
彼女が原稿に視線を落とすたびに、白いブラウスの胸元から谷間が見える。きっちりした黒スーツを着ている割には、ブラウスのボタンは開放的だ。
今、このニュースを見ている男なら誰でも、事件の内容なんてものよりも彼女の胸元の方が重大な問題だろう。暗いニュースだからか知らないが、一つ前のどこかの島でのうどんによる村おこしのニュースよりもうつむき加減で喋っているから、カメラに映る肌が余計に気になる。谷間の暗がりが見えるのは気のせいだろうか。あと少しでブラジャー見えそう。
そんなことを考えていると、彼女の読み上げる原稿の内容まで色っぽいような気がしてくる。
見えそうで見えない谷間と年端も行かない幼女のバラバラ死体と白いレース(多分)のブラジャー。これがフィクションなら興味を惹かれる。結構よくできた倒錯の世界風。
「一昨日発見された腕に続き、××ちゃんの安否は……」
片腕と片足のない幼女がまだ生きていると信じているやつは、果たしているのだろうか? 親ですらもう、判ってるだろう。
そんな暗い話を艶かしい美女が詳細に報道しているという、深夜のニュース番組の構成に問題がある。この事件で猟奇的な性癖に目覚める少年も、全国に一人ぐらいはいるに違いない。
おれは別にそうでもない。
「××県××市での連続児童誘拐殺傷事件は依然として解決の糸口は見えてこないようです。現在も行方不明のままとなっております、児童二名の安否が気遣われます」
気休めの嘘だ。
もう一人はともかく、次々と部品が発見される一人の方は、安否なんて判り切ってる。気遣っても意味が無い。
痛ましい彼女の表情も、非常に誠実な嘘。イメージ戦略は大事。何しろ最近結婚したばかりの彼女の夫は、次の衆議院総選挙に出馬するつもりだからだ。
誰でも簡単に嘘をつく。悲惨な事件に対する感覚は嘘じゃないかもしれないけど、この女性アナが同情を誘うような表情で事件を解説した背景には、当然いくらかの嘘がある。
嘘と本当の境目なんてわからない。というのがおれの持論。嘘つき、です。
さて、そろそろ追いかけた方がいいかな。
全然進まない宿題は机に広げたまま、おれはソファーから立ち上がった。外は少し肌寒い。特にストーキングなどという静かな行為では体は温まらないことが予想されるので、ジャケットを羽織って行くことにした。
宿題はできるだけ早く帰ってきて、それからやることにする。これは自分に対して、体の良い嘘。
あーちゃんはこのぐらいの時間になると、錯乱する。暗闇が非常に苦手らしい。当然ながら、そのトラウマの形成には過去の犯罪被害歴が一役買っている。
暗闇が怖い。ありがちな傷跡。なぜかおれはそうでもない。似たような状況にあっても、壊れ方は様々。
彼女の異常な錯乱の一部始終が知りたいのなら、教えてあげよう。ここのところのストーキングの成果により、おれはあーちゃんの生体にとても詳しくなっているのだ。
ともかく、地球上のこの辺に夜が来る。暗くなる。室内に蛍光灯。一人暮らし(昨日まで)の一軒家、あーちゃんが使っているのは真っ白な一部屋だけ。白い部屋に蛍光灯の強烈な光。雨戸は閉め切っている。
隙間から侵入する暗闇。金属製の雨戸が閉められているのに、夜とか朝とかわかるわけないって?
それが、ずっとそういう部屋にいると判るようになってくるものだ。少しの光にも敏感になる。それは慣れってやつで。
夜が来ると知れたら、夜が怖い少女は、当然の成り行きで恐慌状態に陥る。具体的には自傷癖とかが出る。
先日は人気のない深夜の住宅街のど真ん中で、持っていたスコップで自分の頭を殴り始めたりした。それを目撃した際には時には、さすがのおれも本当にどうしようかと思った。
曇り、星も月もなく、周辺の数少ない街灯が付いたり消えたりを繰り返す深夜の車道。どす黒いアスファルトの上。彼女はスコップを頭蓋骨の右側面に突き刺そうと試みた。勿論尖った部分を。赤い塗装の半ば禿げた赤茶色の刃で。
衝撃的な血まみれ事件だった。おれとしては当然ながら、通りすがりの一般市民としての良識に基づき、何も知らないふりで救急車を呼んだ。
作品名:嘘つきへーくんと壊れた×× 『真実の証明は嘘』 作家名:浦門壮一