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せめてこの手を離すまで

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 それはとある、一斉に散りゆく紫の群れの中で。私はただ、呆然と立ち尽くすことしかできない夢を見た。


 少し遠慮気味に、それでもしっかりとした力具合で体を揺さぶられている。小さく唸りながら重い瞼をどうにか持ち上げて、何度か目の開閉を繰り返しつつ起き上がれば、そこにはもう見慣れた笑顔があった。

「……ああ……おはよう、スミレ」

 欠伸を噛み殺しながら言って、私は自らを揺り起こした存在の頬へと手を伸ばす。そうすればその存在──スミレは幸せそうに笑いながら私の手にすり寄ってくるのだ。

 ──ふわり、と膝下まである長いコートが揺れた。腰に吊られた時間の合っていない大きな時計や、青い髪の中にピンと立つ羽飾り、紫色のマフラーに飾られたすみれの花。それらを身に纏い、海のような青い瞳と髪を持つ妖精。それが私のよく知る「スミレ」の姿だ。

 妖精というのは隠喩などの類ではなく、本当に彼は「妖精」なのだ。私もあまりそういうものを信じる類の者ではないのだが、人工の命であるアンドロイドが心を持ったように、世の中には信じられないことがあふれている。実際私も心を持ったアンドロイドなのだから、これはもう信じざるを得ない。

 そんなことを考えている間にも、スミレはふわり、とその青い髪を揺らして私へと抱きついてくる。ちなみに、私はスミレに触れることはできるが彼には体重がないようで、彼が乗り上がってもベッドは軋むことを知らない。できるだけ優しく頭を撫でてやれば、スミレはただ幸せそうに笑むばかりで。

「……そうだスミレ、今日は一緒に散歩に行こうか。久しぶりにお前の故郷に行こう」

 あまり強く抱きしめてしまうと、半透明のスミレの体が霧散してしまう気がして怖かった。こんな儚い存在を、しかも人間どころかアンドロイドでもない彼を愛しく思うこの感情は一体何なのだろうか。いくら考えたところで答えなど出ないのだけれど、こうやってスミレが傍にいてくれればそれだけで、幸せだと思える。

 こくん、と小さくうなずいて私の胸へと顔をすり寄せるスミレの背中を撫でてやりながら、私はただ穏やかな気持ちの中に浸っていた。

 ──ベッドの近くの棚の上に置かれた、植木鉢の中のすみれの花は綺麗に咲き誇っている。



 レクイエム。それは「安息を」の意味を持つ死者のためのミサだとどこかで聞いたことがある。そんな名前を持つ私は、本を読んだりして過ごすための小さな家を出て、スミレの手を引きながら歩き出した。

 ふわふわとどこか頼りなさげに歩くスミレは、私が振り返るたびに柔らかく笑みを浮かべる。ああ、私のこの想いを知らないのであろうお前は一体何を思っているんだ? うっすらと透き通る白い手の感触をそっと確かめながら歩く、この手を離したらお前は消えてしまいそうな気がして。

 私と触れ合うことはできても、どうやらスミレは声を発することができないらしい。それでも表情や行動で大体の感情は読み取ることができるから不便はしていないが、もし話すことができたとしたらスミレはどんな声で喋るのだろう? きっととても美しい声なのだろうな、と勝手に思いを巡らせていたとき、私は足元に咲いていたすみれの花を踏みそうになり慌てて立ち止まる。

「……つい、た」

 先ほどまで何もない草原を歩いていたはずだったのだが、いつの間にか花畑にたどり着いていたらしい。それを見てさも嬉しそうに目を輝かせたスミレは、私の手をそっとすり抜けて花畑の中に駆け入っていった。そのとき吹いた風がすみれの花弁を散らして、宙に舞う紫の花弁の中で笑うスミレは本当に、綺麗、だ。

 ──それからどれだけの間、私はそうやってそこに立ち尽くしていただろう。こちらを振りかえったスミレに見つめられて人工の心臓が跳ねる、そうして私の方へと駆け寄ってきたスミレは私の手を引いて花畑の中へと連れて行く。そういえば以前、私がここに咲いていた花を一輪摘んで帰り、植木鉢の中に植えたときにスミレが現れたのだ。あのときは驚きこそしたもののスミレの美しさに釘付けになったことをはっきりと覚えている、今思えば一目惚れにも近かったのかもしれない。

 そしてそのとき、レクイエムさん、と名前を呼ばれた気がした。はっとして宙にさまよわせていた視線をスミレへと移せば、ふと唇に柔らかいものが触れる。その感触の意味が分からず呆然としているうちにそれは離れていき、スミレは真っ赤になりつつうつむいてしまった。

 そしてそれから数秒後、やっと私がキスされたのだと気付いたときには、スミレは申し訳なさそうにうっすらと涙すら浮かべていて。慌ててその華奢な体を抱き寄せ「……ありがとう、私もお前が好きだ」と囁いてやれば、彼は華のような笑顔を浮かべた。

 ……ああ、ああ、この純粋な笑顔を汚すことはできない。私ができることと言えば彼を抱きしめてその額や髪に唇を落とすことくらいだ、それ以上のことを望むことはしない。それでも膨らみ続けるこの想いはどうすればいいのだろう、スミレが、好きだ。
 ただ腕の中のスミレを愛しく思いながら、私はその青い髪に顔をうずめることしかできなかった。



 明けて翌日、しおれてきたすみれの花を見て悲しげな表情をするスミレのそばへと歩み寄れば、彼はすぐに私の方を向いて笑みを浮かべる。だが悲しげな表情の理由を問うても、スミレはただ曖昧に笑むだけだった。

 ──この電子空間の中、花は水をやらなくても枯れることはないが当たり前に寿命は来る。しおれきってしまえばその花は消滅し、自動的に一粒だけ種ができてまた新しく芽吹く。そのような繰り返しでこの世界は回っているのだ、本当にすごいシステムだな、と感嘆の溜め息が漏れた。

 ふと目をやった窓の外は見事に晴れ渡っている、そういえば私がスミレと出会った日もこんな天気だったな、と。

 突如現れてにこにこと笑っていたスミレは本当に可愛らしかった。「妖精……?」と思わずこぼした私の呟きにうなずいて、そっと私の手の甲に口付けをしたスミレ。できることならば、私が壊れるその瞬間まで隣にいてほしい。

 ……それにしても、いつから私はこんなに贅沢になってしまったのだろう。最初はずっと、一人小さな家の中で毎日を過ごすだけの生活を送っていたというのに。それだけで満足だった私はどこに行ってしまったんだ?

 ふう、とこぼれた溜め息には何の意味があったのか。スミレの小さな手をそっと取って軽く握りしめてやれば、スミレも私の真鍮の手を握り返してくれる。これ以上の幸せなど存在するものか、今はこれで、これだけで充分、だ。



 次の日は、抱きしめながら眠ったはずのスミレの姿が腕の中にないことに気付いて目が覚めた。

「……スミレ? どこに行った……?」

 黒い不安が胸の内にぶわりと広がる。家のどこを探し回ってもスミレの姿はない、見れば棚の上にあった植木鉢もなくなっている。私ははやる心を必死に押さえつけながら、一昨日二人で行ったすみれの花畑へと向かった。

 広い草原の真ん中にある私の家から花畑まではそう遠くはない。息を切らしながら花畑への道を急ぐ、まだ夜は明けたばかりだというのに一体どこへ……?
作品名:せめてこの手を離すまで 作家名:ぺくた