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あの夏、あの日、僕たちは 2

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 千歳千里は忍足謙也に一種の恐怖を感じている。



「…謙也くん」

 この不安定な気持ちを悟られぬよう、いつもと何ら変わらぬ風に聞こえるよう、細心の注意を払って、千歳は眩い金髪に声をかけた。強く意識をしておかないと、千歳をいつも気にしているらしいこの少年は、千歳の心の有り様をすぐに悟ってしまうから。少しでも千歳の心境に変化があれば、自分が原因なんてひとつも疑わず、人の気も知らないで、「どないした?」なんて心配そうに顔を覗き込んでくるのだ。
(やっぱり、謙也くんは、怖か)
 蝉の大合唱の狭間に響いた小さな呼び掛けに、びく、と面白い程大袈裟に身体が震えて、謙也がベンチから身を起こす。
「ち、ちと、千歳……!?」
(何ねその反応、わかりやす)
 紅潮する頬、上ずる声。突然の千歳の登場に驚いているその表情に混じるのは、困惑と、動揺と、それから歓喜だ。
「どないした、」
 これまた戸惑いつつも隠しきれていない喜色を滲ませてながら問われた言葉に、千歳は思わず目を伏せた。
「白石が、謙也くんが飲み物持ってかなかったけん倒れたら大変ばい、っち、俺にポカリ持ってけって」
 誤魔化すように手元の青いラベルのペットボトルを掲げる。謙也を決して見ることなく、パッケージの商品名を水滴が伝い落ちていくのを眺めながら答えた。
「白石が……」
 浮かれる謙也はそんな千歳をあまり気にとめず、小春あたりならいざ知らず白石がそんなおせっかいを焼くとは、と、言外に含ませながら呟く。しかしすぐに笑い混じりの吐息を零し、
「すまんなぁ。おおきに!」
 と、嬉しそうに破顔する気配を察した。丁度走り終わったところやったんや、と、手を伸ばされる。反射的にペットボトルを渡した拍子に指先が触れて、今度は千歳の肩が小さく跳ねた。そんな自分の反応に、酷く戸惑う。
「っ……汗、びしょびしょやね」
 否、これはさっきまで謙也を意識していたせいだと自分を取り繕って、何でもない風を装いながら、襟口や背中がぐっしょりと濡れている謙也のシャツに視線を移した。
「おん。この天気やし、この暑さやし。流石のスピードスターも、お天道さんの光は避けられへんっちゅー話や」
「こぎゃん暑か中なのに、謙也くんは偉かね」
「そうか?千歳もわざわざ暑い中おおきにな。あ、俺汗臭ない?」
 自然な会話を心掛けながら、いつ切り上げようかと伺っていた矢先、顎先や首筋を滴る汗をタオルで拭い、そのタオルにふんふんと鼻を鳴らしつつ顔を埋める謙也の様子が、まるで犬のようだったから。千歳は思わず、笑ってしまった。
「え、な、なんや、」
「なんでもなか。汗臭いのは大丈夫たい」
「そうか?なら、良かったわ」
「ん。慣れとるけん、汗臭くても大丈夫」
「て、やっぱり汗臭いんか!」
 しっかり突っ込みながらも、謙也の、厚くかさついた、妙に男くさい唇が綻ぶ。自分の笑顔ひとつ、言葉ひとつで一喜一憂するこの少年が、千歳は酷く滑稽だと思った。酷く愚かだと思った。
 自分は、彼に想われるような人間ではないのに。親友の影を求めて、そのための道を求めて、彼との未来を求めて。求めてばかりの理想主義者で、やっと強くなれたと思っても、それは慢心でしかなく、結局は弱いまま、思考も心も簡単に乱れてしまうような、そんな頼りない人間。
(阿呆なヤツ)
 真っ直ぐで、正直で、周りに人が集まるような、暖かな人柄。よく笑って、感情を恥ずかしげもなく素直に吐露して、けれど面倒見が良くて、頼られて、眩しくて。自分は、そんな謙也が想うべき人間なんかじゃ、ない。
 いただくわ、と、謙也は仰ぐようにペットボトルに口をつけ、そのまま一気にゴクゴクと喉を鳴らして飲み始めた。うまい、と言いながら機嫌よくスポーツ飲料を飲む彼の純粋さが、いたたまれない。一刻も早く、この場を立ち去りたくなった。どの道、白石から言い使ったミッションも無事遂行させたのだ。朝食の時間をしっかり伝えて戻れば、文句も言われないだろう。
「謙、」
 彼を呼び止め、先に戻る、と言おうとして顔を上げた千歳の目に、既に変声期を終えたらしい謙也の喉仏が、上下に動く様子が映った。喉の動きに合わせて減っていく容器の中身、顎先を、首を伝い、シャツが濡れるのも構わず湿った唇の端から零れる水分。上げた顔にかかる金糸が夏の日差しに煌めいて、千歳の目を射抜く。

「ち、とせ…?」
「え、」

 ふと我に返った時、千歳の長く節くれだった指は、ワックスのベタつきが仄かに残る硬い髪に絡まっていた。
(俺、なにを…)
 呆然とする千歳の脳裏にフラッシュバックする、スポーツドリンクを音を立てながら飲む謙也と、かつての親友の、幻影。かの少年も、変声期を早くに迎えたために、その年齢には不釣り合いな程に落ち着いた、低い声の持ち主だった。そのため身体の大きな千歳よりもずっと、出っ張った喉仏。彼もまた、行儀だとか、服が濡れるだとか水っ腹になるだとか、そんなものを気にすることなんかなく、思いのままに水分補給をする。ペットボトルから、浴びるような勢いで水をがぶがぶと飲んだ。渇きを潤している間、天を仰いでいる金の髪は、光を透かしてきらきらと光る。千歳は、それを見るのが好きだった。何より、好きだった。
(また、俺は謙也くんに、桔平の影を、)
 タンポポんごた綺麗か色ばい、なんて言いながら、よく触れていた、あの髪。こんなにも傍に、それと同じ色があったから。だから。
「っ……すまん、」
 情けない。またもみすみす自分自身に露呈させた、己の脆さ。その弱さに、荒れそうになる気持ちを唇を噛むことで抑え、力無く引っ込めようとした手を、
「千歳、」
 謙也が、引き止めた。
 指先を、骨が軋まんばかりの強さで握られる。
「ぃ、痛っ」
 離せ、と抗議をするように謙也を睨む。
「っ……!」
 その先には、指先を掴む手よりも強い、瞳があった。この目を、千歳はよく知っている。気付けばいつも向けられているものだ。熱を帯びた、ひたむきな視線に何も言えなくなる。
 しかしこの表情はどうだろう。明るくて、真っ直ぐで、素直で、年相応に馬鹿騒ぎも悪ふざけもする彼の、見たことのない顔。普段は誰より純粋な少年の眼が、色を含んで欲を孕んだ眼差しで千歳を映す。アーモンドのような綺麗な形をした目は、眩しいものを見るように、辛そうに細められていた。その仕草が何だか「少年」と言うよりは、「男」のそれのようで、
「謙也、くん、」
 どく、と、心臓が血液を送り出す音が大きく千歳の中で響く。
「千歳、」
「な、んね、」
 指先が、彼の手によって、彼の唇へと導かれる。
「千歳」
 触れた先の、思いの外に柔らかい唇が、低い音で自分の名前を紡ぐ。普段はきはきと話す彼の、こんな声は知らない。幼い頃からラケットを握っていたため硬くなった指先に、あまりに熱い息がかかる。
「けんや……」
 かあ、と、頬が更に熱くなった。は、と、上ずったような息が千歳の口から出て行く。
「手ぇ、冷たいな」
 指先に当たる謙也の形の良い唇がぼそぼそと言葉を紡ぐ度、吐息と薄い皮膚が擽り、何やら背中がぞわぞわと粟立つ。
「んっ…」
 ぴくん、と、千歳の身体が跳ねた。
「ぽ、ポカリ、持っとったけん、だから、」