鳥籠に咲くは哀色の華
灰色の世界
この空は、どこまで続いているんだろう。
菅原は部屋の窓から見える空を見上げながらぼんやりと考えた。
部屋の窓から見える空はとても小さい。
切り取られた世界のようだ。
物心つき始めた頃にはすでにこの遊郭にいた菅原にとって、ここから見える空が世界の全てであった。
この遊郭でのしきたりや客あしらいもすぐに慣れた。
彼らに対する反応の仕方も。
菅原にとってそれは何も感じない。
客を喜ばせるためにそういうフリをしているだけだ。
菅原にとってここの生活は全てが灰色で、自分がどんなに着飾っていたとしてもそれは暗い藍色の花のようでしかない。
毎日が同じことの繰り返し。
客と会話をし、酒を呑み、抱かれる。
ただ、それだけの毎日だった。
窓の外の陽が傾きかけているのを見た菅原は、窓から部屋の中の鏡へと視線を移した。
鏡台の小さな引き出しから紅を取り出して小指で少しすくうと唇の上にそっとすべらせる。
軽く唇をこすり合わせて馴染ませると、雪原にぽっと咲いた赤い花のように色づいた。
その様子を確認すると菅原は紅を元通り引き出しに仕舞いゆっくりと腰をあげる。
華やかで艶やかな衣装が乱れていないことを確認すると静かに部屋を出て行く。
今日もまた同じ夜が始まるのだ。
いつもと変わらないただ生きていくためだけの夜が。
菅原が水揚げされたのはつい先日のことだ。
この世界では客に指名されなくては生きていけない。
ここに来たばかりの頃にそう言われた菅原はどんなことでもすぐに技術として身に付け、自分を磨いてきた。
全ては生きていくために。
一流の花魁であれば自分の部屋で客を待つが、まだ新人である菅原は他の遊女たちと同じように見世に出てそこで客の指名を待つことになる。
この日も菅原は見世の端に座ってぼんやりと格子の外を眺めていた。
初めは少なかった人だかりも時間を追うごとに増えていき、きらびやかな明かりが灯る頃にはかなりの賑わいを見せていた。
たくさんの男性の視線にさらされることにももう慣れていた菅原は、冷めた顔で視線を伏せる。
ふと、いつもと違う強い視線を感じた菅原はそちらに振り向いた。
目が、合う。
「!!!」
そこにはたくさんの男性がひしめき合っていたが、それでも彼だけが強烈に目の中に飛び込んでくる。
黒くて少し硬そうな短髪、少しだけ日に焼けた健康そうな肌。
そして何より強い活力を湛えた瞳。
それは菅原が今までに見たことのない瞳だった。
その瞳に衝撃を受けて呆然と見つめているとそれまでこちらを見つめていた彼はハッとした後、慌てたように視線をそらした。
それでも菅原は動けなかった。
彼の瞳に衝撃を受けたことは確かなのだが、なぜそんなにも衝撃を受けたのかが理解できなかった。
どうしてこんなにも胸が脈打っているのだろう。
どうしてこんなにも体が熱いのだろう。
視線をそらした彼は、連れと思われる男性と何やら会話をかわした後、こちらを一度も振り返ることなく雑踏の中に消えていった。
単に外の男性とたまたま目が合った。
ただそれだけのことのはずなのに、菅原はこの出来事を忘れることができなかった。
「菅原、お客さんだよ」
遣手がそう声をかけたので、慌てて立ち上がる。
そっと呼吸を整えると何事もなかったかのような顔で座敷へと急いだのだった。
作品名:鳥籠に咲くは哀色の華 作家名:今井鈴鹿