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吐く白

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 想像する。立ち上がって窓のところまで二本の足でしっかり歩いていく。鍵を持ち上げ窓を開けて窓枠に足をかけて身を乗り出した。季節は間近に春。頬に雨を感じる。空を仰いで大きく溜め息を吐いてみても目には見えず、透き通っていた。
 起きたら溶けたアイスを冷蔵庫に入れて、先輩に一緒にお風呂に入るよう言ってみよう、と思う。半覚醒の意識はすぐさま朦朧として闇に落ちた。







 空気が的確に歪んで音を立てている。波立ったり、亀裂を生んだりしながらだいたい太陽系が巡るくらいの速さで着々と攪拌されていく。北半球の東洋、簡単にいえば、空き地の隣にある小さなアパートも洩れなく影響下だった。二人はまだ変遷というものが、さなぎから這い出るものだと信じている。それは空気の振動によって、生物の真新しい匂いを放つ。温かさに晒されて薄くなり今にも割れそうな空の下に、蝶はまだ飛んでいない。
 久々知が家に帰ったとき部屋の真ん中に妙な膨らみをもった毛布があって、よく見ると隅のほうから綾部の頭がはみ出していた。
 何枚も重ねてあった毛布や布団を綾部から剥ぎ取ると綾部は何も着ていなかった。愚図つく綾部を叩き起こし理由を問いただすと、綾部は服を着るのが面倒で且つ毛布が直に肌に触れるのが気持ちよかったからと俯きながら低く小さな声で言った。
 綾部を久々知はしばらく凝視した。
 有無を言わさずその毛布を洗濯機の中に詰め込み洗剤を入れて回し、人を叱るには静か過ぎる声で綾部に服を着るように言った。いまだ眠気眼だった綾部は大きな音に驚く猫そのままに、顔を上げ黙って久々知を見つめる。
 視線を受けとることなく久々知は台所に行ってコップに水を注いで飲む。
 そのグラスを何の前触れもなく壁に投げつけ、コンロにある味噌汁の入った鍋を床に落とした。
 綾部は一瞬肩を震わせた。裸のまま四つん這いでグラスの割れている場所に行き、片付けるでもなくこぼれた水に浸ったガラス片を眺めた。散らばったあたりから冷気が広がってきて、綾部はくしゃみをした。
 今朝早く、堆積した冬が霧となって飛散していた。近所では咲き零れる桜や紅の梅のつぼみが見られるようになり、街道の白い木蓮が終わりを迎えようとしている。そこかしこの景色が黄色がかるなか、アパートの一角にあるキッチンのフローリングは寒さを湛え澱んでいた。空気はいまだ冬の匂いをそのほかのさまざまなものから嗅ぎわけさせる。石油の匂い、乾いた人肌の滲む匂い。
 長い時間が経過し一通りの反芻を久々知が終えたころ、背中を向けてグラスを見つめていた綾部が振り向いて、愛想なくいつものように空腹を訴えた。
 言い終えるとすぐに綾部はまたくしゃみをした。久々知はしばらく微動だにしなかったが、急に自分の鞄を取り上げて、早足でアパートを出て行った。
 部屋に取り残された綾部は寒さを堪えきれずに、渋々服を着にかかった。綾部は家ではいつも丸い襟の大きなパジャマを着ていた。ボタンの穴が小さくて留めるのに毎回手間取る。
 洗濯機で洗われなかった布団を被り、綾部は縮こまる。冷え切った足先を隠そうとズボンの裾を引っ張ったが無意味な行為だった。大人しくしていると感覚が聡くなって、耳鳴りがしたり仄かに味噌の香りが鼻をついたり遊ぶ子供の笑い声が聞こえてきたりした。
 一時間くらいあとに帰ってきた久々知の両手には、スーパーで買い占められた大量の食材があった。
 久々知はガラス片は放って、床に広がった味噌汁だけ雑巾で綺麗に拭き取った。途中で洗濯機から毛布を取り出し、行く手を阻む綾部を押しのけて窓辺に干した。
 量が多いので鍋物でも作るのかと思えば、それにしてはさまざますぎる食材を冷たいフローリングに広げた。まな板やら包丁やらが出てきて料理が始まっても台所は不思議と静けさを保ち、むしろ平静を取り戻したようだった。蛇口から水が流れそれがシンクに叩きつける音や包丁がまな板に規則的なリズムを刻んでいても、騒々しさは生活として久々知の皮膚がすべて吸い取っていた。
 綾部が畳とフローリングの間を裸足で架けて膝を包め、久々知の様子を伺っていた。台所に備えつけてある蛍光灯が緊縛した空気に勢いをつけていっそう高い金属音をあげる。
 出来上がったのはなんでもない焼き魚や炒め物などで、こまごまとした品を仕上げては新たに一品作り、延々と続けた。
 綾部は一人居間に腰を落ち着け、教育番組を見始める。部屋には雑多な匂いが漂っている。綾部の腹は最初こそ情けない音を立てていたけれど、今ではそれすら落ち着いていた。テーブルにいくつもの小鉢や皿が並んでも綾部は手をつけないで取り留めなくテレビを見ていた。
 ご飯が炊き上がって新しい味噌汁が温まりかけたころ、久々知は出来合いの材料でさらにロールケーキを作った。ロールケーキは蓄えられるだけフルーツを包んだ上に、表面にも沢山のフルーツを盛られた。無作為な装飾で醜くなったそれに、チョコレートソースの紗が大量にかかった。食卓の中で、それだけが明らかに失敗作だった。
 音もなく久々知に忍び寄っていた綾部はそれを見てようやく「誰か呼ぶ?」とだけ言った。間が抜けて響いた一言に、久々知は律儀にかぶりを振った。
 久々知はロールケーキを見つめていつまでも動かなかった。綾部もなにも言わずにしばらく傍にいたが、テレビから夕方のニュースを始める声が聞こえると、黙って久々知を風呂場に引きずった。久々知も無言のままだった。
 綾部は久々知を無理やり風呂に入れた。自分では何もしようとしない久々知の髪を綾部が洗った。久々知の作った数々の料理を二人で黙々と食い散らかし、洗い立ての毛布を一緒に被って眠った。洗剤の匂いがする毛布は、その部屋がひとつの住処であることを思い出させた。
 翌朝、久々知がバイクで登校しているあいだ、小さな畑に紋白蝶が飛んでいるのを見た。桜は今にも咲ききってしまいそうで、いつまでも咲かないようにと苦い思いで見つめ、咲いたら綺麗に散ってくれるよう願った。








 夢を見た。たぶん夢だと思う。今は夢の中なのでわからない。夢の中では二次元と三次元が混ざっていることもある。ビルに囲まれたスクランブル交差点で俯瞰されている自身の姿の横に突然ドラえもんが出てくる。平べったいけれど紙みたいだとは感じないし、彼の態度は堂々としている。のび太君の姿はない。それで私はドラえもんが違う社会に放り出されても成り立つことのできる個としての生命であることをはじめて確認する。
 それとは違う夢の中で、私は戦っていた。何と戦っているのかはわからない。そのときの私は空を飛ぶことができなかった。何かに乗って空を飛ぶ夢を私はよく見た。
 私は幼く、周りにも沢山子供がいて彼らも同様に幼い。私たちはひとつの場所に隠れて人殺しの勉強を毎日している。私はよく穴を掘っていた。穴を掘るのが私は得意だった。
 久々知兵助は線の細い少年で綺麗な顔をしていてなんでも器用にこなし、少し変わった物の考え方をした。私たちはそれほど親しくなく、ただし考え方の変わりようという点では妙に似通っていて、同じ日付に生まれたのではないかと疑うほどだが彼の出生日を私は知らない。
作品名:吐く白 作家名:mamu