LOST ④
「しちゅんな食べものはゴーヤで、欲しいものはショートブーツで……。でもって、永四郎の一番心を占めていることがテニス、そうだろ?」
フェンスに額をつけたまま、ちらりと、上目遣いに見上げてくる顔は、正解を褒めて欲しいとねだる子供のようだった。
けれど、それでも木手は無言のままだったので、平古場は困った様な笑みを木手へと向けてから、また視線を海へと戻した。
平古場は、ずっと考えていた。木手に近づく為に、どうすればいいのかを。
木手にとって、今一番心を占めることは、間違いなくテニスだ。そして、全国大会で優勝すること。
だからそれを、叶えてやりたいと思った。そして、一緒に見てみたいとも思った。
木手が大切だと思うもの全てを、平古場も大切にしたかった。
木手のことが好きだから。
でも、きっと木手は違う。単純明快に言ってしまえば、平古場のことを好きではないということだ。平古場の気持ちを知っていて、女子生徒からのプレゼントを渡してくるなんて無神経だと思ったし、それを態とやっているのならば本当に酷い男だと思った。
けれど、それでも好きだという気持ちが消えることがないのだから、平古場は自分の趣味の悪さに苦笑するしかなかった。
「なぁ、覚えてるか?永四郎が断ることが出来ないような、そんなプレゼント持って来いって言ったこと……」
「……ええ、覚えています」
――俺が受け取り拒否出来ない様なものを持ってきたらどうですか。まぁ、あるとは思えませんが……。
――やーが受け取るものかぁ……。そりゃ難しいな。
そんな会話をしたことを思い出すと同時に、木手を呼ぶ平古場の甘ったるい声と抱きしめられた温もりまでもが鮮やかに蘇ってきて、木手は動揺して視線をあちこちに逸らした。その挙動不審な態度は、平古場に見咎められることはなかったが、何だか途轍もなく恥ずかしい気がして、顔に熱が集まってきているようだった。
掌を握りしめて、平古場には気づかれないように少し乱れた呼吸を整えていると、平古場はフェンスから手を放して体ごと木手へと向き直った。
何時になく真剣な顔で、木手の瞳を見つめてくる。その顔には何か覚悟を決めた様な、それでいて何かを諦めた様な、複雑な感情が見て取れた。けれど唯一、分かることがあった。
平古場の中で、何か『答え』が出たのだ。その答えが何かまでは木手には分からなかったけれど。
「わん、ずっと考えてたんやっさー。何を渡せば、永四郎が受け取ってくれるかって……。それが、やっと見つかった」
「そう。……それは是非、拝見したいものですね」
「んー……、今は無いんさぁ~。やしが、やーは絶対に受け取る」
「随分と自信があるようですが……。もったいぶらずに、早く言ったらどうですか」
平古場は強気な笑みを浮かべて、楽しそうに木手を見つめてくる。その生意気なまでの笑顔に、思わず先をせかしてしまった。そんな風に、少し苛立ちを見せる木手にも臆することなく、いつもの明るく飄々とした掴み所のない雰囲気で平古場は笑っている。
眉間に皺を寄せた木手に、強気の笑みから穏やかな笑みへと平古場は表情を変えた。その優しい笑みは、暖かさと愛しさで溢れ返っていたから、木手は思わず小さく息をのんだ。
一歩、木手へと近づいてから平古場はゆっくりと口を開いた。
「やーが受け取るものなんて、これしか思い浮ばねーらん」
そう言って笑う顔は楽しそうなはずなのに、どこか今にも泣き出しそうだった。
「永四郎が一番欲しいもの何て、良く考えなくても一つしかないのにな……。やくとぅ、やーに、全国大会優勝を見せてやる」
平古場は手を伸ばして木手の胸、ちょうど心臓の真上に拳を軽くポンッと叩くように置い。そして、晴れ渡る青空の様な鮮やかな笑顔を浮かべた。
「わんが、永四郎を日本一の部長にしてやる」
木手は無言のままで、まじまじと平古場の顔を見つめた。
馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、此処まで馬鹿だとは思わなかったと木手は呆れ返った。『してやる』だなんて、どうしてそんな上から目線な言葉が出てくるのか。全国大会に連れて行くのは木手のはずだったし、平古場に貰うまでもなく、自分自身で奪いにいくものだと思っていた。だいたい、それはものではないではないか。
そんな考えが、木手の中で次々と思い浮かんでいた。
それなのに、言葉として何一つ出てこなかった。
言いたいことは、山ほどあるはずなのに、皮肉の一つも言ってやりたいのに、どうしても木手の口から言葉が出てこなかった。
口を開いてしまえば、感情とは裏腹の思いが溢れて零れそうだった。
涙が、零れ落ちてしまいそうだった。
感情の制御が上手く出来ない。だから、今の自分はとても酷い顔をしていると感じた木手は、そんな顔を見られたくなくて、平古場の肩に顔を隠すように埋めた。予想外の木手の行動に平古場は、動転して固まってしまった。ありえない木手の行動に、どう対処していいか分からず、ただ黙って肩から伝わる木手の温もりだけを感じていた。
「……平古場クン」
「ぬー?」
「……必ずですよ。約束して下さい」
その言葉を聞いた瞬間、平古場は木手を思い切り抱きしめたくなった。けれど、木手の背中へと回した手を寸での所で止めて、掌を血がでるのではないかというほど強く強く握りこんだ。そして、衝動を耐えるようにゆっくりと震える拳を両脇まで下ろした。
どうして、抱きしめられないんだろう。
こんなにも好きで好きで仕方ないのに。
愛してる――。そう叫んでしまいたいほどの想いが平古場の中で溢れて、今にも壊れてしまいそうだった。
平古場にとって、誰よりも大切で特別な存在。
けれど、木手にとって平古場の存在は、最後まで友人で部員のままだった。
それを理解した時に、今のままではどれほどの想いを伝えても駄目だと気がついた。そんな状況で、どれだけこの気持ちを訴えても、木手には届かない。木手が見ている先に平古場はいない。きっと、今の木手の目に映るのはテニスだけだ。
今のままでは、木手が平古場と同じ想いを抱いてくれるはずなどなかった。
だから、木手が何を望んでいるのかを知りたかった。それが、どれほど些細な事であっても。
そして、長い間考えていた問いに、やっと平古場の中で結論が出た。木手の瞳に平古場が映るのなら、友人としてでも、部員としてでも構わない。木手が見つめる同じ未来を共有したいと思った。だから、木手が一番望むものを平古場の手で見せてやりたいと思った。
それは、平古場にとって一つのけじめだった。
――今ここで、未練も期待も、全てを捨てていこう。
だから、決して言葉には出さず唇の動きだけで、平古場は最後のけじめをつける。
――しちゅん、永四郎。
笑おうとして、平古場は失敗した。高ぶる感情を抑えるために、ひとつ深呼吸をして、目をきつく閉じた。木手に返事をしなければ可笑しいと思われてしまうかもしれない、そう思い震える唇をかみ締めて、両手をより一層強く握りこんだ。
呼吸を整えて、いつも木手に話しかける声を意識して作る。
「……ああ、約束する」