スズメの足音(前)
「たまに旭がくるぐらい……やっぱり要らないな」
大地は真顔で結論を出した。でも、座布団だけは部屋の広さと比べても多めに用意してあって、全て並べたら旭だって足がはみ出さないだろう。俺は一枚を二つ折りにして枕にした。
「旭といえば、」
さっさと灯りを消した暗闇の中で大地が振り向いた。
「最近スガが付き合いが悪いって心配してたぞ」
「そ……そうか?あー、えっと、バイト忙しいから……」
後ろめたいからだろう、細山のことを言われている気がして早口に適当なことを言った。
「いや、そこは真に受けなくていいんだ。しょっちゅう会う約束したがる旭の言うことだから」
「…………うん」
旭は寂しがりだからな。それで話を片付けられると思った次の瞬間、
「スガ、何かあったか?」
外からの光もろくに差し込まない部屋で、闇に馴れた目が、ぼんやりと大地の視線を受ける。電灯を消した後で良かった。まともに見つめられたら誤魔化せない。
ほんの一瞬、細山のことを打ち明けてしまったら楽かと考えた。でも、大地に細山との関係を知られることを思ったら苦しくてすぐにやめた。あんまり苦しくて大地がどんな反応を示すかまで想像することもできなかった。大地は親友で、細山は大事な恋人だ。でも、絶対に紹介することはできないと思う。男同士で付き合っているというハードルを差し引いても俺の中で酷い矛盾になっていた。大地を信じていないわけじゃない。だけどダメだ。
気づかれないよう重く細く息を吐いた。
「何もないよ。バイトがちょっと忙しいだけだよ」
見えていないとわかっていても笑顔を作った。嘘をつくのってこんなにしんどいことだったか。
「…………そうか。別に仕送りは充分あるんだし、春高は旅費かからないんだから無理するなよ」
頭が動く気配で視線が逸れたのがわかってホッと息をつく。
「明日は予定ないんだよな?起きたらすぐ帰るのか?」
「別に決めてないけど、昼一緒に食べに行く?」
「いや、……朝がいいかな」
「飯?」
「違う。ちょっと連れて行きたいとこがあるからついでに駅まで送る」
「何?」
「また明日な」
答えないまま背を向けられ、呼びかけても返事のないまま、眠りに落ちて朝になった。
大地に連れて来られたのは個人経営の小さなスーパーだった。まだ開店前でオレンジと白の縦縞が薄汚れた日除けの下でシャッターが降りている。
狭い日除けの下に入り込んで、大地は口の前で人差し指を立てた。
「もしかして……」
小声で呟いた先を代わるように日除けに小さな影が降り立つ。
トトットトットトトッ
ほんの数羽だけ着地した雀は店の前を自転車が通過した途端飛び去ってしまった。
「スガに聞かせてもらった時のトタン屋根と違って傘の下みたいな音だったろ?」
今日の天気は晴れ予報だった。うっすら雲の流れる青空を小鳥が飛び交う。少し待っても第二陣が来ないので見切りをつけた大地が日除けから先に抜け出した。前も、先に立った大地を引き止めたい気持ちでぐずぐずと後に続いた。
「俺さ、そんなに何か悩んでる風だった……?」
「気のせいだったらそれでいいだろ。スガが元気にしか見えなくても、そのうちここに連れてくるつもりだったよ」
駅に体を向けた大地が動き出さない俺を振り返ってやんわり肩を押す。歩き出したらすぐに手が離れていった。名残惜しいけど、そう思うのもダメの気がする。昨日から自分にダメ出しをしてばかりだ。
駅について別れ際、
「もし本当に何か困って、言えるようになったらいつでも聞くからな」
曖昧に頷いたけど、心の中では首を横に振っていた。一本見送ってゆっくりホームに向かっても良かったところを急いで改札を抜けた。
優しい恋人ができて、昔の仲間と後輩たちの応援で盛り上がって、だけど今は恋人が待つ家に帰りたくない。否応なく進んでいく季節の中でどこへ向かえばいいのかわからずに足踏みをしているみたいだ。