花結び、想い紡ぎ
一族の者がまとっている白無垢の着物ではなく、鮮やかな桜の花を思わせる桃色の着物を着た、美人より可愛いという言葉が似合う顔立ちの女性だ。
名はイツ花といい、一族の世話をしてくれている侍女である。
彼女は初代当主が存命だった頃から一族に仕えてくれているのだが、誰も彼女が天界から遣わされたということしか知らない。
そもそも天界の遣いで、十年経っても見た目に何の変化もないそうだから、真っ当な人間でないことだけは確かだろう。
尤も、それを訊ねたところで素直に答えてくれないと分かっているため、誰もその辺りは触れてはいないのだが。
「お二人ともこちらにいらっしゃったんですね。綾様がお戻りになりましたよ」
「おっ、綾叔母様が戻ってきたみたいだぜ」
「あ、うん……」
綾は当主でありながら、自身も積極的に鬼の討伐に乗り出している女傑だ。
女の恥じらいなど感じさせないような豪快な性分で、一族の者をぐいぐい引っ張っていく頼もしい当主である。
そのおかげで性格がまるで違うことを引き合いに出されていたりするわけだが、暁はそんな母親のことを誰よりも尊敬しているし、辛いことも豪快に笑い飛ばすその姿には憧れてもいる。
綾は三日前から鬼の討伐のため忘我流水道と呼ばれる都の上水道に向かっていたのだが、先ほど無事に帰還したそうだ。
「さっそく、次の討伐に向かわれる場所と人員の検討に入りたいとのことですので、お二人とも当主の間へお越しください」
「うん、分かった。ありがとう、イツ花さん」
「いえいえ〜」
用件を告げると、イツ花は笑みを残して修練場を出ていった。
一族の者が心置きなく鬼の討伐に集中できるよう、彼女は屋敷全般の雑務を担ってくれているのだ。
本当なら忙しくて猫の手も借りたい状況の中、わざわざ呼びに来てくれたことに暁は謝意を伝えたのだが、彼女の足音が聞こえなくなると、表情を曇らせた。
「次の討伐……」
綾は歴代当主の中でも割と積極的に鬼の討伐に乗り出しているが、それは朱点童子の打倒を使命とする一族の当主としては至極当然のことだ。
彼女の方針により、次の討伐へ向かう場所と人員を検討する際には、討伐への参加が認められる者全員が一堂に会することになっている。
一族の全員が心を一つにして前へ向かって進んでいこうという考えからそのように取り決めたのだが、その席は暁にとって居心地がいいとは言いがたかった。
とうに訓練の期間を終え、討伐に参加することが認められているのに、ことごとく自分だけ外されているのだからいい気分などしないだろう。
かといって、その席に参加しなければ一族の者とは言えない……そんな無言の圧力を感じるのも確かだ。
だから、どんなに居心地が悪かろうと、顔を出さなければならない。
曇った表情で悲壮とも取れる決意を固めている暁の肩を軽く叩き、郷が軽い調子で言う。
「大丈夫だって。どうせすぐ終わるんだからさ」
「うん……行こうか、郷」
「おう」
二人は母屋の中心に位置する当主の間に向かった。
修練場と母屋を結ぶ廊下では、暁と郷の叔父(暁にとっては母の弟、郷にとっては父の弟)である煉(れん)が退屈そうに腕など組みながら欄干に座っていた。
彼もまたイツ花から呼び出しを受けているはずなのだが、こんなところで油を売っているとは、どういう風の吹き回しか。
煉は二人の足音を聞きつけ、顔を向けてきた。
長く伸ばした青い髪を背中に束ね、端正な顔立ちとは裏腹に、どこか皮肉めいた表情を浮かべている。
「叔父貴、どうしたんだよ。こんなところで」
「郷、その呼び方やめろって言っただろ。むず痒いんだよ」
「あ、ごめん……煉」
とっさのことで呼び方を間違えて、郷は気まずそうに煉に詫びた。
郷にとっては叔父なので呼び方自体は間違っていないのだが、当人がその呼び方を堅苦しいと嫌い、呼び捨てにするよう求めているのだ。
煉は郷が相変わらず変なところで真面目だと半分呆れつつも、暁に目をやった。
「……で、暁。おまえいつまでそんな辛気臭い顔してんだ。
これから葬式でも始まるみたいじゃないか。え?」
「あ……ごめんなさい、煉叔父様。僕、そんなつもりじゃ……」
出し抜けに皮肉たっぷりのきつい言葉を投げかけられ、暁は目を伏せ俯いてしまった。
返す言葉が小声なのは、辛気臭いと受け取られるような顔をしている(と思っている)自分を責めているからだった。
(あー、なんでそうなるかねえ……謝るようなことじゃないだろ、それ)
煉とて暁を落ち込ませたくてそんなことを言ったのではない。
むしろ、それくらい言われても毅然としていて欲しいと思っていたのだが、やはりまだ無理だったか。
何かを言われるたびに自分が悪いと思って責任を感じてしまったり、自分の力を自覚せず卑屈になるような性格はなんとかしてもらわないと、本当に困る。
綾や郷を含めた一族の大多数が共通して頭を悩ませている問題がそれであり、暁が一族の中で疎まれている理由でもあった。
訓練や修練を経て身につけた力は鬼の討伐に向かうには十分なものでありながら、自分に自信が持てないせいで卑屈になって、それを表に出そうとしない。
彼ほどの素質に恵まれなかった者からすれば、それは謙遜を通り越して単なる嫌味でしかなく、力はあるのに戦への心構えが成っていないために討伐に出られないことを『弱虫』『一族の役立たず』と詰られ、陰口を叩かれているのだ。
(姉貴もどうするつもりなんだか。
今はまだいいけどな……郷だって何かの手違いで死んじまうかもしれねえんだ。
今のままじゃ、郷がいなくなった途端にこいつ、駄目になっちまうぞ)
煉は郷に励まされて顔を上げた暁を見やり、小さくため息をついた。
敢えて憎まれ口を叩いているのは、むしろ暁を想ってのことだった。
暁は従兄弟で歳が近い郷と一番仲が良く、彼と行動を共にしていることが多い。
それはまあ、いいとしよう。
心を許せる相手がいるというのは、それだけで心強いのだから。
しかし、郷は暁と違って鬼の討伐に赴くことがあり、鬼との激しい戦いの中で命を落としてしまう可能性がないとは言えない。
今はまだいいが、もし彼が討死などしてしまえば、本当の意味で心を許せる相手がいなくなってしまうのではないか。
母である綾は当主としての務めで忙しいため頼るのが非常に難しく、煉や他の一族の者とも距離を置いている暁が彼らを頼ろうにも、取っ掛かりがないような状況だ。
そうなってから慌てても後の祭り……このままだとそうなる可能性すら考えられるだけに、綾が暁の現状をどう考えているのか、しっかりと確認しておきたいところである。
自分に自信が持てずにまごまごしているのがもどかしくて、見ていられなくて、ついつい口を出してしまう。
煉は暁の肩に手を回し、軽く叩きながら言葉をかけた。
「まあ、いいや。
暁、落ち着いたら山に狩りにでも行かないか?
おまえの腕なら動き回ってる獣だって軽く狩れるだろうしさ。
いつもいつも同じ肉ばっかじゃ飽きるだろ。たまには脂がたっぷり乗った野兎や猪の旨い肉でも食べたいって思わないか?
それに、他の連中をぎゃふんと言わせるいい機会だぞ?」
「え……でも……」