真白物語
「ジュンサー君……私はこれからシンオウに一度戻ってみようと思うのだが」
「えっ――」
と、ジュンサー警部はマメパトが豆鉄砲をくらったような顔をしたが、私の頭に星野紗江子へのあの質問が頭をよぎっていた。
「先生は、彼女の、星野さんのこれまでの経歴が事件にかかわっているとお考えですか。そのためにシンオウへ……」
すると、先生は私に顔を向けて小さく頷いて、
「ジュンサー君、その間、星野紗江子の身辺に気をつけてもらいたい」
「承知いたしました」
と、のどの詰まったような声で、
「それでは、このままクチバシティに向かいます。あとのことは万事引き受けました」
「頼みます。私も出来る限り早く帰るよう、心がけるから」
といって、私たちを乗せた車はクチバシティに向けて、日が落ちかけた空の下をまっしぐらに駆け抜けていった。その空は、これから起きる出来事を予期するかのごとく真っ赤に染まっていたのを記憶している。それは当時の私にはわかりようもなかったし、神ならぬ大岡先生にも気が付いていなかったのである。
九.
クチバシティの港の一角に大岡先生を降ろすと、そのまま車はヤマブキシティに取って返した。途中、私はポケモンセンターに下してもらうと、恐らくカントー警察本部へと戻っていくジュンサー警部を見送ってからポケモンセンターに入ると、ふと、待ち合いの席にヒカリが座っていて、ブラシでミミロルの毛並みを整えているのが見えた。
彼女に尋ねると、この日は例にも漏れずサトシがカントー警察本部で稽古があったため、彼女はタマムシシティで買い物を終えてここで彼が来るのを待っているのだという。
彼女と話を続けていると、ヒカリは不意に、
「そう言えば、大岡先生はどうしたの? 今日は一緒に居るって聞いていたけど……」
「ああ、先生ならさっき私と別れて他のところにまわっていったよ。こうなると、ニャースの手も借りたいぐらい忙しいらしいから……」
私はそう言って、ごまかした。
「そう、それもそうよね、それでいったい、どんな調子だった? 少しでも犯人の目星はついているの?」
「さあ、それがねえ……」
コーディネーターが立て続けに二人も殺害されている所為か、ヒカリはこの事件に興味心身の様子であった。私はここでも言葉を濁して、
「大岡先生はいざ知らず、わたしなんか全然……」
「先生とは事件の話をしなかったの?」
「それがねえ、どうも先生はひとにそう言った、自分の考えをいうことをあんまり好きじゃないような気がするんだよね。わたしも聞こうとは思ったんだけど、なんとなく、そんな気持ちが伝わったから聞くのをためらってしまって……」
これは、真実である。先ほどまで大岡先生と行動をともにして、私は大岡先生が何か期するものがあるらしいのだが、今言ったような理由から、結局私は聞く機会を失ってしまったのである。
それから、私たちは事件の話からはずれて、また他愛のない話を続けていたのだが、ふとしたときに時計を見ると、もう五時を過ぎていた。
「サトシ、まだこないね」
「五時に稽古が終わるっていっていたから、大丈夫。もう少し待ちましょう」
と、余裕たっぷりの微笑を浮かべてヒカリは言うのである。
ここで私は、ここ数日間気になっていたことを訪ねようと、
「あ、あのさ、ヒカリ……」
と問いかけて、ポケモンセンターの回復を告げる音が鳴り響いて、
「あ、ごめんねノゾミ。――私ジョーイさんにポケモンを預けていたから、ちょっと行ってくるね」
ジョーイさんからモンスターボールを受け取ったヒカリは私のほうに向けて笑みを浮かべて手を振った。その姿が実に可愛らしくて、私は不覚にもそのときは少しときめいてしまったが、何事もなかったように手を振り返した。
異変が起こったのは、そのときのことである……。
いつのまにか私の隣に座った男、そのときまで私は気がつかなかったのだが、年齢はおそらく五十前後であろうか、ゴマ塩の頭を短く刈った太りじしの小男であった。その小男は私の隣にそっと座ったらしく、いつからそこにいたのかということすら、わからなかったのだが……
その男は少し私の方に身を乗り出して私の背中に固い何かが押し当てたのである。その筒状の何かが小さなピストルであるということを理解するのに時間はかからなかった。
コーディネーターとして各地を渡り歩いてきて、普通の人ならば体験しないような出来事も多く経験した私だけれども、私はそのとき、情けないことにあまりにも急な出来事に声をあげることもできなかった。そのときの私の舌は上あごとぴったりとくっついてしまっていて、う……、う……という音しか発することが出来なかった。不幸にもその時間はポケモンセンターも混む時間帯であったから、私たちのことに気付く人は私のまわりにはいなかったようであった。思わず両手を上げようとする私に対して、小男は私の耳もとに顔を近づけて、
「静かに、――ゆっくりと立ち上がって、ポケモンセンターを出ましょう。あなたは賢い方だ、もし妙な真似をしたらどうなるか分かりますよね?」
と、小男は鬱々とした小さな声で呟いた。私の背にピストルがより強く押しつけられて、私はあげかけた手を膝の上に下して相手の言うことに小さく頷いた。
彼の命令通り、私は椅子から静かに立ち上がってそのまま振り返りもしないでポケモンセンターを後にした。出て、左に折れたところで私の背中にまた、ピストルが押し当てられた。小男はピストルを押しあてたまま私の耳もとに顔を近づけて、
「この次の通りを渡って左に折れてください。しばらく進むと、今度は右に曲がって、また進むとそこに車を待たせてあります。そこまで御同道いただきます」
私はこのとき緊張からか気分を悪くして、非常に落ち込んでいて、この小男に逆らう気すら起きなかった。言われたとおりに、左に折れると確かにそこには黒塗りのどこにでもありそうな車が停まっていた。
ぐいと進めと言わんばかりにピストルを押しあてられて、頭痛がより強くなった。軽くめまいもする、もしかしたら、熱も出てきたのかもしれない。それでも私は足を前に進めるよりほかなかったのだが……
言われたとおりに進んでいくと、少し殺風景な、細い路地に入ったが、はたして男の言う通り、そこには一台の車(これもごく何の変哲のない車だが)、が停めてあった。そんなときに、
「ノゾミ、待って!!」
と、後方から呼び止められた。あきらかに私の大切な友、彼女の声だった。多分、急にポケモンセンターを飛び出したのだから心配になって追ってきたのだろう、今思えば至極当然なのだが、そのときの私はそんなふうに思う余裕はなかった。
――私のせいで、ヒカリが巻き込まれてしまう!!
という思いが頭をよぎった次の瞬間には、私の頭はプツッと何かが切れて、無我夢中で喚きだした。
「ヒカリ、君は近づくんじゃあない! 早く離れて、私のことはかまわないから、逃げなさい!!」