真白物語
この私の警告を言うが早いか、二本の手がまるでゴーリキーの手のような力強さで私に襲いかかってきた。一人の男が、急いで車から飛び出して、私を通り抜けて彼女へと襲いかかった。
私には、ヒカリの姿が死角になっていて見えなかったので、彼女がどうなっているかは分からなかった。ただ、ひたすらに無事であってほしいと祈らんばかりであった。頭の頭痛がズキンズキンと一層激しくなる。ああ、私はもうだめだ……
私はもはや窒息しかけていたのだろう、もうこれで最後か……と、頭に浮かんだとき、フウッと意識が抜けていった。
十.
私は頭痛をかすかに感じながら、徐々にわれを取り戻してきた。ゆっくりと、眼差しを開けていくとそこには心配そうに私を見守っている顔が最初に見えた。私の視線を感じて、彼はうれしそうに、
「やあ、ようやく目を覚ましましたね。かわいそうに、ずいぶんとひどい目に逢いましたね、一時期は本当に危うかったのですが、――でも、これでもう大丈夫です。あなたはご存じないでしょうが、あれからもう三日も経っているのですよ」
微笑んで声をかけたその人は、ミネズミのような顔立ちをしていた、星野紗江子のマネージャー・東間久七であった。
「ここは……病院ですか?」
喘ぎ喘ぎ私は訊ねた。見まわすと、殺風景な部屋の様子は病院のそれと同じであったから。
「助けてくれたんですか、あなたが……?」
「私が、――? そうですね、確かにその方棒は担ぎました。けれども、あなたがた二人を助けたのはあのサトシ君ですよ」
と、私に微笑みを浮かべたまま答えてくれた。なんとも、愛嬌のある頬笑みだったように思う。
「私は以前ポケモンリーグ協会で勤めていまして、そういった関係から、彼のことは私が一方的に知っていました。――ですから、あなたがた二人がひどい目にあっているとき、私は助けを求めようとポケモンセンターに戻ったのですが、そこで都合よく彼が居合わせてくれましてね、あとは、彼がたちまちはせ参じて事態を収めて、あなたがた二人を助け出してくれました。そのあとは、ジュンサーさんたち気の利いた警察官を呼びまして、気絶している彼らを連れて行ってもらいました」
「あなたは、あのときその場に居合わせたのですね……」
「はい、それも運がよかったのです。ポケモンセンターであなたを見かけたとき、私は声をかけようとも思ったのですよ。ですが、どうも様子がおかしいので静観して追っていたら、あのお嬢さんがそれを追って飛び出して行きました。そうしたら、あの騒ぎです。――ですが、助かって本当によかったですね」
「ああ、思い出しました!」
不意に私は声をあげて、彼の話を途絶えてしまった。
彼女の、ヒカリのことが頭によぎったからだ。あれから、彼女はどうなったのだろうか。
「どうかしましたか、なにか心配事でも?」
彼に問われて、私は自分の胸のうちにある心配事を彼に吐露した。すると、彼はまた微笑んで、
「ああ、あなたは大変な友達思いですね。私はあなたが彼女を守るために自らを捨てて叫んだことも聞いていました。とても、並みの人に出来ることではありません。――彼女は無事です。何の心配もいりません、安心してください。彼らと対峙したとき、ドガースの毒ガスをその身に受けていましたが、特に問題はないようです。今は彼が、サトシ君が彼女についていてくれています」
と言って、彼はクスッと笑った。
「ずいぶんと初々しい、いや、純な恋人同士ですね。あの二人は、――今の若い方には珍しい。ですが、私はとてもお似合いだと思っていますよ」
私は彼の言葉に驚いたり呆れたり、今までの苦痛もそのときは忘れていたほどであった。恋人同士だって、あのサトシとヒカリが、――? そんな馬鹿な!
そんな私の様子が見て取れたのか、東間さんは怪訝の表情を浮かべて、
「違うのですか? 病室での彼らの様子があまりにもそれらしかったので、私はてっきり、――」
確かに、ここ最近の彼らの様子からはそう言った関係とも思えるような言動が見え隠れしている。それに、ヒカリがサトシに対して思慕の情を示しているのは誰の目から見ても明らかだ。だけど、あのサトシが彼女の想いに応える、というよりもそもそも気づいているのだろうか……? 私も今日に至るまでいろんな男性と接してきたが、彼ほど鈍い男を他に見たことがない。彼は「思慕」という感情をおそらく理解すらしていないだろう、サトシにとってのそれはポケモンに対する感情と同列なのだ。だから、こんな話に至ること自体ナンセンス、ヒカリには悪いけど二人が恋人同士など、全く有りえない話だ。ヤドランやドンメルといったポケモンよりも特性「どんかん」が似合う、サトシとはそんな男である。
――と、私は東間さんの言うことを後ろ向きに捉えていたのだけれど、不意にこんなことを考えている自分が滑稽に思えてきて、思わず溜め息を漏らしてしまったのである。これが少しの間二人の間に起こっていた沈黙を(それは、川をせき止めていた岩を取り除いた様に――)打ち破ったのだ。私は東間さんの視線に気づいて彼のほうに顔を向けると、苦笑を浮かべていた彼と顔があった。
「話題を、変えましょうかね。――」
彼は静かにそう言った。
「どうも、すみません」
「いえ、いいのですよ。それでは、そうですね。――あなた方を襲った犯人のことですが、――」
私は彼の言葉を最後まで聞かずに、
「その犯人は、もしかして藤原泰久ではありませんでしたか」
と、訊ねた。だが、東間さんはそれに対してさして気分を害したわけでもなく、
「ああ、流石あの大岡さんの助手を務めてあるだけいらっしゃる。あのとき、あの男は決してあなたの前に姿を現さなかったのに――。ええ、そうです。あなたの仰るように主犯各は藤原でした。ただ、彼は実行には及ばずあのとき車の中で待機していたようです。あの車はサトシ君があなた方を助けに入ったとき逃げ出してしまったのですが、あの時逮捕された、彼の手下、すなわち、あなた方を襲った実行犯ですね――彼らが警察に暴露したために事が露見し、彼は昨日の朝、隠れ家に居るところを逮捕されましたよ。ほら――」
と言って、彼は私の前に昨日の夕刊を見せてくれた。その見出しには、
――コーディネーター連続殺人の犯人逮捕か!
と一面に大きな書かれていた(その後の話だが、大岡先生はこの時の各新聞のスクラップを保存しておられた)。
「彼――藤原泰久は何故、私たちを攫おうなどとしたのでしょう。彼の狙いは星野さんでしょう。何故、私たちを――」
私は少し興奮して、不意に生じた疑問を彼に吐きだしていた。
「はい、その辺はまだなんとも。これはジュンサー警部から来たのですが――」
と、彼は自分がポケモンリーグに居たときにジュンサー警部と知り合って顔見知りであるということを私に伝えてから、