真白物語
「おやじさんは、起きているかい?」
問いを無視して、ケイゴが尋ねると、召使の男はまた目に鋭い光を放って、
「奥に居ますよ」
「そう、それじゃあ……」
と、返してケイゴは奥にある部屋に向かって言った。
「ああ、ケイゴ先生、お帰りなさい。今夜はずいぶんと楽しんできたようで。こっちは待たされましたがね……」
「その割にはそっちも楽しそうじゃないか」
吉太郎は奥の部屋で妾に酌をさせながら、酒を楽しんでいた。
妾に耳元で囁いて下がらせた吉太郎の前にケイゴが腰を下ろすと、
「おやじさん、俺、つまらねえことをしてしまったよ……」
「ケイゴ先生がそんなに情けない声をあげるのは珍しい。それで、何をやらかしたんだい?」
「おやじさんの友人がマークしている男を、殺してしまった……」
「なんだって……」
と、吉太郎が瞠目して、
「村田十三を殺したのかい」
「うむ……」
「だって先生、あの邪魔な大岡越司をロケット団の人たちと共同で殺害する日も間近に迫っているのだよ。そのために村田十三をマークしていたんじゃないか」
「わかっているさ」
「わかっていて、先生……こともあろうに大岡の友人を殺害したとなったら、これから先、警察の目がしばらくあの辺りに、いやあの辺りだけでなく大岡の周りにも行きとどいてしまって、どうにもならなくなってしまう」
「すまない……」
「謝られていても仕方がありませんや……なんでまた殺してしまったのかね?」
「言っても仕方がないさ。俺はポケモントレーナーだもの……」
「と、いうと?」
「俺らポケモントレーナーにも意地があるってことよ、それだけさ……」
こう言って、ケイゴは溜め息を漏らすと、黙然と酒をあおりつづけた。
吉太郎も溜め息を漏らすと、召使の男を読んで居間までケイゴとの会話を話すと、
「このことをな、ロケット団のバショウさんに伝えておくれ。それとな、もう暫らくしたらヤマブキシティの病院の様子を見て来ておくれ。お前なら、顔を知られていないから大丈夫だろう」
「畏まりました……」
と言うと、召使の男はすぐさま、まだ暗闇の広がる外へと出掛けて行った。
さて、大岡越司がサトシ達とヤマブキシティの病院の中に入っていくと、玄関先で看護士看護士相手に立ち話をしていた刑事の一人が寄ってきて、ジュンサー警部と二言三言会話をした後、五階にある現場の病室まで案内をしてくれた。
五階には十二の部屋がある。五つずつ並んでむかいあっており、二つの離れた部屋が階段とエレベーターをあがっていって左側、看護士たちが詰所としている場所の奥にある。その一番奥にある部屋が問題の病室である。
どの病室も広さは同じであるが、この二つの部屋は一人用の部屋で普通の病室よりも少しだけ備え付けの道具がぜいたくになっている。
刑事の案内で病室に入ったとき、サトシは思わずぎょっと息をのんだ。
解剖にまわされたのか遺体はすでになかったが、白い掛布団とシーツをおびただしい量の血がぐっしょりと染めていたからである。
「せ、先生……」
「刺されたというが、凶器は?」
「はあ、なんでも短刀のようなものだということらしいですが、発見はされていません。恐らく犯人が持ち去ったのではと……」
と、ここまで案内した刑事が答えた。
「それで、あれからなにか新しいことは分かった?」
と、ジュンサー警部が刑事を振り返ると。
「いえ、それが、犯行時刻が夜中だというので、警備員やこの階に詰めていた看護士にも尋ねてみたのですが、誰も怪しい人は見なかったと言っているんですよ」
「ここの隣には誰もいないの?」
「看護士の話じゃ、今は隣には人は入っていないそうです」
「じゃあ、誰も犯行当時の異変に気付かなかったというわけなんだね」
大岡越司は険しい顔をして言った。
ポケモンの力を使えばそれも不可能なことではない。例えば、超能力ポケモンが使うテレポートという力を使えば、外からこの病室に一瞬のうちに入り込むことも可能となるわけだし、方法はいくらでもあったように思われる。
だが、そこまでして殺害に及んだということは、殺人犯は余程村田十三に恨みを抱いていたことになる。
「村田十三さんが人から恨みを受けるようないきさつを持っていたかどうか、娘さんに聞いてみた?」
「ええ、ですが、そんなことは絶対にない。父は人から恨みを受けるような人ではないと、泣きながら言うので……」
「俺も、あの人が恨みを受けるような人ではないと思いますが……」
と、サトシが呟くと、
「そういうわけには、いかないだろう……」
と、大岡越司が言ったので、その場にいた一同が一斉に越司の顔を見つめた。
大岡越司はその視線を気にも留めずに、
「どんなに優れた人でも思わぬ逆恨みを受けることがあるものだよ……今のチャンピオンマスター・ワタルも申し分のない人格者であるが、チャンピオンという座についてから今までに五、六度は暗殺されかかったことがある、と言っていた」
「そ、そんなことを……」
「ポケモンバトルの勝ち負けというのも、それほどまでに根深いものだよ。君ももう少ししたらわかるときがくるさ」
と、大岡越司はサトシに優しく諭したものである。
これは、のちになってわかったことではあるが、村田十三は仕事を退職してからというもの、孤児や貧しい人たちの力になってやり、ときには学校や就職の世話もしていたそうな。
村田十三が住んでいた辺りを荒らす無頼トレーナーや悪党どもを懲らしめたことも一度や二度ではない。
――そうした奴らから恨みを受けたのだろうか……
とも、大岡越司は考えてもみた。
いずれにしても、病気で弱っていたとはいえ、あの村田十三を苦もなく殺害するのだから殺人犯は相応な実力の持ち主であり、ここまで騒ぎになっているのだから、当分はこの辺りにも顔を出さないであろう。
――こうなってくると、手がかりをつかむことはむずかしい。
これであった。
なにしろ、殺人が起きた前後の様子を誰も見聞きした人物がいないのだから、これは流しの犯行とほとんど同じだと言わざるを得ない。
さすがの大岡越司も今回ばかりは警察の捜査力をあてにするより方法がなかった。
五.
村田十三が殺害されてから数日が経った。
警察ではいま村田十三に恨みを持つ人物を、躍起となって調べ上げている。
しかし、あの日以来、井筒ケイゴはすっかりと身を潜めている。
大岡越司も、毎日のようにカントー警察本部に赴いてはいるのだが、一向に成果は上がらない。
この日も、大岡悦司は稽古に赴くサトシと同道したのだが、結果は変わらない。夕暮れ時に帰宅をすることとなった大岡越司の顔にも次第に焦りが見えはじめていた。
空は、よく晴れていた。
バスを降りたトキワシティからマサラタウンまでの帰路の途中……
大岡越司はふと立ち止まると、
「サトシ君……」
と、サトシの方を見もせずに語りかけた。
すると、サトシも心得ているのか、
「はい」