銀魂log...Vol.1
丁度太陽が去った頃(高杉と銀時)
豪勢な食事が並んでいる。 日頃に似つかわしくない有様の食卓を、まじまじと眺めると、そこには幻想を覆すような、きちんとした影が落ちている。 古びた天井からぶら下がった蛍光灯は、照っていない。 外光の柔らかい光は、雨粒に従って落ちてきた。 首を伸ばせば、「おたんじょうびおめでとう」と不細工な文字が並んでいる。 カレンダーに眼をやれば、無精な己の持ち物にしては可愛らしい印が付けられていた。 赤い丸である。 その中心で、居心地悪そうに鎮座している10の文字を、苦笑で、眺める。 途端、沁みのついた、襖が開かれる。 桃色の髪を、結った少女が、青い眼でこちらを伺っている。 策略を暴かれた、悪人のよう、慌てふためきながら、右往左往するまあるい円は、可愛らしい。 「銀ちゃん、もう起きちゃったの」 残念がる声とは裏腹に、その顔面には、笑顔が張り付いている。 釣り合わないあれこれを視野に入れながら、頭をかくと、窓を叩く雨音は一層強く感じられるのだった。
秘策を暴かれた少女と、それに付き添う利口そうな眼鏡の少年に、家を追い出されて暫し経つ。 うさぎの模様が並んだ番傘は、体躯の良い自身の身体に不似合いである。 街を行きかう人間の、無地のそれを眺めながら、ほうと溜息をつくと、先の方の呼気が白く濁った。 雨に晒される身体は、しとしとと落ちる水滴を忌むように、痛みを訴え続けている。
誕生日だと喜ぶ少女らに、告げていない秘め事はいくつか存在している。 そのうちの一つが、今日という日付のおぼろげな価値だった。 人生を覆すような出逢いは、唐突に訪れ、始まりと同様に、呆気なく終わってしまった。 記憶があるのは、先生と交わってからの、数日先からであり、己の出生について、何一つ知らぬ。 「ぎんとき」 その名を付けたのは、先生ではない誰かである。 男と女が、情交を遂げた後、己はこの世の酸素を吸った。 手足が伸びるのと同様に、奇怪な色をした髪の毛は、質量を増し、薄気味悪いと嘲笑される眼球は、あらゆる意思を汲むことなく開かれた。 生きたいのだと、願ったのは、自身が死ぬやもしれぬその時限りで、持続することは叶わなかった。
自然、足が向かう先は決まっている。 馴染みの男の家である。 隠れるための一時凌ぎだと告げる愚かな男の家は、長年住み続けた己の家よりも大層立派である。 女郎のような女がこちらの顔を見咎めた瞬間に、皺を刻みつけ、歪む。 幼少の頃より慣れ親しんだ、侮蔑より、ずっと乾いた顔である。
「高杉は」
捉えられる全てを無視しながら、告げると、女は上を指さした。 軋む階段を、踏んでいく。 雨音の鳴る方へ、進めば、低気圧から訪れる頭痛は一層激しさを増したのだった。
「先生は、この日を喜んでいるだろうな」
開け放たれた襖の向こうで、自身の美しさを少しも隠さない男が座っている。 軋んだ床を踏みしめたまま、立ち止まっていると、男は此方に顔を向け、笑った。 結びついた唇が、持ち上がる様は、陰鬱な表情の街に、よく似合う。 黒髪の隙間から覗く、鋭い眼が、紫煙にまぎれ、柔らかさを食すので、気違いだらけの戦場でも同様の笑みを見せた男の弱さを、唐突に思い出す。
「たかすぎ」
一度、声を漏らすと、そこからは我慢が効かぬ。 延々と、零れる嗚咽やら、弱音やらを、笑みを浮かべ続ける男に、向けて零すのみである。 日に照らされども、一度も色を変えなかった皮膚が、握りこぶしの中で滲んでいく。 跪いた畳の、香は、幼かった己に沁み込んだまま、不変の調子だった。
「なあ、ぎんとき」
すうと、男の脇から手が伸びる。 切りそろえられた爪は、階下で、自分を憎んでいるに違いない女が切りそろえたものである。 頬を過ぎ去った右手が、耳朶を捉えた。 冬を待ち構える景色に相応しくない、温かさは、戦火に燃やされた傲慢のよう、凝り固まった後悔を解していく。
「俺は、てめえがここにいることが―」
人通りの少なさが、夜の訪れを告げた。 男の家を、跡にする時、寂寞の念だけが体中に張り付いて、こちらの思考を、不自由にする。 機嫌の良さを崩さない男の懐から、逃げるよう、立ち上がると、窓を叩く雨音が、随分と静かになったことに気付く。
「じゃあな」
それは、内心のみで、交わされた別れであった。 が、男は、神仏の聴覚でそれを捉えたようで、頷いたあと、煙管を加えてあちらをむいてしまったのだった。
帰路を急ぐ足が、重力を感じている。
「重ぇ」
見慣れた道の上だった。 伸びた影はすうと夜に溶けて、見えなくなる。 絵本のよう、出来すぎた温かさまでは、あと寸刻で辿りつく。 自然、速足になる肉体を、精神は笑っている。
「せんせい、俺は大きくなったよ」
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2010/10/10
作品名:銀魂log...Vol.1 作家名:べそ